ONE VOICE

     * ONE LOVE + ONE LIFE + ONE VOICE *        笑っていれば、イイコトあるよ  

Where'd you wanna go, how much you wanna risk?

Music: Something Just Like This / Hungarian Rhapsody No. 2 - The Piano Guys

Inspired by - ハイキュー!! 394話


最近ずっと
Shadowhuntersのキャストの皆さんのおもしろインタ動画を見たり
Supernaturalのコンベンションの映像を見てその繋がりの強さに涙したり、
ArrowのStephen Amellの過去のインスタライブを見たりしている。

仲が良いというのは素晴らしい。
誰かが楽しそうであるというのは、それだけで人に前方を向かせる。

何を探しているのかは分からなかったけれど、
凄く安心した気持ちでいられた。
すでに終わりに辿り着いた、暖かいお話を見ている。
怖いことなんて何もない。
楽しいままで終わっていく。

----

「理想の最後」
というものを考える

----

夏に本番を迎えるはずだった私の仕事は
ひとまず来年に持ち越されていて
ホントにやるのかなあという気持ちが強くていた。

コンテンツとしては不要でも不急でもない。
本当に意義のあることは他にあって
それを私は知っている。
ずっと知っていた。

お仕事というのは不思議なものだと思う。
こんなに苦労して調整して
いろんな人を説得して、説明して、
本当に意味があるのだろうかと幾度も考える。
何をやっているんだろう。

面倒なことばかりのわりに、
生計を立てているということの以外に、人の命にも生活にも携わってはいない。
本当に本当に大切なことは
他に絶対にあるんじゃないのだろうか。

私は自分のしていることの意義を信じていない。
価値を信じていない。
この作業には意味があるのだと、
心を添えて口にすることなどできる気がしなかった。

面白そうだと思ったその気持ちだけがここにあって、
誰も何も助けたりはしないこの毎日を
誰にも言わずに
ただ恥じていたのかもしれない。

----

その日々が
そうして足掻いて這い蹲って重ねてきた時間が
何にもならないまま終わってしまうのかもしれないというのは
今思い返すととんでもない恐怖だったように思う。
持ち越しなのか、中止なのか分からない時期が3月くらいにしばらく続いて、
どっちでもいいから早く決めて欲しいという気持ちだけがあるように思っていた。

ほんとうに考えていたことは
いま思い起こしてみればいろいろある。

形にならなかったこの努力に
いったい何の意味があるのだろう?
準備の全てはしたけれど
本番には至らずに終わりました。
努力が正しかったのかどうかすらも分からない。
それが何になるのだろう?

どこにも行ける気がしない、と思った。
これが終わって、
ここで終わって、
終わり、そしてただ
先が途絶えると思った。
未来が終わる。

時限的に明確なゴールが私にはあって
あったのに
それはこの夏で
今年で
それはもう来ないのだと考えた。

何にもならない。
今までの漠然としたこれらは
このすべては
途中だった道のりは
どこにもたどり着かなかった。

----

「笑って終わりたい」
「勝って終わりたい」
その方が良いけど
どうでもいいとも思う

----

人生の小話の
ネタにはなると思った。
面白いとも思った。

プロジェクトが延期になって
それから先のことはよく覚えていない。

在宅勤務で
自室にこもって
楽しいものを見て
面白いものを聴き
美しいものに触れて
どこかに着地しようとしていた。
どこか安全なところに行きたい。

語り終えられたストーリーを見返すとき
そこには安らぎがあった。

無事に終わったんだなぁって。

何て羨ましい。

ゴールする。
それは
凄いことなんだよ。

-----

去年の夏
イベントごとがあって、
久しぶりに信じられない忙しくて、
手持ちの時間のたくさんを仕事に注いだ。
理不尽なこともたくさんあったけれど
時間をかければ解決したり糸口を見つけたりすることはできた。
誰も意地悪ではなくて
わざとではなくて
ただ足りなかったり及ばなかったりの集合体を
こうしたらああしたらの集合知で戦う、正当な試合だった。

思い返して考える。
あの時、
イベントが行われなかったら、
私は
私のあの時の努力は
なんでもなかったんだろうかって。

今あるように
手の及ばない曲がり角や行き止まりはこんなに突然やってくる

叫ばなくたって
私は悪くないことをみんな知っていて
心配することのひとつもないのに
どうしても分かって欲しくて いくつもいくつも寝返りを打つ
どこかにたどり着くと思っていたんだ
何かを達成できると思っていたんだ
この先にゴールがあると思っていたんだ

なんで
どうして

けれどその時が来なくても
来なかったとしても
知恵を絞ったことを私はきっと説明できる
説明するだろう
去年の夏、自分は頑張ったのだということには自信があった
たとえイベント自体が出来なかったとしても
出来る全てをやったことを
何とかして説明しようとする気概はあるように思える。

----

今日も 明日も
最後の前の日も
注意深く 手を尽くし
運良く
「いつ 終わってもいい」と
思っていたい

----

SPNがきちんと撮影を終えられたらいいなと思っている。
嵐さんが国立をできたらいいなと思っている。
自分だって。
楽しいと思うことを
楽しいと思うように
描いていた未来に向けて走り抜けられたらいいのにと思う。

けれどそんなことはもう分からないから。
この手で変えられないから。
未来というのは
来ないのかもしれないから。

達成できなくてもいいよ

満足できなくてもいい

----

Just something I can turn to
Somebody I can kiss

----

何かを成し遂げるという概念には、
到達したり満悦したりできるということには、
もしかしたら根本的に時限的な制約があるのかなぁって思う。
努力して積み重ねて大事に毎日を進んで行ったら
その日やその時やその瞬間が来るという大前提のもとに想定された祝福なんじゃないかなぁって。

でもその日が来なくても
歓べる方法を
私は探したいのだろう
今は
そういうものを目指してみたい

頑張っていたら数珠つながりで訪れるその時間を甘美なものにするために
下ごしらえとして行うべき準備としての
いま

と思っていた
けど

満足は出来ないのだろうと思う。
達成感もないのだろうと思う。
大抵の仕事はそうだ
終わって満足も達成もしても
こうしたらああしたらとは思う。
ただ満足する満足感というのはない。

だから時間に縛られない喜びを探す。
自分だけで定めることのできる何か。

例えば
それはきっと誇りだ。

----

頑張ったはずだという気持ちを
誇りに変えるとき
何故だか分からないけれど
その互換魔術にはいつも涙が伴う

あれはなんなんだろう。

悔しさが多い気もするけれど
でもそこには
何かに勝ったような晴れた気持ちも存在している

見逃していた何かを
不要と弾き飛ばした何かを
かき集める幼さ

いつ終わってしまっても
いつ潰えてしまっても
Look,
と言える何かを
心配しなくても本当は築いているはずで
それは今夏が来なくても
来夏がその日でなくっても
時限に左右されない空間で育んでいる
いまここで

辿り着かなくてもいい
届かなくてもいいよ

この仕事を成し遂げたらどうなるのだろうと思った原動力は
何を完成できなくてもきっとどこかに届く

命を助けなくても良いことにしよう
社会を変えられなくても良いことにしよう

純粋な好奇心を
良かったことにしよう

これが出来たら面白いんじゃないかと思ったことは
大切なことだったのだと

頑張ることには意味がある

これを終えたらどうなるのか
この仕事が出来たらどうなるのか
これを成し遂げた自分が見る世界を
覗いてみたかったという気持ちは間違いじゃない

けれどその未来がいつ
いつか
終わってしまっても
さびしくても
満足できなくても
胸を張れる

そういう時間を過ごしていると思っていたい

そういう努力を
そういう終わりのある物語を