ONE VOICE

     * ONE LOVE + ONE LIFE + ONE VOICE *        笑っていれば、イイコトあるよ  

The Dance

Music: The Dance - Westlife

 

私の遊んでいるオンラインゲームは、
戦闘に出てくる仕掛けをみんなで力を合わせて攻略する。
日本語だとギミック処理という。
英語だと、たいていMechanicsと呼ばれているのだけどたまに、
みんなでダンスをする
と表現する人もいる。

お前あっち、俺こっち。
あ、そっちいってくれる? じゃぁここ対応するね。

ログインしている時間の大体は自分のことに夢中で
チャット欄もあまりちゃんと見ていないことが多いし
戦闘中になるともう自分のことにしか目がいかない。
誰かが戦闘不能になっても気づかないことなんてざらにあったけれど
最近ヒーラーさんという役目に挑戦していて
そういうわけにもいかなくなった。

でもどう頑張っても目が足りないから
いつか実装されている機能をONにして画面を録画し、
自分の知らないどこかでみんなのために戦っていた仲間の動きを
ゆっくり堪能してみたい。

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何らかの名目のもとに人が集まって営みをするとき
たとえその人々がどれだけ平和で安寧な時間のみを求めていて
積極的に負の感情を生み出そうなどという考えのかけらがなかったとしても
負という感情はどこにでも生まれる

一緒に過ごしている誰もわたしではない。
私が良いと思うことも
楽しいと思うことも
逆に良くないと思うことや楽しくないと感じることも
同じではないときはたくさんあって
そういう場面で、私たちは驚くくらいいろんな形で傷つくことができる。

行為や言動自体に傷つくというパターンもあれば
その行動を導いた価値観に傷つくこともある。
言葉の選択のひとつひとつや
何をもって良しとしどこまでを許容するかに現れる、
いわゆる価値観の違いというものを
私は
「自分が大切に思うものを他の人が同じようには大切にしないこと」
だと思っていて、
それは単純に
締め切りを守るかとか
敬語を使うかとか
集団というものに対する思い入れだったり
自らの尊厳やそれの重さに至るまで
自分が大事と思うことを、同じようには大事にしてもらえないとき
いかにその差を処理し昇華するかが、
どのような関係性を個々と築き、集って形を成すかに作用してくると考えている。

あるていど関係の築かれた集団においては
誰かの身に起きたことが、全員の日常を変えることがある。
変化に適応しようとするなかで求める新しい日常の形は
必ずしも本人にだって目指すイメージや方向性があるわけではないまま
だんだんと毎日か積み重なっていつの間にか日常になる。
振り返ってそれの指針となった価値観というものをたどることができることもある。
いっぽうで、こうなればよいという理想がある場合もある。
こういう風に変わろうと声をかけることもある。
その行動や発想だって、誰かが何かを大切にしているという原動力が働いていて
そこにうなずきがあったりなかったりすれば
またいろんな形でどこかで何らかの傷はつく。
どれだけお互いが言葉を尽くし聞く耳をもっていたとしても
ただただ分かり合えないということは存在する。

オンラインゲームという媒体に初めて触れてもうすぐ一年になる。
前知識もなく飛び込んで、極端に客観的な視点で感じることは
コミュニティ形成という社会活動を体験するにおいてなんと面白い畑なのだろうということ。
ゲームを一つしか経験していないし、
さらにその中のチームにしてもひとつしか経験していないから
それは例えば数ある星の中の一つの国に生まれてその国でずっと育っているようなもので
何が全体の常識であり、何が今の環境の特性で、誰のどれが個性なのか
あれこれ推し測りながら
その世界の中での自分というものを考えることは面白い。

どこに行ってだれと会っても
同じものを同じようには大切にしない他人の集まりの中に在る。
出会いの中で
何をどこまでなら自分だけが大事に思っていればよいのかをきっとずっと考える。
そうしてだんだん研ぎ澄まされていく譲れない大切なものどうしが
ふと高らかに共鳴するような瞬間に巡り合うことが、
かけがえのないよろこびであり、幸せだと思う。
それは不思議なことに、ちゃんと起こる。

100人という大きな数字の集団に籍を置いてみて、
人の出入りするさまを見ながらぼんやり思っているのは
所属と結束は違うものなのだということ。
ただそばにいる体温を感じていることと
手を取り合って踊るということは違う。
動くという必要があった時に、
これまで居心地のよかったぬくもりが思いもよらぬ方向に進発してぶつかることもあるのだ。

こういう時は、まずこちらの足を出します。
この音楽が流れたときは、このテンポで動きましょう。

という所作を、全員で確認する機会はあってもいいのかもしれない。
基礎練習あってこそのダンス。


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And now I'm glad I didn't know
The way it all would end, the way it all would go
Our lives are better left to chance
I could have missed the pain
But I'd have had to miss the dance

知らずにいてよかった
終わり方も どうなっていくのかも
運にゆだねて生きるがいい
この痛みを知らずにいることもできた
でもそれではあのダンスも踊ることはなかったんだ

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今日もエオルゼアで手を取り合って踊る。