ONE VOICE

     * ONE LOVE + ONE LIFE + ONE VOICE *        笑っていれば、イイコトあるよ  

変わらないもの 探していた

Music: 変わらないもの - 奥華子


パヴァロッティ 太陽のテノール』を映画館に観に行った。
彼の歌を知っているはずだと確信してはいたものの、
具体的な思い出で明確に覚えだせる存在ではなかった。
でも悪友のKに誘われると、何に対しても私は「行く。」と応える。
そして、見たことのない景色や知らなかった言葉に出会い
少し違う肌の色で家に戻ってくる。

私の旅行写真に出てくる元気な背中は、だいたいが彼女です。

パヴァロッティは、The Three Tenors の Nessun Dorma(誰も寝てはならぬ) で出会っていた。
冒頭の声で分かった。
あの振動を知っている。

歌声を、色鮮やかな言葉で表現してくれているドキュメンタリーだった。
好きな声優さんがたくさんいる私にとって、
その観点からもとても面白い作品だった。
声というのは不思議なものだなぁと思う。
毎日たくさんのたくさんの人の声を聞くけど、
声質とか声音とか、私は普段日常の中で言葉を交わすうえでは意識したりはしない。
自分の声も、生まれ持ったものとして授かって一生付き合っていく。
でも、
作品としての声には
こんな風に敏感で繊細に注意を向けることが出来るんだなぁって思う。
ただ吸った息を、吐きだして、振動が空気を伝わってくるのを
体温や鼓動のように
人一人のいのちとして
感じたりしている。

人が生きているときの時間で
自分ではない誰かが、生きて、心から楽しそうにしている場面を見つめることは
とてつもない幸せを感じさせてくれると思った。

素敵な映画でした。

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さて今日のエントリは、
この映画が始まる前に流れた予告について記す。

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「浅田家!」の予告が流れ、
私はそこでようやくこの作品の全貌を知った。
私が嵐さんを好きなことを知っているKは、ニノが画面に出てきたときに一緒に喜んでくれた。
たぶん映画サイズでの二宮さんを見るのは初めてでちょっとドキドキした。
笑いながら見ていた。
そうしたら、
予告がすこし私が思っていたのとは違う方向に向かった。

Kと顔を見合わせて、この作品を見に来ようね、と目くばせをした。

私たちは、東日本大震災のあと、宮城で写真洗浄のボランティアをしたことがある。

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このブログは、何度かお引越しを繰り返しているけれど、
いろいろと目移りしやすい私が続けている行いの中で
恐らく人生で一番長く続いているものと言っても過言ではない。

一番長く更新の期間が開いたのが2011年だった。
今振り返って、
読み返せる言葉がないのが悔やまれるけれど
何かを言葉にしたり、不特定の誰かを想定して話しかけるような
そういうキャパや理由が、なかったのかもしれない。

あの年、私は、
なんとか年度末を乗り越え、
心の整理も理解も何が出来るというわけでもないまま新年度を迎え
MさんとNさんという最大の味方のいなくなったチームで
出来ることの全てを頑張ったんだろう。
特段思い出す強い感情はない。
ただ
充実した年末を迎えたという総合的な結果を
事実として物凄く良く覚えている。

特筆すべきこととして、
私はこの年の初夏に、人生で初めて骨を折った。
お昼休みに遊びのフットサルをやっていたら、こきっと足首が鳴って
特に痛くなかったんだけど、翌朝前に進めなくなるくらい腫れあがっていて、
軽い気持ちでチャリに乗って病院に行き、
松葉杖を渡されたけど自転車じゃ持ち帰れなくて
先生に天を仰がれた日があった。

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私がまだギプスを履いていたころ、
Kは被災地にボランティアに行っていた。
平日に仕事をしながら、確か金曜の夜か土曜の朝に出発し、
週末活動してまた出勤する、を繰り返していたと思う。
凄い人間と友人になってしまった、と思ったことを明確に覚えている。

そんな彼女が先行して
宮城県の亘理という場所で行われていた
「思い出サルベージ」というプロジェクトに参加をした。

被災写真を救済する ―― 「思い出サルベージ」プロジェクト

私がただの思い出として撮っているケータイ写真を見て、
いいね!すごいね!とおだてて、その気にさせてくれているのは彼女です。
本人はちゃんとしたカメラを持っていて、もっと輪郭のクリアで枠組みのある写真を撮る。
そういうKだから、このプロジェクトに出会った。

作業の内容を教えてもらって、
詳しくは覚えていないのだけど、
写真の素人でもできるのであれば私も行きたい、と思ったのは覚えている。
結果的に、ギプスが取れて最初の週末か何かに
右と左とで形の揃わないふくらはぎのまま宮城に行った。

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浅田家の映画で描かれる写真洗浄が何かは分からない。
ただ、9年前を思い返して私が覚えているのは
泥にまみれたアルバムの入ったカゴがとても重かったということ。

生きていて欲しいという気持ちだけをもって、
そのカゴを持ち運んで
作業をしていた。

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撮影の技術を持った人とペアになって
回収されたアルバムを写真に撮っていく。
表紙を開いて、一ページ目を開き、
カメラマンさんの指示に従ってページを捲る。

この人たちは、
いないかもしれない。
と思いながら見開きで示される瞬間たちを眺め
シャッターの音を聴く。

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家族写真もあったけれど
例えば結婚式のアルバムとか
赤ちゃんの成長記録とか

いるかなぁ
いるよねぇ
どこかにはいてほしいなぁ

漠然とした、客観的な
でも祈りとしか表現のしようのない思いを
抱えていた。

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アルバムから抜け落ちてしまったり
はぐれて見つかったものは
別に洗って番号を付けて干す。
いちまい。
いちまい。

当然なんだけど
自分の手が持っているこの写真に写っている人を
私は知らない。
あったこともない。
きっと出会うこともなかった。

でも出会ったかもしれない。
生きていれば。

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生きていなかったらどうしよう

思った時の不思議な恐怖は
多分これからもずっと私とある。

この写真の人は
死んでしまったのかも知れない
と思いながら
写真の泥を落とす作業は、
自分のいままでの出会いと
これからあるかもしれない
あるかもしれなかった
たくさんの可能性を
一枚の写真の重さで
確かな物理として示して見せた。

笑顔と
思い出と
未来と
確かにひとの生きている瞬間がつまった写真たちには
体重があった。

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3.11のあの日
私は地球が軽くなったと思って泣いた。
その体重は、
こういう顔をしていたのかもしれないと思いながら
初めて出会うたくさんの笑顔を見ていた。

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いろんな君の顔を見たかったんだ

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浅田家が描くものが
どういう物語か分からないのだけど
振り返ってみたらこの経験がブログには記されていなかったので
改めて記録。

ニノを映画館で見るのは
多分硫黄島以来です。

たのしみ。

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