ONE VOICE

     * ONE LOVE + ONE LIFE + ONE VOICE *        笑っていれば、イイコトあるよ  

愛をひとつ またねまたね

Music: ただ声ひとつ - ロクデナシ

 

「ここではないどこか」が選択肢としてある、ということがわかった。
それを求めてあれこれ這いつくばって頑張ってきたはずなのに、
でもそこに本当に行きたいのかを判断できるキャパシティーとエネルギーが尽きた気がする。

このままここにいられたら楽だろうなと思う。
ここという場所が、もう少し居心地がよくなって、もう少し意味のあるものになって、
今ここに生きている自分の意義というものをもう少し感じられたら
何もせずにここに留まるのになって。

どこへだってまだ行ける精神で、
好奇心をもって、まだ見ぬ世界へ行ってみよう!という気持ちは
しばらく稼働していないけど、実際にはそう遠くない前にあれこれ夢想してわくわくした記録がある。
単純に歳を取っただけなのかなぁとか、
動き出すということが単純におっくうになってしまった自分の言い訳をあれこれ作り出しては確かめてみるのだけど、
結局は楽しようとしているに過ぎないと考えられる。
怠惰。

動き出すことがめんどくさい。
泥沼の中に立っていると考える。
そこから足を引っこ抜こうとするだけで重い。しんどい。疲れている。
何があるのかわからないけど顔を上げれば陸地は見えていて、
でもそこに行く意味と理由を自分に言い聞かせるのに手を焼いている。
必ずしもどん底まで沈んでいるわけではない自分。
息もできるし、それなりに視界もある。
ただ、泥にはまって、ある程度健康に、ある程度苦しみながら、
ごはんを食べ、横になって寝て、生活して、毎日を過ごしている。
これで満足してもいいはずだ。
これで満足ではないのか。
この問いに頷いている人たちと一緒に過ごしていて、
首を横に振ることにひどく自信を失った部分もある。
なぜ自分はここを居場所と思えないのか。
それは要は逃げ出したいだけなのではないか。
力が足りなかっただけ、やり方に工夫がなかっただけ、何かの努力が至らなくて
だから居たいと思えなくなっただけなのなら
それはもう少しここにいることで修正したりできないんだろうか。

マジカルに、奇跡的に、
自分自身が何もしないままでいても、
わたしがこの場所にいることの正義が成り立てば、
指ひとつ動かさなくてもいいのになぁ!

祈ることに飽きてしまった。
願うことにつかれた。
現状は変らないのだ。
あきらめる。前向きに。

いまがどうにもならないのは、ミスでも失敗でもなく
次の場所を覗くための背中を押してくれる手なのだと考える。
要は自分が息をして、
立ち上がり、
動きだす以外にいまできることはない。

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人はいつだって死ぬ。
いつかはどこへも行けなくなる。
何も見たり、聞いたり知ったりできなくなって、
時間の終わりが来る。

だから「やったことがある」は正義だ。
経験が増えることは正義だ。

やってみることにはそれだけで意味がある。

というわけで次のお仕事に行くわよ。

また引っ越しじゃー! :)