ONE VOICE

     * ONE LOVE + ONE LIFE + ONE VOICE *        笑っていれば、イイコトあるよ  

その度にやまない夢と 空の青さを知っていく

Music: カイト - 嵐  (アラフェス2020 at 国立競技場)

 

どうして今の仕事を始めたのですかって聞かれるたび
よくしてきた例え話がある。

私のいまの職は公的事業という位置づけなのだけど
私は、この仕事が世の中に必要不可欠だとは思っていない
この仕事が生み出された当時、
それよりも前、生み出されようとしていたころ
世の中には津波でお家が流されて帰る場所のない方がまだたくさんたくさんいて
そんな人たちの置き去りにして国は東京の埋め立て地に村を作りおもてなしをしようとしていた。
そんなことにお金を使うのなら、
なくなった家を
生活を
日常を
と思う気持ちがあって、
ずっと応援の気持ちにはなれなかった。

しかし人生とは不思議なものだから
私にその村と地続きになっているお仕事をする機会がやって来た。

きっと
世界線がほんの少し違っていたら、きっと諸手を挙げて飛びついたと思う。
それだけ魅力的な舞台だ。
その作業を構築するあらゆる要素は幼い頃の自分が思い描いた、楽しそう、の全てだった。
でも私はこの機会が存在すること自体に反対をしていた。
どうしたらよいのか。

こういう考え方をすることにした。

私には二人の知人がいた。
この二人が付き合いだした時に、私は反対した。
いまこのタイミングでは、
お互いがお互いにとって良い存在であるとは思わない。

けれどこの二人は私の意見を聞くことはなく結婚をした。
さて彼らは子供を授かった。
二人は、私に手を差し伸べて、一緒にこの子の面倒を見てくれないかという。
この子を育て、羽ばたかせることに力を貸して欲しい。

なるほど子供に罪はない。
生まれてしまった存在は間違いなくそこにあるのだ。
いまさら私がどういったところでそれが取り消しになるわけでもないし
この子がどんなものになるのか、楽しそうではないか。

----

あと少しでその子供が一人で歩き出すはずなのだけど
まったくもってどうなっていくのかわからない。

----

私はいま
この子供を育てるという覚悟をしたところから
けっこう遠いところにきていて
年齢順に待ち並んでいたはずの列を飛び出し
安心と安全を安易に手に入れようとしている。

立ち戻れば
私は安心と安全を、お家のなくなった人たちに感じて欲しかったのではなかったのか。
あの気持ちは嘘ではないし
まだここにだってあるはずなのに
その気持ちをこそ私は育てることをしなかった。
そういう選択をしたということなんだ。
だからこそ歩いてこれた道でもある。
呆れや苦笑こそあれ後悔はない。
ちょっとばかりの誇りだってある。

この安心と安全ですら、
すでに存在してしまっているもので、
私がそれを受け取らなかったところで、
大した違いを生み出すことはできない。
何も特には変わらないし
自分の思い通りにはならない。

なのでこれはありがたくお受けするべきなのだ。

…お受けするのが良いのだろうか。

----

Youtubeが突然、甲子園の好プレー集をお勧めしてきて
よく分からないまま泣いた

この春も夏も経験のできなかった子たちに
競技を続けてもらわなくてはいけない。
スポーツは、続けていけばきっといつか何かしらの感動につながる。
ただ一つのボールが上手く返せたとか
思ったように体が動いたとか
ただ気持ちよかったとか
そういう本当に一瞬の出来事が
きっと去年の夏も
今年の夏も
こえて
どこかで起こる可能性がある

そういう夢を見せなくてはいけない
そういう気持ちになる大会にしないと

----

接種を受けるかどうかは個人の判断に委ねますと言われている
受けなくても仕事はできる

受けたほうがいいんだろうか

なんでもっといろんなことが簡単にならないのかなぁ!
びっくりするくらい全てのことが複雑に絡み合っていて
何をどう解いたら
自分は正しかったと思えるのかが全然わからない
何を選んでも私には理由があり
何を選ばなくても私には道理がある

じゃあ何を選べば一番自分は心が許されるのだろう

世界が安心安全になってくれたら
どうしようもなくほっとすると思う
けれどそれは直ちに形になるにはないものねだりで
私の個人の努力ではどうにもならないんだよ

----

お仕事をしていて
いろんなところから支えてもらっている
世界の皆さんに思いやってもらって汲んでもらって
むちゃくちゃな計画変更も
信じられない辛抱強さと芯のある柔軟さでのんでもらっている

みんな誰かの夢をかなえたいと思っている
ほんとに、10秒くらい一度だけ走ってお終いの選手だっているのだけど
そんなことほんとにどこでだってできそうなのだけど
だけどそれだって夢だ

私のいまの頭では
何を大切にするのが正しくて
何が何よりも大事でよくて
どの夢がどうして優先されているのか
それを説明することがどうしても叶わない
なにもわからないよ

途中でやめることも勇気なのだろうと思う
声を上げることに意味だってある
反対だと思ったときに
それを主張していたら何かが変わったのかもって思うことだってある

だけど本当に本当のことは
これの最後を見てみたいということなんだ
どういう形であれ終わりのあるこの仕事のおしまいを
私はその一部で歯車で仲間として見ていたい

----

怪我も病気もないように
健やかで

それはとても難しく、有難くて贅沢なことだから
それこそを大切にしよう

自分でなんとかできる
このひとつの命のことだけを考えるとき
それはとても明確で間違いのないことのように思える

いまはそれにしか確信が持てないから
それを握りしめる
いい大人になって、ある程度の立場になって
そういう視野の狭さがとてつもなく怖いけれど
集中して頑張れることがそれしかないのも事実だ

その程度の器で、いま、頑張っている
そういう時間なんだ

ふんばれ自分