ONE VOICE

     * ONE LOVE + ONE LIFE + ONE VOICE *        笑っていれば、イイコトあるよ  

水彩画の続き

Music: Watercolor - Voltaction 1st LIVE "Dynamic VOLT" ←

 

ヴォルタクションさんの1stライブはもうすぐ振り返り配信が見られなくなってしまうとかいう納得のいかない期日が近づいているようで。
今のご時世、見たいものを見たいときに見られるのが正義なのに...、何を言っているんですか?と真顔で聞きたくなるけど、自分の記憶の中にしかない思い出というものの貴重さや尊さのようなものは、あまりにも珍しくなってしまったからたまには思い知らされるようなことがあってもいいのかなとは思わないでもない(しぶしぶ

消えてしまう前にライブ全部の振り返りは残しておきたいと思っているけれど、どうしても先にこの話がしたいのでWatercolorの話をする。

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ライブの一曲目がTake Actionなのはわかっていた。というか正直別にTake Actionじゃなくてインレイドだったかもしれないけど、いずれにしてもどういうテンションで入るか、というのは決まってたと思うんだ。踊ってくれてノリやすい、盛り上がる曲で始まるだろう、と思っていた人は画面のこちらもあちらもみんな一緒だった。きっと。なのでいうて逆に二曲目を共感してた人はそう沢山はいないと思うんだな。みんなそれぞれに予想や想像をしてたと思う。いろんな夢があった。

実際に幕を開けたあのステージの上で、二曲目にWatercolorを持ってきたという事実で、私はこの先のVoltactionのライブをずっとずっと楽しみにしていける。すごいチームを応援している、と心から思えた。

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ヴォルタと一緒の振り返り(ドタバタしてないほう)で、Watercolorが始まった時セラフが「いつ終わってもいいライブだった」と言っていたけど、私は二曲目がWatercolorだってことを出だしの雲雀のソロで気付いたときに、ああ続いてたって思ったんだよね。あのライブの続きがここにあるって思った。

まさかこの曲をここに持ってくるとは思わなかった、という人はきっと多いんじゃないかと信じたい。私はそもそもWatercolorがセトリに入ってくると正直思ってなかった。この界隈のライブは初めて触れるのだけど、もう少しカバー曲とかが多いのかと思っていたから、Action収録曲以外がかなり無防備だった。そのままインレイドとかに入るかと思っていた。それから、曲間は結構時間が必要とされる人たち(技術的に)なのかと思っていたから、1曲目が終わって、ふぅって落ち着いて一息いただいていたのものある。思ったよりもタイミング早く2曲目が始まって、しかもその時まだほんとに気持ちよく歌えるコンディションなのか心配してた雲雀の声が「ほいさー!」って出てきてのけぞる以外の選択肢がなかった。演出もよかった、みんなが順番に、楽しそうな笑顔で出てきて最高だった。

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え、いま?!と会場で声を出したと思う。それに類することを絶対に言った。流石にアンコールとか終盤の印象が強かったし、ここで出してくるカードじゃないと思ったんだよね。なのだけど、幕張のあの箱に、4人順番に開けて響いていくそれぞれの声が本当に素敵だった。PC越しで見て聞いていたあのライブを、その続きを、今目の前に見ているんだと思った。これは諸説あると思うけど、セラフの声が一番普段と現地とで違って聞こえると感じる。前説の時からそうだった。でもだからこそ、雨上がりの、と歌った彼の声の広がりと、沈んだ心に、の三連符のリズムの取り方に、今この時だけっていう刹那的な命を感じた。もう二度と無い、一回だけの生のパフォーマンスを見ているという実感がすごく強くあった。

1周年でさよならを伝えながら歌っていた曲を、こんにちはーヴォルタクションです!って言いながら歌っていることに、手放しに感動した。こういう風に未来を拓けるグループなんだなぁと思った。間違えようのない前向きなビートで、まだ見ぬ未来の時間を、4人が本当に気持ちよさそうに歌って声を重ねていて感無量だった。空想が線を宿して四つの色を纏ってあの場所に集ったみんなを抱きしめに来てた。

1曲目がある程度決まっているこのライブの実質のスタートは2曲目だったと、会場を後にしてから振り返って思って、このグループが見せようと演出してくれた幅の広さや奥の深さや、その思考の柔軟さに、なんというか今後のすべてを悟った気がする。実際のカバーで見せられた二曲の選曲や配置もそうだけど、その曲で会場をどうしたいのか、ファンのみんなとどうなりたいのかを解像度高く共有して炸裂させられる4人だなぁと思った。ストーリーというか構成というものにしっかりとした思惑と目論見が感じられた。ただ歌いたい歌や聞かせたい歌を楽しく歌うだけの会じゃなかった。

Watercolorを二曲目に持ってきたことで、その後のセトリが、その曲が、伝えようとするメッセージのある色鮮やかで体温を持ったものに変わった。無理に盛り上げようとしたり気取ってる感じがちっとも無かったのはそれなんだと思う。だからキセキが出てきても驚きと感動はあっても違和感はなかったし、1000%が純粋なお祭り騒ぎとしてすべてを放棄して没頭できた。アンコールの構成は特に繊細さを感じた。あれから逆算すると、むしろWatercolorは2曲目以外に考えられないなって思う。

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このセットが一回だけなの本当にもったいない。ツアーしてほしかったなぁ。何回かの本番を繰り返して、各所で違ってくるあれこれを全国のファンのみなさんと重ねて照らし合わせてもっと深く味わいたかった。

またきっとこの続きを、新しい筆と絵具で描いてくれる近い未来を心待ちにする。

VOLTACTION 1st LIVE “Dynamic VOLT”

Music: 秘密 - SUPER BEAVER ←

 

ボルタのライブに行ってきた。

すごい良かった。

行ってよかった。

生声のありがとうを幕裏から聞けたことが全てだったと思う。アンコール前に円陣組んだのかな、その時の奏斗の声も聞こえた。

行く前にメモ書きのつもりでケータイで雲雀と命に嫌われているの話を書き始めたら、意外とちゃんと形になったので幕張のカフェで、ギリギリまで粘って書き上げて投稿した(笑) やれば出来た。

会場ついて、見切れ席なのに何も見切れてなどいないステージ側の角度10度くらいの良席にびっくりした。メインスクリーンは確かに見えにくかったけど、サイドスクリーンがすぐ真横でめっちゃ見やすかったし、多分本人たちがいるとしたらあそこら辺かなーと思ってたステージ裏、黒い幕の裏からほんとに最後に声がすぐ側で聞こえたから、もはや神の席だった。着席後にお隣のお嬢さんたちとお話してたらメンバーによる場内アナウンスが流れて、ホールの大きさからなのか、PCで聞く声とは違って聞こえてドキドキした。ステージ前の特効セットが見えて、特効すんの?!ここで?!となった。実際特効あった、めっちゃ暑かった。

雲雀が本当に気持ちよさそうに歌っていると思えた。本当に良かった。Watercolorの出だし、まさか2曲目とは思ってなかったから度肝を抜かれたと言うのもあるけど声量凄かった。ソロの低い音域のビブラートもまーじてよかった。あれをずっと浴びてたい。配信をゆっくり見るの楽しみ。セラフはもっともっと歌を評価されていいと思う。ヴォルタで生歌が本当にやばいのは彼なのではないかと思う。ソロの秘密の前の発声練習の音圧やばすぎてずっと笑ってた(笑)。それはまねできないのよ、したいけど(笑)。ビブラートもほんと綺麗で、高音も安定して音当たってて、雲雀と双璧をしっかりなしてたと思う。起用大将の風楽さん、ピースサイン途中で泣きそうになってるのかなって思ったのだけどそんなことなかった…? あなたの高音好きです。勇気と胆力のある人であることを毎度感じる。渡会雲雀を相棒に持って共に歌を歌うというのは、絶対に絶対に簡単なことでは無いと思うんだ。歌枠にだって苦手意識を持っていたような人が、でも渡会雲雀と肩を並べる。向かい合って、背中合わせて、誰もそれを不思議には一切思わない当り前さで、一緒に曲を歌う。お互いを強くしてた。ゼフィーロ最高だった。四季凪くんを見ていると、できるようになるということの可能性の無限大さを知る。ソロの高音も、がんばっている、という感じはしたけど、セラフがほんとうに嬉しそうに褒めていたから私なんかには想像もつかないくらい、スタート地点からここまでの大冒険で大成長だったんだろう。完成品ではなくても今できることの最大限、という言葉を前言っていたけど、それを全部見せてくれるあなたの開かれた心に頭が下がります。君のあの涙がどうか達成感の涙でありますように。素敵だった。

MCが思ったよりも聞き取りやすかった。ちゃんと間をとって順番に話してくれてたので会話として聞きやすかった。ゼフィロの双子具合凄かった。スピーカーに何度も足を預けて顔突合せて話してるのおもろかった。あの二人は単純にマイクに声が乗りやすいんだと思う。発音も聞き取りやすいので助かる。るむふぉはセラフがもう全力で凪ちゃんの精神バフになろうとしてる感じがたまらなく良かった。凪ちゃんの努力が形になるところを1番に見たかったのは彼なのではないかとすら思った。なお凪ちゃんが一人でいるところにセラフが歩いてきて2人になるのエモかった。ほいで二人が座って背中合わせになった演出は、ほんとに簡単な事なんだけど関係性が雄弁に伝わってきてすごく良かった。ただなぜあの身長差で座高がおんなじになるんだ、ほんと不思議(笑) 凪ちゃんだってスタイルとても良いはずなんだ、どういうことなんだよセラフ。

キセキの歌詞割りやばかった。セラフが、キミがいるから生きていけるからの部分を歌っててちょうどカメラに抜かれてて、ああーとなった。素直にとても感動した。分かってる演出の選曲だなと思ったけどありがたく全力で享受した。I can be the oneはフリが可愛すぎた。アーカイブで見るの楽しみすぎる。

最後のリロードも新しいアレンジというか、ちょこちょこ歌い方変わってて、生歌って感じがしたんだよなぁ。ほんとにあんな踊りながら歌ってるの…? どういうこと…? スターリッシュはその歌詞がスクリーンに出てくるまで何もわかんなかったけど、それ見た時に周りの盛り上がりもコールのそろい具合も全てに合点が行った(笑)。うたプリは履修してないけど嵐さん繋がりで見てた動画で軽く触れてはいて、こんな風に帰結するとはまさか思わなんだ(笑)。なお流石に初の単独ライブのアンコールでWe are Starishは面白すぎた。君たちはヴォルタクションですね。

最後のインレイド、雲雀は絶対がなってくれるって信じてた。全力で待ち構えて全力で受け止められた。超気持ち良かった。奏斗の宙蹴り落下まじで何事かと思ったけど、全てが終わって考えるとほんと彼らしくて笑ってしまう。まさにライブだった。ほんとに生でやってるんだなって。ぜったい飛びすぎちゃったんだよね(笑)。ホントに大事ないと良いけど間違いなく全員に共通の思い出になった。

昨日のエントリを書いた上での、肉声でのありがとうは、何かを大きく変えることだったように思った。遠隔でも収録でも生のように見せられる技術が世界には存在はしていて、でもちゃんとライブだった。同じ体温で、同じように息をしながら、同じ時間を一緒に生きてるんだなぁと思えるライブだった。

あの声が聞けてよかったよ。

あー楽しかった。ヴォルタさんありがとう。

渡会雲雀さんと命に嫌われている

Music: 命に嫌われている - 渡会雲雀band Session LIVE ←

 

Voltactionというvtuberさんグループの沼に落ちた。

嵐さんを推してきて以来、久しぶりのことだ。
 
応援する、という活動の場が全く異なっていることに戸惑っている。当たり前なのだけどコンテンツが全てYoutubeにのっている。嵐さんを海外から他人様のレポ伝手とかDVDの焼き増しとか経由で遠隔応援してた私には考えられないアクセスの良さ。ライブ配信といういわゆる生放送がほぼ毎日のようにある。ものにもよるけどだいたい毎回中身も緩くて宿題くんの「誰がいちばん早く寝られるかSP」を見てるような荒削りさがある。放送作家の存在はほぼ感じられず基本行き当たりばったり。コラボと呼ばれるらしい?複数人が合流して行われる配信は喋りたいヤツが喋るので正直やかましい時は多い。時間も長いので切り抜きなるダイジェストがファンの力で行われてそれを見れば追っかけはできる。時短すら自家発電の沼。
 
ネットで同志を探したりする訳なんだけど、気づいてしまったかもしれない。
 
二次創作じゃない、感想を書き連ねる物書きという人種は失われてしまったのですか…? 考察とか分析とか解釈的なものを熱く語るブログ的なものが全然見つからないんだけど…? みんなどこにいるの…??
 
嵐さんが世間に気付かれ出した頃はまさにブログ全盛期だったように思うんだよなぁ。公式からの供給がそんなに毎日あるわけでもなく、週1の深夜番組と週末の昼の番組とかやってた頃で、みんなそれを深くかみ締めながらあのやり取り良かったとか、実は後ろの方で誰と誰がキャッキャしてるとか、個人的に盛り上がったポイントとか何回も見てるうちに気付いた発見とかを書き記してワールドワイドウェブに乗っけていた。お誕生日や記念日なんかには、コンテンツに対してではなくてその人に向けた思いの丈を述べた熱いエントリがあちこちでアップされたりして、それを読むとまた解釈が深まったり新しい視点が生まれたりした。
 
Youtubeのコメントも面白いけど。ツイッタで風速が最大になる瞬間を感じられるのもいいんだけど。だけど私は文書が読みたいんだ…。いくつもの動画や歌やダンスやエンタメを掛け合わせて見えてくる彼らの人柄とか結束とか生き方とか未来みたいなものを「私にはこう見える」って語ってる文字の連なりが読みたいんだよなぁ。
 
すごいメタな話をするけど、Vtuberって、単純に顔出ししてないだけのYouTuberさんなのかと思っていたので、各人にバックストーリーや設定があるのは驚きだった(少なくともにじさんじ)。芸名を使って活動しているのとは訳が違うのだ。中の人とは完全に別の、独立したキャラクターなのだ。中の人イコールそのキャラ、とはどうやっても取れないような圧倒的フィクションもしくはファンタジーな設定ばかりで、そのキャラが発信する物事のどこからどこまでが本当にその人本人なのかがとてつもなく曖昧だ。だからこそ作品の解釈とかコンテンツの分析とかは凄くしにくいし、文章で語り上げるうえでの前提が整ってないということもあるかもしれない。キャラを応援してる感覚もあるが、実はその中の人を応援してるような気もする。例えば私はVoltactionでセラフくんという方が表現する歌が好きなのだが、日頃そうであるように歌を聞く時は歌い手の心情に思いを馳せる。しかし私が知っているセラフくんの情報は全てフィクションで、きっとある程度の割合で真実も混じっているのだろうけど、結局はその喉を震わせている中の人本人のことを私は何も知らないのだ。だけど、その曲をこういうふうに歌える人なのだなと思って、その掴めない輪郭をぼんやり眺めながら、好きだなぁと漠然と思う。でも何を好きだと思ってるのかはいまいち分からない。不思議な感覚。
 
同様に歌を好きだと思った方で同じくVoltactionの渡会雲雀さんという人がいる。あまりに生で聴きたいという気持ちが強すぎて、完全なビギナーズラックで見切れ席のチケットを見事引き当ててしまい、これから彼らのライブを拝見しに行ってくる。久しぶりのライブだ。超楽しみ。
 
彼の歌についてはほんとにファンの皆様の思いの丈を色々読みたくて、でも文章的なものがあれば見つからず歯がゆくなってこのエントリを書くに至っていると過言でもないのだけど、彼の歌った「命に嫌われている」について述べたい。
 
渡会くんはVoltactionでは紫色を担当しているけど、その気質としては圧倒的に嵐で言うところの緑で、だからといって相葉さんに似ているとは必ずしも思わないけど、人類をざっくり4グループくらいに分けたら多分同じとこにいると思う。元気で明るくて、勉強は苦手だけど何事にも前向きで、運と勢いで何とかなることも多いけど、努力家で一生懸命で自分の感情に素直で、誰かの思いに共感して感極まって涙しやすい。
 
歌枠という、歌を歌ってくれる生配信の枠があって、渡会くんのあまりのうまさにびっくりして過去のそれを漁っていた。エッジの効いたロック調の声で、明るくて前向きな、主にはアップテンポの曲を好んで歌う人だと思った。たまーに音程が低く聞こえる時もあるけど、信じられないほど高音がぐうんと伸びたり、そこでそれできちゃうの?!みたいな音のとり方ができて、基本的に音を外すということはなく、丁寧な歌唱をする印象があった。
 
生バンドとセッションするとある配信の最後でこの曲が出てきて、選曲にびっくりした。彼がこの歌詞を歌う感情がイメージつかないなと思った。当時彼はまだデビューして半年しか経っていなくて、曲の振りで本人も至極明るい声で、こっから先をもっとみたい、楽しいことこれからもたくさんやっていこう!と言いながら歌い出した位だった。あの曲のトーンというものとは、無縁の感じすらした。
 
でもこの曲を知っていて、歌いたいと思ったんだ、と思った。思いながら聞き進めていた。
 
初めの低めのメロディは普通だったように思う。音程が低くて歌いにくそうな感じしたけど、落としたトーンで上手く歌っていた。サビの前半も歌い方荒れ目だったけど曲に合ってて聞いてて気持ちよかった。こういう歌詞も表現して歌えちゃうんだすごいな、と思って聞いていた。様子がおかしくなったと思ったのはサビ終わりの「軽々死にたいだとか」を歌った辺りだった。あ、泣きそう、と思ったのは、彼をそう思ったのか、自分をそう思ったのか、正直分からない。なんか突然声が上擦って震えたように思えた。死にたい、に軽々しく触れて、とてつもなく悲しくなった気がした。あれ?と思った。間奏を経てまたメロディに戻る。1番より上手く歌ってて、あ、気のせいか、と思った。なんだけど2番のサビ後半、明らかにいつものように声がコントロールできなくなってるように聞こえて、それがその時の彼にはどうしようもない事なのだと思えた。悲しいのか辛いのか何なのかよく分からないけどとにかく感情的だった。歌いながら泣き出してしまう彼が、それでも今歌う歌だった。そっからは多分こっちも向こうも泣きながらこの曲に触れていた。画面に映る彼に涙を流す技はないから、彼が泣いていても泣いていなくても分かる術など私には無いし、終わったあとに号泣したという本人の言葉以外は全て私の想像だし感想なんだけど、渡会雲雀くんは命に嫌われているを歌いながら泣き出してしまうし、泣きながら歌い切るし、最後に、みんなと見ていく先のこととこれから作る楽しい思い出のことを絶叫出来て、そしてとても小さな声でありがとうと言って配信を終えた。そういう人なんだと、彼の輪郭が見えた気がした。
 
私はvtuberさんの中の人を暴きたい訳では無い。ただ、あの歌を聞けてよかったという気持ちだけがある。曲としてもすごく良かったけど、テクニックやテクノロジーではどうにもならない何かが確かにあって、とても人間的で現実的な感覚がした。渡会くんの歌を、ライブで聴きたい、と思う人はとても多いと思うのだけど、ひょっとしたらその感覚が強いからかもと思う。
 
これからライブ行ってきます!
生で聴いたらみんなどんな声なんだろう。
楽しみ!

この声が届く未来が幸せだと言えるように

Music: Virtual to LIVE - NIJISANJI ←

 

気付けば年が明けました。
ぬるっと明けた2025年でした。

大きなもくひょ
体重を落とす。
ちょびっと重くなっただけならまだいいのだが、だるだるもしてしまった。
何かを始めようとすると、でもどうせまた繁忙期…と思って何もしなかった去年はあかんかった。
続かなくてもいいから今日体を動かすし、昨日やっててもやってなくてもいいから今日体を動かそう。
1万歩歩くか、3㎞走るか、うちっぱ行く。
まいにちを連続した日々として考えることをやめて、
各日各日
その日その日
それが一番難しいんだけどね!
まいにちが新しい一日!

小さなもくひょ
ベッドに入ってケータイいじるのやめる。
多分これが一番よくない気がする。
おやすみなさいしてからもずっとうだうだしてるし
おはようございますしてからもずっとうだうだしてる。
起きて地面と垂直になってから見よう。
地面と平行になったなら寝よう。
ここでいろいろ消費してしまって起きた時にやることが失われてる気がするし
だらだらやってるから消化するほど噛み砕けずほんとにただ通り過ぎてる気がする。
いかん。
もったいない。
せっかく見るならちゃんと見る。
気になるなら反応して、ちゃんと会話にもしたい。
ゲームはやりたいだけやって良いことにする。
その代わり朝は身体を起して起きて、
夜はちゃんと横になったら目をつむって寝る。

思い返して、ちゃんとこれが出来たと思えるように
これは目標なんだと書き残しておく。

健やかで晴れ晴れした2025にしたい。
楽しむ気持ちは自家発電!

最後に自分への戒め。
今年は自分への投資していいよ。
気分転換にお金使っていいよ。
結局ハズレかもしれなくても買い物していいよ。
知らなかったものもよく分からないものも買ってみよう。
代り映えのない毎日に飽きて明日を楽しみにできなくなるくらいなら
去年しこたま働いて稼いだいくばくかお金だって、今年はとりあえず使う。

どんな一年になるのかな!

2度目のハタチ

Music : Believe - Arashi ←

 

ここ最近、自分というものに変化がないなぁと思っていて
その最近というのも数日とか数週間とかじゃなくて
結構長い間だなぁという感覚でいた。

前も繰り返したような日々を
繰り返したような濃さで
繰り返していく

今日めでたく40になった。

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特にやることもなくて
部屋の中の掃除とかしていた。
今日という日が迫るにしたがって
前々からよっぽどわかっていたはずの「やることがない」ということのわびしさというか残念さが明確になってきて
何かしなきゃと思い
それがつまり変化を起そうという方向に働いて
家具をいくつか買った。

観葉植物を今年は一つ枯らしてしまったけど、
やはり何となく身近に緑があるのが良いと思い、
100均に行って鉢植えを何個か買いこんできた。
安いの買うとカビが生えるとかよく聞くけど、
いつまでもつかな…。

自分以外の生き物に家の中にいてもらうことが、
今は大切なような気がしている。
だいじにしたい。

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あと20年生きても60歳かあと考える。
まだ結構あるなぁ。
これまでをもう一回やってようやく80か。
それは何となくあっという間のような感じがする。
時間というものとのふれあい方が最近はおざなりで
気が付くといろんなことが終っていたり
気が付くと何かが過ぎ去っていっていたりする。

思い出すありとあらゆることが、
もう何年前
何十年前といった
すごくすごく前のことのように思う。
それぞれの時から何も変わっていないことが多すぎるような感じがした。

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今年は仕事をたくさんしている。
面白いことのほうが多いけれど、とりあえず拘束時間が長いのがしんどい。
拘束されている時間は夢中になるし意義ある経験をしていると思えるけど
せめて単純に休みがもうちょっとほしい。

新しい職場環境は楽しい。
若い世代の比較的多い場所で、風通しも良いと思える。
ただ目標にしてああなりたい、と見つめられる人はあまりいない。
単純にそういう年齢になったのかなぁと思うことも多い。
自分の進んできた道の先にいるような、
分かりやすく今の自分の続きを描いてくれているような人物は
ここまで野道をかき分けて進んできてしまった私にはそうそうはいない。

仕事自体も、ものすごく得意なものではないかもしれないなと思う。
こなせてはいるけど、これを何年も何年も続けていきたいと思うほどの熱は自分の中にはない。
この仕事を、いつまでやるのかなぁとは思っている。
これはどの仕事をしていても毎回思うことなので、特段急に降ってわいた気持ちではないのだけど
「いつまでも」という回答以外を選ぶのなら、現実的に考えて、次が何で何故なのかを
しっかり整理しなくては安全ではないなとは思うようになった。
私は仕事じゃなかったら何をしながら生きていきたいんだろう。

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夏にお仕事で櫻井さんとすれちがった。
ご一緒した、くらい言えればよかったのだけど
関わりはとても遠くて結局はお見掛けしただけの感じだった。

その時はとてもドタバタしていて、
同じ場所にいることは知っていたけど全然しっかり認識できていなくて
視界に入ってから、居るー!!!となって、ガン見した(笑)

ニューヨークでのヤッターマンプレミアの時もなかなか近かったけど、
あの時よりよっぽど距離は近かった。
懐かしいなぁと思う。
あの場所で生きていた自分は
ちゃんとそのまま生き続けてこんなところまで来た。

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20歳の頃の自分から
20年経ったのだと考えてみる。

ここ最近何も変わってないし進んでないなと思って退屈していたけど
よく考えると経歴はすごい大変なことになっている。

20歳の時はカリフォルニアにいたね(笑)
そしてそこからニューヨークに行って嵐さんのブログを書きながらいろんな人と仲良くなったよ
そのあと不本意に日本に帰ってきて
実家で悲しんで
お仕事もらって東京に行き
やらせてもらえることやり尽くしてイギリスに行って
やれることやり尽くして東京に帰ってきて
出来ることぜんぶやって愛知に行った。
使える忍耐と思いやりのすべてを使い果たして限界を見て
東京にまた帰ってきたよ。

どこにも辿り着いてないなと思うけど
道を作りながら生きている。

今日も元気で健康で、空が晴れれば嬉しく、雨が降ればどんより。
感動して泣いて、悲しくて泣いて、幸せな時に幸せだと思える。

今いる場所よりも先に行かなくてはいけないという自分だけの判断でもがき切って
抜けだすという努力を必死にして
そうしてここまできた。

思ったよりも
いろんなことをして
がんばっているような気がする

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日常に代わり映えがないと思うことの原因を考えてみる。

お恥ずかしい話だけど、たぶん最近、
褒められなくなったと思う(笑)

出来て当たり前のことをずっとやっているような気がする。
それは実際そうかもしれないし、
そうでないかもしれないんだけど、
とりあえず自分が頑張った! やった!と思うタイミングで、
もしくは全然できてないけど無作法だけど頑張って何とかした状況の中で
おだててもらうことがない(笑)
張り合いがないというのが適切な言葉なのかもしれないけど
盛り上がりには欠ける。

自分だけで焚き付けて
自分だけで燃え上がり
自分だけで燃えカスを集めるのはちょっと疲れるなぁと思う。

これはどこで生きていても
きっと変わりのないことで
今いるここで、この場所で
何かの扉を少し開くことに挑戦するしかないのかもしれない。

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ここらも続きがあるということを幸せを考えながら。

また次の一歩、その次の一歩。

愛をひとつ またねまたね

Music: ただ声ひとつ - ロクデナシ ←

 

「ここではないどこか」が選択肢としてある、ということがわかった。
それを求めてあれこれ這いつくばって頑張ってきたはずなのに、
でもそこに本当に行きたいのかを判断できるキャパシティーとエネルギーが尽きた気がする。

このままここにいられたら楽だろうなと思う。
ここという場所が、もう少し居心地がよくなって、もう少し意味のあるものになって、
今ここに生きている自分の意義というものをもう少し感じられたら
何もせずにここに留まるのになって。

どこへだってまだ行ける精神で、
好奇心をもって、まだ見ぬ世界へ行ってみよう!という気持ちは
しばらく稼働していないけど、実際にはそう遠くない前にあれこれ夢想してわくわくした記録がある。
単純に歳を取っただけなのかなぁとか、
動き出すということが単純におっくうになってしまった自分の言い訳をあれこれ作り出しては確かめてみるのだけど、
結局は楽しようとしているに過ぎないと考えられる。
怠惰。

動き出すことがめんどくさい。
泥沼の中に立っていると考える。
そこから足を引っこ抜こうとするだけで重い。しんどい。疲れている。
何があるのかわからないけど顔を上げれば陸地は見えていて、
でもそこに行く意味と理由を自分に言い聞かせるのに手を焼いている。
必ずしもどん底まで沈んでいるわけではない自分。
息もできるし、それなりに視界もある。
ただ、泥にはまって、ある程度健康に、ある程度苦しみながら、
ごはんを食べ、横になって寝て、生活して、毎日を過ごしている。
これで満足してもいいはずだ。
これで満足ではないのか。
この問いに頷いている人たちと一緒に過ごしていて、
首を横に振ることにひどく自信を失った部分もある。
なぜ自分はここを居場所と思えないのか。
それは要は逃げ出したいだけなのではないか。
力が足りなかっただけ、やり方に工夫がなかっただけ、何かの努力が至らなくて
だから居たいと思えなくなっただけなのなら
それはもう少しここにいることで修正したりできないんだろうか。

マジカルに、奇跡的に、
自分自身が何もしないままでいても、
わたしがこの場所にいることの正義が成り立てば、
指ひとつ動かさなくてもいいのになぁ!

祈ることに飽きてしまった。
願うことにつかれた。
現状は変らないのだ。
あきらめる。前向きに。

いまがどうにもならないのは、ミスでも失敗でもなく
次の場所を覗くための背中を押してくれる手なのだと考える。
要は自分が息をして、
立ち上がり、
動きだす以外にいまできることはない。

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人はいつだって死ぬ。
いつかはどこへも行けなくなる。
何も見たり、聞いたり知ったりできなくなって、
時間の終わりが来る。

だから「やったことがある」は正義だ。
経験が増えることは正義だ。

やってみることにはそれだけで意味がある。

というわけで次のお仕事に行くわよ。

また引っ越しじゃー! :)

今日の日をいつか思い出せ未来の僕ら

Music: アスノヨゾラ哨戒班 - ゆある ←

 

去年一年は
どう考えても忙しくて大変だった一昨年と比べても
つらくて、激しく劇的に苦しくて
その環境がどうにかなってほしくて
できることとか
自分が変われることとか
あれこれ考えたのだけど
結局どれも効力がなかったり
心が伴わなかったり
気持ちが単純に続かなかったりで
何も決定打にはならず
何も大きくは変わらないで
そのくせ日々の少しずつの上がったり下がったりはちゃんとあって
そういった小さな上昇を最大限に拾う技術に関しては一流の私は
そのささやかな喜びで期待して夢を見て
どこにも具体的に行くことなく
結局は全く何も変わっていない場所で
一年を終えた。

なんだったんだ。

何の成長もない一年だった。
恥ずかしいという気持ちがずっと付きまとっていたように思う。
語れる言葉を持たなかったし
見せたい情景を持たなかった。
エントリを書こうという気にもならず
写真を投稿する頻度も極端に減った。
音楽も聴かなくなった。
本も漫画も読んでない。
動画もどんどん見るものが短い時間のものになって
最近は一つのコンテンツをクリックして
途中で投げ出さず最後まで見たり読んだり聞いたりすることもできなくなりつつある。

飽きているんだ。

どこかへ行きたい。

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自分の置かれている状況に名前を付けることは
それなりに勇気のいることで
もう20年くらいも経つのにいまだにそうだったんだと認められない、
事故みたいな状況を胸にいくつか抱えている身としては
お前が愚痴ってるそれはパワハラだよ、録音したほうがいいよ
と言われた時のおどろきは
強かったというより
どっちかっていうとスローモーションみたいでゆっくりしていて重かった

だってパワハラっていうかさ。
変な特殊な人だなと思って。
極端に仕事ができないのに許されているおかしな人。
つまりは俺は仕事ができない!と大声でフロアのみんなに聞こえる声でアピールしているに違いないのに
本人はまったく気にしてないみたいだし、それが当然みたいな顔をしてるし
みんなもなんかおかしいなと思いながら、お前もっとちゃんと仕事しろよとは言わない
なんか不思議な感じだった。

でもそういう名前の状況なの、これ?

年末に、隣の席の子がついに崩れ落ちるように限界を迎えて
チーム戦で窓口や上司に話を入れたりしたけれど
心も頭も混乱の極致で
結局あれがなんだったのかとか
自分がほんとはどうするべきだったのかとか
これだけ純粋な困惑を人に振りかけておきながら未だに本人は何も知らされずふつーに過ごしてることとか
いまだにどう解釈したらいいのかよくわからん

これだけ自分の中で激動があったんだけど
それなりに大きなドラマだったんだけど
しかし現実にはその人はまだ自分のお向かいに座っているし
わたしも仕事に行っているし
なんだったんだまじで

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年始に久しぶりにCJとMimiちゃんにあった

会うたびに悲しいという気持ちで胸がいっぱいになるのをどうにかしたい。

親友だ!と思っていたころはわかりやすくて単純で
聞いてくれるから
言えなかったことを伝えたし
何一つ順序だてて説明は確かにできてなかったし
できてなかったんだけど
伝わってるように思ってたんだよねぇ

伝わってなかった
ということより
記憶にないんだ
ということのほうがどっちかっていうとどうしようもないなって思う
わすれられちゃったのなら
しょうがないね

改めて思い出してほしいわけじゃないし
もう二度とだれにもくりかえしては言えないようなことを
がんばってことばにしたつもりだったんだけど

伝わっていなかったのか
単純にそれだけもう昔のことなのか
CJもMimiもわるくないんだけど
でもまぁもういいや
うん

なにかがあった、ということを知っているのは
もうこの世界のなかでわたししかいないわけだから
なにもなかったでいいと思うんだ

そうおもってもう20年にもなってしまうのではないだろうか

毎日
なにかはあったよね
と寝る前にかくにんする
それは一瞬のことのようにも思うけど
本当はもっと長い時間なのではないかって最近思う
たいていは漠然としていて
具体的な状況を思い返すわけでもないんだけど
ただ感覚だけを思い出して
そうだね
なにかがあったね
と思って
思いながら
自分が眠るのを待つ

ありがたいことに不眠とかになるわけでもないので
翌朝もふつうに起きて会社に行く

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やるべきことはたくさん思いつくんだけど
まずは仕事を変えるということで手を打とうと思っている

お向かいの不思議くんに確かに混乱させられてはいるが
純粋に
自分が成長している!と思える業務ができていないし
簡単に言えばテンションが上がらない(笑)
お仕事ってもっと楽しかったと思うんだよね…

若かりし頃には次の仕事が決まっているわけでもないのに、辞めます!
と宣言して
気持ちを切り替えてから次のことを考えたりしたけれど
年を取ったからか
周りの人がそう言うからか
今の仕事をしながら次の職場を探している

これがつらい
想像以上に自分がわからなくなる

結局何をしたかったのかとか
そもそも動き出したい原動力が
目的地が魅力的だからなのか
現在地から離れる必要があるからなのか
どう見せるかにも気を付けないといけないし
そうしているうちに実際のところどうだったかもわからなくなって
なにをしようとしていたのかを忘れる

とりあえず今日は古巣に応募してみた。
近しくお仕事ご一緒してたのは10年くらいも前だったりする方も
快く相談に乗ってくださったりして
やっぱりいいところで育てていただいたなぁと思う。
といいつつ応募したポジションがほんとにやりたいことなのかとか
長い目で見て意義のあることなのかとか
すぐまた考え出したりしてしまって
こまったなぁ

でもどこかにはいかなくてはいけない
仮にここにいたのだとしても
何らかの形で違う場所を開拓しなくてはいけない

要は今のままではいけないということなんだけど

夢を見ている
もう少しだけ体が楽になるとか
気持ちが落ち着くとか
心が晴れやかになったり
明日が楽しみになったり
笑いたくなったり
だれかと会いたくなったりする
そんな日を
自分には作る力があると
信じられるのは今はそれくらいなので
まずは動くことだけを
どこかへは行こう

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最後の日常エントリが2021年の末日で
行ける所へ行こう。
と書いている。

そうだ。
そうしよう。

今のわたしだけじゃなくて
ここで苦しいって言ってる私だけじゃなくて
ここに来るまでのありとあらゆる場面での
強かったり弱かったりしたいろんなわたしを連れていく。

なんとかなる。

和訳 - 世界で最もセクシーな男性になったクリス・エヴァンスさんのインタ

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こんにちは、クリス・エヴァンスです。
最もセクシーな男性の写真撮影にようこそ。
どうやらそれは俺らしい…、うちの母親が言うにはね!

どう思ったかって?
母親がめちゃくちゃ喜ぶなって
まぁ俺が何しても喜んでくれるけど
でもこれは母さんがみんなに自慢できるやつだから

俺自身にとっても老けてヨレヨレになった時のいい思い出にもなるよね
いやでもやっぱ友だちからあれこれ言われるだろうな
それはもうここぞとばかりに冷やかされるよね

ええ? 中学時代の俺がなんと思うかって??(笑)
たぶんすげぇ喜ぶ(笑)
イケてる系の仲間入りができると思うんじゃない
俺そんなに運動神経よくなかったし
スポーツはしたんだけどね
サッカーとかラクロスとか
レスリングも
でも別に得意じゃなかった
時間があったからやってただけでさ

最初の演劇は6年の時じゃなかったかな
姉貴が舞台やってて
彼女がやれば兄弟姉妹そろってみんな同じことしたし
すぐ自分で分かったよ、これが自分が好きなことだって
演劇のキャンプにも前のめりに参加したし
…そういうオタクっぽいとこがあるわけ(笑)
でもホント水を得た魚ってまさにそれで
凄く嵌った
ずっとやってても飽きない何かだった


初恋の有名人は…
Winnie CooperかElisabeth Shue…
いや、Punky Brewsterかも
ファーストキスはね
えっとね
マギー・サリヴァン。
なんか暴露しちゃってごめんね
あ、でも前にテレビで言っちゃったことあるしいいか(笑)
たぶん6年生じゃなかったかな
学校の劇があって、主役になった
主役ってのは凄くてさ、主役パワーで突然モテるわけ
しかもモテる女子からモテる
でモテる男子生徒が何するかっていったら
そりゃ休み時間に木陰に連れ込んでキスだろ

最初にお金をもらって演技したのは7年生の時かな
ボストンにキャスティング監督がいてね
まだその会社続いてるんじゃないかな
ボストンエリアのキャスティングをしてて
どんな仕事だったかな
コマーシャルの… CD-ROMかなんかだった
超地元の広告だよ

いちばん仲がいいのは今でも地元の友達だね
一緒に育ってきた8,9歳くらいからの友達だよ
それが自分の子供時代で幸せだったことかな
仲間がマサチューセッツでしかもボストンにまだいて
ずっと変わらず仲良くしてる
みんな結婚して子供もいてね
おれさ、
この業界で、地元に友達がいない人は少し気の毒だなと思う
芸能界に入ってからの知り合いしかいないっていうのは
自分だったら寂しいよ
俺は実際の俺のことを知ってて側にいてくれるやつらがいる
がきんちょの俺を覚えててね
どの作品に出たとか関係ない

 

賭けはキャプテン・アメリカに出たことだよね
何度かは断ってた
引き受けるの不安だったよ
まぁ結局人生で一番間違いのない決断になるんだけど
オファー蹴ってたら、いまどんな風になってたか想像もできない
冒してよかったリスクだった

あの仕事が楽しめなかったらマジで頭どうかしてるだろ
お金もらいながら身体の健康に気を使って
子どもの時にやってた遊びを本気でできるわけじゃんか
庭を駆け回ってたヒーローごっこそのままにさ
人生の中で本当にいい判断をしたと思えることのひとつだよ
プロジェクトに飛び込んで、準備して
そりゃもちろん大きな挑戦でもあるけど
でも良い映画を作れた
努力した分だけ報われるし
凄く幸せなウィン-ウィンの関係だったよ
やっていて本当に楽しめてたし
ひとつの映画が終ると、休みがあって、それはうれしい
でもすぐまたやりたくなるわけ
いまもそう
でもあの一員になれたということに、ただとても感謝している

ここんとこしばらくキャプテン・アメリカみたいな役はやらなくてよかったから
食事制限とかワークアウトとかには意識を向けてなくて…ここ数年…
いや、やっぱちゃんとしなきゃダメだね(笑)
前はさぁ、若いときはさ、
食べたいもの食べて週に2,3回ジムで頑張れば大丈夫だったんだよ
だけど最近はだめだね
もうそうはいかないね
ビール2本飲んだらそれを身体が着るよね
でも良いんだよ、気を使えるようになるから
飲んだ水の量とか、睡眠時間とか、自分が精神的にどうかとか


やってみたい趣味? 
木工!
日曜日とかに朝起きてさ、音楽かけて、なんか創るって良くない?
じぶんだけの時間
木を使って何か創るっていうのがいいなって
家具とか
作業場があってさ、大きさ測って、切って、削って、っていう作業の繰り返しをしたい
癒されそうだし、心が落ち着きそうに思う

おれ音楽も好きで
楽器もいくつかやるけど
歌も歌うしダンスもするよ
でもさ、例えばね、例えば地球上に最後に残ったのが自分だったとしようよ
何でも好きだからさ
やってみたいっていう興味だけで新しく趣味を作っちゃいそうだから
で、
おれが地球上に最後に残ったら
歌うだろ
踊るだろ
で、木をいじりたい
そんな感じかな
だからね、歌うと踊るは、音楽はね、今もやるし続けるよ


うちの犬がくれる愛情が俺は好き
俺も同じ気持ちを返す
もっと愛情がアイツに向けばそれがいい
アップしてる写真はケータイに保存してる数に比べたらホントにちょっとだけだよ
俺よりよっぽどイケメンだよね
でも服着せられるのすげー嫌いなの
ハロウィンもクリスマスも、めちゃ寒い日も絶対服は嫌がってめちゃ怒る
グレイマンのセットで、シャツ縮めちゃった!って笑ってた衣装の人がいて
それちょっとくれない?って言った
前にナイブズアウトのセーターの写真アップしてたんだよね
だからもっかいやったら絶対ウケると思って
映画が公開した時にさ
似合ってたよね
すげーいい犬なんだよ
ほんとに巡り合わせだなって思うマジで
犬飼ってる人なら分かると思うけど一か八かじゃん、飼った犬がどんな犬かなんて
当たりだったんだ

奥さんとか子供とか
家庭をつくる
したいよ
凄い創作をする人の話を読むとさ
俳優でも絵画でも作家でも
大体みんな人生振り返って大事なのは
発表した作品じゃなく人とどういう関係性を築いてきたかだって話す
どんな家族であり見つけた愛情はどんなで、それをどう分かち合ったか
それは僕の自分の人生
41年のながーい時間の中で、共感できる価値観だ
そういうことが一番大事だって
家庭でのしきたりとか習わしって生まれ育ちの中で俺は多く経験して
いいなって思うから、
それを自分もやりたい


言い争いは好きじゃない
怒鳴るのも苦手だ
相手をコントロールしたりするようなのもすきじゃない
どうかな、何が好みだろう
たとえば謙虚さってセクシーだなって思うけど
それって別に身体的な話じゃない
ただ知らないことがあるってことを認識できるって賢さだなって思うんだ
自分は間違っているかも知れないって知っていることは賢さだと思うし
ごめんねとか自分が間違ってたよって言えることは賢さで大人らしさだと思う
そういう弱さをちゃんと見せられてさ
なんだろう、口論で解決しようとしないというか
会話を意見の果たし合いの場にしない
そういう聡さをとてもセクシーに思うよ

愛を叫べるっていいと思う
愛情っていいよね
そういうベタな人間なんだよな
センチメンタルにもなるし
結構すぐ泣く
でもそういうのでいいと思う

いまの人生にもキャリアにもとても満足してる
だから変にプレッシャーも感じずにいられてる
他人にどう見られてるかも気にならない
完全に満足しきった人がいたらそれは落伍者だって格言があるけど
個人的には変な話だと思う
俺にとっては満足できるって究極のゴールだと思うんだ
満足してるからってそれ以上を望まないわけじゃない
フォーカスが少し他に移っただけだ
業界のことばかりじゃなくなった
最近は家にいてゆっくりするのがいいって思うってだけだよ

 

The Dance

Music: The Dance - Westlife ←

 

私の遊んでいるオンラインゲームは、
戦闘に出てくる仕掛けをみんなで力を合わせて攻略する。
日本語だとギミック処理という。
英語だと、たいていMechanicsと呼ばれているのだけどたまに、
みんなでダンスをする
と表現する人もいる。

お前あっち、俺こっち。
あ、そっちいってくれる? じゃぁここ対応するね。

ログインしている時間の大体は自分のことに夢中で
チャット欄もあまりちゃんと見ていないことが多いし
戦闘中になるともう自分のことにしか目がいかない。
誰かが戦闘不能になっても気づかないことなんてざらにあったけれど
最近ヒーラーさんという役目に挑戦していて
そういうわけにもいかなくなった。

でもどう頑張っても目が足りないから
いつか実装されている機能をONにして画面を録画し、
自分の知らないどこかでみんなのために戦っていた仲間の動きを
ゆっくり堪能してみたい。

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何らかの名目のもとに人が集まって営みをするとき
たとえその人々がどれだけ平和で安寧な時間のみを求めていて
積極的に負の感情を生み出そうなどという考えのかけらがなかったとしても
負という感情はどこにでも生まれる

一緒に過ごしている誰もわたしではない。
私が良いと思うことも
楽しいと思うことも
逆に良くないと思うことや楽しくないと感じることも
同じではないときはたくさんあって
そういう場面で、私たちは驚くくらいいろんな形で傷つくことができる。

行為や言動自体に傷つくというパターンもあれば
その行動を導いた価値観に傷つくこともある。
言葉の選択のひとつひとつや
何をもって良しとしどこまでを許容するかに現れる、
いわゆる価値観の違いというものを
私は
「自分が大切に思うものを他の人が同じようには大切にしないこと」
だと思っていて、
それは単純に
締め切りを守るかとか
敬語を使うかとか
集団というものに対する思い入れだったり
自らの尊厳やそれの重さに至るまで
自分が大事と思うことを、同じようには大事にしてもらえないとき
いかにその差を処理し昇華するかが、
どのような関係性を個々と築き、集って形を成すかに作用してくると考えている。

あるていど関係の築かれた集団においては
誰かの身に起きたことが、全員の日常を変えることがある。
変化に適応しようとするなかで求める新しい日常の形は
必ずしも本人にだって目指すイメージや方向性があるわけではないまま
だんだんと毎日か積み重なっていつの間にか日常になる。
振り返ってそれの指針となった価値観というものをたどることができることもある。
いっぽうで、こうなればよいという理想がある場合もある。
こういう風に変わろうと声をかけることもある。
その行動や発想だって、誰かが何かを大切にしているという原動力が働いていて
そこにうなずきがあったりなかったりすれば
またいろんな形でどこかで何らかの傷はつく。
どれだけお互いが言葉を尽くし聞く耳をもっていたとしても
ただただ分かり合えないということは存在する。

オンラインゲームという媒体に初めて触れてもうすぐ一年になる。
前知識もなく飛び込んで、極端に客観的な視点で感じることは
コミュニティ形成という社会活動を体験するにおいてなんと面白い畑なのだろうということ。
ゲームを一つしか経験していないし、
さらにその中のチームにしてもひとつしか経験していないから
それは例えば数ある星の中の一つの国に生まれてその国でずっと育っているようなもので
何が全体の常識であり、何が今の環境の特性で、誰のどれが個性なのか
あれこれ推し測りながら
その世界の中での自分というものを考えることは面白い。

どこに行ってだれと会っても
同じものを同じようには大切にしない他人の集まりの中に在る。
出会いの中で
何をどこまでなら自分だけが大事に思っていればよいのかをきっとずっと考える。
そうしてだんだん研ぎ澄まされていく譲れない大切なものどうしが
ふと高らかに共鳴するような瞬間に巡り合うことが、
かけがえのないよろこびであり、幸せだと思う。
それは不思議なことに、ちゃんと起こる。

100人という大きな数字の集団に籍を置いてみて、
人の出入りするさまを見ながらぼんやり思っているのは
所属と結束は違うものなのだということ。
ただそばにいる体温を感じていることと
手を取り合って踊るということは違う。
動くという必要があった時に、
これまで居心地のよかったぬくもりが思いもよらぬ方向に進発してぶつかることもあるのだ。

こういう時は、まずこちらの足を出します。
この音楽が流れたときは、このテンポで動きましょう。

という所作を、全員で確認する機会はあってもいいのかもしれない。
基礎練習あってこそのダンス。


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And now I'm glad I didn't know
The way it all would end, the way it all would go
Our lives are better left to chance
I could have missed the pain
But I'd have had to miss the dance

知らずにいてよかった
終わり方も どうなっていくのかも
運にゆだねて生きるがいい
この痛みを知らずにいることもできた
でもそれではあのダンスも踊ることはなかったんだ

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今日もエオルゼアで手を取り合って踊る。

Zero, plus one plus one

Music: 箱根の山は天下の険/風が強く吹いているOST - 林ゆうき ←

 

林ゆうきさんのコンサートへ行ってきた。
ハイキューをみて存在を知った方なので
2018年くらいからずっとその音楽を聴いていることになる。
あの頃も、その時の仕事を続けるべきなのか否かを悩んでいた。

当時、結局その仕事は退職し、
色々な繋がりでご縁があって、
この夏まで駆け抜けたプロジェクトに参加することになった。
その仕事も終わってしまって、
いま、
怒涛のように部屋を引き払い
運転合宿に入学し卒業し
見知らぬ土地に移って
新しい仕事を始めた。

1週間くらいは寝倒した時期も確かにあったはずなんだけど
よく考えるとちゃんとはお休みできていなかったのかなと思う。
未だに気力的に疲れている気がする。
惰性というか、慣性の法則というか、そんな感じで
つまり具体の意思をもって今の現実にたどり着くことができなかったのは
途中でハンドルを切ったりブレーキを踏んだりできなかったから。
いまもそういう方向転換のエネルギーを集められずにただ漠然と現実にいて、
だからより一層不満が蓄積していっている状態のように思う。

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林さんのコンサートを聴きながら
色んなことを考えたり、
もしくはむしろ何も考えられずに音楽と情景に身を任せたりしていたけど、
けっこう明確に気付いたことが一つだけあった。

そうか。
前の仕事の経験が特別だったのは確かだし、
全てが終わってしまったのは事実だけど、
そういう機会がもう二度とないと決めつけているのは自分だ。

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偶然が重なり合ったことで叶った、
見ていることにも気づかなかったような夢を、
今度は自分の意志と努力で追いかけるしかないんだ、きっと。
だからつまり問うべきことは、
今この現実に夢を見ることが出来るのか、ということに尽きる。

貪欲に、自分の戦う舞台はもう少し挑戦的なレベルの高いところがいい、と思う自分もいれば、
いや、今いるところの方が難易度は高い、
基盤すら整っていないところから最後までやり遂げてこそ挑戦だ、
と思う自分もいる。

単純に、前者が現実的な選択肢として登場してすらいないのに、
そういう想像をしているだけなのがきっと良くない。
自分がいるべきはここではない、という気持ちが少しでもあるのなら
それがどこなのかを探す努力はきっとするべきだ。
そして行ける場所を見つけて初めて、
動き出すのかとどまるのかを考えればよいのだろう。

そもそも当初はそういう予定だったはずだった。
とりあえず次の仕事があればよいという気持ちで就職活動して
いまのご縁をいただいて
その他の何かを探す余裕が時間的にも気力的にもなかったし
やっぱりきっととにかく疲れていたから
前向きでない要素もふんだんにあったのに今に流れ着いている。

だから確かに面倒だし
気持ちを奮い起こさなくてはだけど
やはり虎視眈々と他の機会には敏感でいよう。
ずっとここにいることになったとしても、
これ以外の可能性に目を向けることで
いま見えていないことの意味や価値にふと気付けることだってあるかもしれない。

動き出すということはいつだってエネルギーを使うし
しんどいことの方が多いけど
ただずぶずぶと現実に埋もれていくよりかは
努力のある自分のほうが許せるし許される気がする。

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2022年は
とにかくバランスを図ろう。
自分が何にうつつを抜かし
何からエネルギーを得て
何に努力を投資したいのかが
かつてないくらいどうしようもなくぼやけている。
それに少しでも輪郭を持たせたい。

特にFF14の扱いがむずかしい。
どうにもゲームの楽しさが現実世界での原動力に還元できていないというか、
ゲームの中だけで楽しくて、
その喜びそのままに仕事も頑張れたらいいんだけど
どうもそこが上手く繋がっていない。
なんでなんだろ。
夢中になって埋没するし時間を忘れて遊ぶけど、その行為が発散なのか充電なのかがいまいちまだよく分からない。
自分の価値観や観点を踏まえた発見や成長があって
そういうものなら現実に持ち帰りやすいのだろうか。
それとも単純に現実が重すぎて
ゲームがどれだけ楽しくてもいかんともなりがたいだけなのか(笑)。

来年初めはやっぱりいろんなことに手を出して
組み合わせや塩梅を試してみるしかないような気がする。
どういう時間配分で毎日を過ごすと気持ちが良いのか。
できるだけ長い息で続けられる生活の仕方を探していこう。
仕事も探しながら行こう。
無理に縛られることはないはずだ。
行ける所へ行こう。

まずは健康。
次に自由。
良い2022年になりますように。