ONE VOICE

     * ONE LOVE + ONE LIFE + ONE VOICE *        笑っていれば、イイコトあるよ  

愛をひとつ またねまたね

Music: ただ声ひとつ - ロクデナシ

 

「ここではないどこか」が選択肢としてある、ということがわかった。
それを求めてあれこれ這いつくばって頑張ってきたはずなのに、
でもそこに本当に行きたいのかを判断できるキャパシティーとエネルギーが尽きた気がする。

このままここにいられたら楽だろうなと思う。
ここという場所が、もう少し居心地がよくなって、もう少し意味のあるものになって、
今ここに生きている自分の意義というものをもう少し感じられたら
何もせずにここに留まるのになって。

どこへだってまだ行ける精神で、
好奇心をもって、まだ見ぬ世界へ行ってみよう!という気持ちは
しばらく稼働していないけど、実際にはそう遠くない前にあれこれ夢想してわくわくした記録がある。
単純に歳を取っただけなのかなぁとか、
動き出すということが単純におっくうになってしまった自分の言い訳をあれこれ作り出しては確かめてみるのだけど、
結局は楽しようとしているに過ぎないと考えられる。
怠惰。

動き出すことがめんどくさい。
泥沼の中に立っていると考える。
そこから足を引っこ抜こうとするだけで重い。しんどい。疲れている。
何があるのかわからないけど顔を上げれば陸地は見えていて、
でもそこに行く意味と理由を自分に言い聞かせるのに手を焼いている。
必ずしもどん底まで沈んでいるわけではない自分。
息もできるし、それなりに視界もある。
ただ、泥にはまって、ある程度健康に、ある程度苦しみながら、
ごはんを食べ、横になって寝て、生活して、毎日を過ごしている。
これで満足してもいいはずだ。
これで満足ではないのか。
この問いに頷いている人たちと一緒に過ごしていて、
首を横に振ることにひどく自信を失った部分もある。
なぜ自分はここを居場所と思えないのか。
それは要は逃げ出したいだけなのではないか。
力が足りなかっただけ、やり方に工夫がなかっただけ、何かの努力が至らなくて
だから居たいと思えなくなっただけなのなら
それはもう少しここにいることで修正したりできないんだろうか。

マジカルに、奇跡的に、
自分自身が何もしないままでいても、
わたしがこの場所にいることの正義が成り立てば、
指ひとつ動かさなくてもいいのになぁ!

祈ることに飽きてしまった。
願うことにつかれた。
現状は変らないのだ。
あきらめる。前向きに。

いまがどうにもならないのは、ミスでも失敗でもなく
次の場所を覗くための背中を押してくれる手なのだと考える。
要は自分が息をして、
立ち上がり、
動きだす以外にいまできることはない。

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人はいつだって死ぬ。
いつかはどこへも行けなくなる。
何も見たり、聞いたり知ったりできなくなって、
時間の終わりが来る。

だから「やったことがある」は正義だ。
経験が増えることは正義だ。

やってみることにはそれだけで意味がある。

というわけで次のお仕事に行くわよ。

また引っ越しじゃー! :)

今日の日をいつか思い出せ未来の僕ら

Music: アスノヨゾラ哨戒班 - ゆある

 

去年一年は
どう考えても忙しくて大変だった一昨年と比べても
つらくて、激しく劇的に苦しくて
その環境がどうにかなってほしくて
できることとか
自分が変われることとか
あれこれ考えたのだけど
結局どれも効力がなかったり
心が伴わなかったり
気持ちが単純に続かなかったりで
何も決定打にはならず
何も大きくは変わらないで
そのくせ日々の少しずつの上がったり下がったりはちゃんとあって
そういった小さな上昇を最大限に拾う技術に関しては一流の私は
そのささやかな喜びで期待して夢を見て
どこにも具体的に行くことなく
結局は全く何も変わっていない場所で
一年を終えた。

なんだったんだ。

何の成長もない一年だった。
恥ずかしいという気持ちがずっと付きまとっていたように思う。
語れる言葉を持たなかったし
見せたい情景を持たなかった。
エントリを書こうという気にもならず
写真を投稿する頻度も極端に減った。
音楽も聴かなくなった。
本も漫画も読んでない。
動画もどんどん見るものが短い時間のものになって
最近は一つのコンテンツをクリックして
途中で投げ出さず最後まで見たり読んだり聞いたりすることもできなくなりつつある。

飽きているんだ。

どこかへ行きたい。

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自分の置かれている状況に名前を付けることは
それなりに勇気のいることで
もう20年くらいも経つのにいまだにそうだったんだと認められない、
事故みたいな状況を胸にいくつか抱えている身としては
お前が愚痴ってるそれはパワハラだよ、録音したほうがいいよ
と言われた時のおどろきは
強かったというより
どっちかっていうとスローモーションみたいでゆっくりしていて重かった

だってパワハラっていうかさ。
変な特殊な人だなと思って。
極端に仕事ができないのに許されているおかしな人。
つまりは俺は仕事ができない!と大声でフロアのみんなに聞こえる声でアピールしているに違いないのに
本人はまったく気にしてないみたいだし、それが当然みたいな顔をしてるし
みんなもなんかおかしいなと思いながら、お前もっとちゃんと仕事しろよとは言わない
なんか不思議な感じだった。

でもそういう名前の状況なの、これ?

年末に、隣の席の子がついに崩れ落ちるように限界を迎えて
チーム戦で窓口や上司に話を入れたりしたけれど
心も頭も混乱の極致で
結局あれがなんだったのかとか
自分がほんとはどうするべきだったのかとか
これだけ純粋な困惑を人に振りかけておきながら未だに本人は何も知らされずふつーに過ごしてることとか
いまだにどう解釈したらいいのかよくわからん

これだけ自分の中で激動があったんだけど
それなりに大きなドラマだったんだけど
しかし現実にはその人はまだ自分のお向かいに座っているし
わたしも仕事に行っているし
なんだったんだまじで

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年始に久しぶりにCJとMimiちゃんにあった

会うたびに悲しいという気持ちで胸がいっぱいになるのをどうにかしたい。

親友だ!と思っていたころはわかりやすくて単純で
聞いてくれるから
言えなかったことを伝えたし
何一つ順序だてて説明は確かにできてなかったし
できてなかったんだけど
伝わってるように思ってたんだよねぇ

伝わってなかった
ということより
記憶にないんだ
ということのほうがどっちかっていうとどうしようもないなって思う
わすれられちゃったのなら
しょうがないね

改めて思い出してほしいわけじゃないし
もう二度とだれにもくりかえしては言えないようなことを
がんばってことばにしたつもりだったんだけど

伝わっていなかったのか
単純にそれだけもう昔のことなのか
CJもMimiもわるくないんだけど
でもまぁもういいや
うん

なにかがあった、ということを知っているのは
もうこの世界のなかでわたししかいないわけだから
なにもなかったでいいと思うんだ

そうおもってもう20年にもなってしまうのではないだろうか

毎日
なにかはあったよね
と寝る前にかくにんする
それは一瞬のことのようにも思うけど
本当はもっと長い時間なのではないかって最近思う
たいていは漠然としていて
具体的な状況を思い返すわけでもないんだけど
ただ感覚だけを思い出して
そうだね
なにかがあったね
と思って
思いながら
自分が眠るのを待つ

ありがたいことに不眠とかになるわけでもないので
翌朝もふつうに起きて会社に行く

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やるべきことはたくさん思いつくんだけど
まずは仕事を変えるということで手を打とうと思っている

お向かいの不思議くんに確かに混乱させられてはいるが
純粋に
自分が成長している!と思える業務ができていないし
簡単に言えばテンションが上がらない(笑)
お仕事ってもっと楽しかったと思うんだよね…

若かりし頃には次の仕事が決まっているわけでもないのに、辞めます!
と宣言して
気持ちを切り替えてから次のことを考えたりしたけれど
年を取ったからか
周りの人がそう言うからか
今の仕事をしながら次の職場を探している

これがつらい
想像以上に自分がわからなくなる

結局何をしたかったのかとか
そもそも動き出したい原動力が
目的地が魅力的だからなのか
現在地から離れる必要があるからなのか
どう見せるかにも気を付けないといけないし
そうしているうちに実際のところどうだったかもわからなくなって
なにをしようとしていたのかを忘れる

とりあえず今日は古巣に応募してみた。
近しくお仕事ご一緒してたのは10年くらいも前だったりする方も
快く相談に乗ってくださったりして
やっぱりいいところで育てていただいたなぁと思う。
といいつつ応募したポジションがほんとにやりたいことなのかとか
長い目で見て意義のあることなのかとか
すぐまた考え出したりしてしまって
こまったなぁ

でもどこかにはいかなくてはいけない
仮にここにいたのだとしても
何らかの形で違う場所を開拓しなくてはいけない

要は今のままではいけないということなんだけど

夢を見ている
もう少しだけ体が楽になるとか
気持ちが落ち着くとか
心が晴れやかになったり
明日が楽しみになったり
笑いたくなったり
だれかと会いたくなったりする
そんな日を
自分には作る力があると
信じられるのは今はそれくらいなので
まずは動くことだけを
どこかへは行こう

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最後の日常エントリが2021年の末日で
行ける所へ行こう。
と書いている。

そうだ。
そうしよう。

今のわたしだけじゃなくて
ここで苦しいって言ってる私だけじゃなくて
ここに来るまでのありとあらゆる場面での
強かったり弱かったりしたいろんなわたしを連れていく。

なんとかなる。

和訳 - 世界で最もセクシーな男性になったクリス・エヴァンスさんのインタ

www.youtube.com


こんにちは、クリス・エヴァンスです。
最もセクシーな男性の写真撮影にようこそ。
どうやらそれは俺らしい…、うちの母親が言うにはね!

どう思ったかって?
母親がめちゃくちゃ喜ぶなって
まぁ俺が何しても喜んでくれるけど
でもこれは母さんがみんなに自慢できるやつだから

俺自身にとっても老けてヨレヨレになった時のいい思い出にもなるよね
いやでもやっぱ友だちからあれこれ言われるだろうな
それはもうここぞとばかりに冷やかされるよね

ええ? 中学時代の俺がなんと思うかって??(笑)
たぶんすげぇ喜ぶ(笑)
イケてる系の仲間入りができると思うんじゃない
俺そんなに運動神経よくなかったし
スポーツはしたんだけどね
サッカーとかラクロスとか
レスリングも
でも別に得意じゃなかった
時間があったからやってただけでさ

最初の演劇は6年の時じゃなかったかな
姉貴が舞台やってて
彼女がやれば兄弟姉妹そろってみんな同じことしたし
すぐ自分で分かったよ、これが自分が好きなことだって
演劇のキャンプにも前のめりに参加したし
…そういうオタクっぽいとこがあるわけ(笑)
でもホント水を得た魚ってまさにそれで
凄く嵌った
ずっとやってても飽きない何かだった


初恋の有名人は…
Winnie CooperかElisabeth Shue…
いや、Punky Brewsterかも
ファーストキスはね
えっとね
マギー・サリヴァン
なんか暴露しちゃってごめんね
あ、でも前にテレビで言っちゃったことあるしいいか(笑)
たぶん6年生じゃなかったかな
学校の劇があって、主役になった
主役ってのは凄くてさ、主役パワーで突然モテるわけ
しかもモテる女子からモテる
でモテる男子生徒が何するかっていったら
そりゃ休み時間に木陰に連れ込んでキスだろ

最初にお金をもらって演技したのは7年生の時かな
ボストンにキャスティング監督がいてね
まだその会社続いてるんじゃないかな
ボストンエリアのキャスティングをしてて
どんな仕事だったかな
コマーシャルの… CD-ROMかなんかだった
超地元の広告だよ

いちばん仲がいいのは今でも地元の友達だね
一緒に育ってきた8,9歳くらいからの友達だよ
それが自分の子供時代で幸せだったことかな
仲間がマサチューセッツでしかもボストンにまだいて
ずっと変わらず仲良くしてる
みんな結婚して子供もいてね
おれさ、
この業界で、地元に友達がいない人は少し気の毒だなと思う
芸能界に入ってからの知り合いしかいないっていうのは
自分だったら寂しいよ
俺は実際の俺のことを知ってて側にいてくれるやつらがいる
がきんちょの俺を覚えててね
どの作品に出たとか関係ない

 

賭けはキャプテン・アメリカに出たことだよね
何度かは断ってた
引き受けるの不安だったよ
まぁ結局人生で一番間違いのない決断になるんだけど
オファー蹴ってたら、いまどんな風になってたか想像もできない
冒してよかったリスクだった

あの仕事が楽しめなかったらマジで頭どうかしてるだろ
お金もらいながら身体の健康に気を使って
子どもの時にやってた遊びを本気でできるわけじゃんか
庭を駆け回ってたヒーローごっこそのままにさ
人生の中で本当にいい判断をしたと思えることのひとつだよ
プロジェクトに飛び込んで、準備して
そりゃもちろん大きな挑戦でもあるけど
でも良い映画を作れた
努力した分だけ報われるし
凄く幸せなウィン-ウィンの関係だったよ
やっていて本当に楽しめてたし
ひとつの映画が終ると、休みがあって、それはうれしい
でもすぐまたやりたくなるわけ
いまもそう
でもあの一員になれたということに、ただとても感謝している

ここんとこしばらくキャプテン・アメリカみたいな役はやらなくてよかったから
食事制限とかワークアウトとかには意識を向けてなくて…ここ数年…
いや、やっぱちゃんとしなきゃダメだね(笑)
前はさぁ、若いときはさ、
食べたいもの食べて週に2,3回ジムで頑張れば大丈夫だったんだよ
だけど最近はだめだね
もうそうはいかないね
ビール2本飲んだらそれを身体が着るよね
でも良いんだよ、気を使えるようになるから
飲んだ水の量とか、睡眠時間とか、自分が精神的にどうかとか


やってみたい趣味? 
木工!
日曜日とかに朝起きてさ、音楽かけて、なんか創るって良くない?
じぶんだけの時間
木を使って何か創るっていうのがいいなって
家具とか
作業場があってさ、大きさ測って、切って、削って、っていう作業の繰り返しをしたい
癒されそうだし、心が落ち着きそうに思う

おれ音楽も好きで
楽器もいくつかやるけど
歌も歌うしダンスもするよ
でもさ、例えばね、例えば地球上に最後に残ったのが自分だったとしようよ
何でも好きだからさ
やってみたいっていう興味だけで新しく趣味を作っちゃいそうだから
で、
おれが地球上に最後に残ったら
歌うだろ
踊るだろ
で、木をいじりたい
そんな感じかな
だからね、歌うと踊るは、音楽はね、今もやるし続けるよ


うちの犬がくれる愛情が俺は好き
俺も同じ気持ちを返す
もっと愛情がアイツに向けばそれがいい
アップしてる写真はケータイに保存してる数に比べたらホントにちょっとだけだよ
俺よりよっぽどイケメンだよね
でも服着せられるのすげー嫌いなの
ハロウィンもクリスマスも、めちゃ寒い日も絶対服は嫌がってめちゃ怒る
レイマンのセットで、シャツ縮めちゃった!って笑ってた衣装の人がいて
それちょっとくれない?って言った
前にナイブズアウトのセーターの写真アップしてたんだよね
だからもっかいやったら絶対ウケると思って
映画が公開した時にさ
似合ってたよね
すげーいい犬なんだよ
ほんとに巡り合わせだなって思うマジで
犬飼ってる人なら分かると思うけど一か八かじゃん、飼った犬がどんな犬かなんて
当たりだったんだ

奥さんとか子供とか
家庭をつくる
したいよ
凄い創作をする人の話を読むとさ
俳優でも絵画でも作家でも
大体みんな人生振り返って大事なのは
発表した作品じゃなく人とどういう関係性を築いてきたかだって話す
どんな家族であり見つけた愛情はどんなで、それをどう分かち合ったか
それは僕の自分の人生
41年のながーい時間の中で、共感できる価値観だ
そういうことが一番大事だって
家庭でのしきたりとか習わしって生まれ育ちの中で俺は多く経験して
いいなって思うから、
それを自分もやりたい


言い争いは好きじゃない
怒鳴るのも苦手だ
相手をコントロールしたりするようなのもすきじゃない
どうかな、何が好みだろう
たとえば謙虚さってセクシーだなって思うけど
それって別に身体的な話じゃない
ただ知らないことがあるってことを認識できるって賢さだなって思うんだ
自分は間違っているかも知れないって知っていることは賢さだと思うし
ごめんねとか自分が間違ってたよって言えることは賢さで大人らしさだと思う
そういう弱さをちゃんと見せられてさ
なんだろう、口論で解決しようとしないというか
会話を意見の果たし合いの場にしない
そういう聡さをとてもセクシーに思うよ

愛を叫べるっていいと思う
愛情っていいよね
そういうベタな人間なんだよな
センチメンタルにもなるし
結構すぐ泣く
でもそういうのでいいと思う

いまの人生にもキャリアにもとても満足してる
だから変にプレッシャーも感じずにいられてる
他人にどう見られてるかも気にならない
完全に満足しきった人がいたらそれは落伍者だって格言があるけど
個人的には変な話だと思う
俺にとっては満足できるって究極のゴールだと思うんだ
満足してるからってそれ以上を望まないわけじゃない
フォーカスが少し他に移っただけだ
業界のことばかりじゃなくなった
最近は家にいてゆっくりするのがいいって思うってだけだよ

 

The Dance

Music: The Dance - Westlife

 

私の遊んでいるオンラインゲームは、
戦闘に出てくる仕掛けをみんなで力を合わせて攻略する。
日本語だとギミック処理という。
英語だと、たいていMechanicsと呼ばれているのだけどたまに、
みんなでダンスをする
と表現する人もいる。

お前あっち、俺こっち。
あ、そっちいってくれる? じゃぁここ対応するね。

ログインしている時間の大体は自分のことに夢中で
チャット欄もあまりちゃんと見ていないことが多いし
戦闘中になるともう自分のことにしか目がいかない。
誰かが戦闘不能になっても気づかないことなんてざらにあったけれど
最近ヒーラーさんという役目に挑戦していて
そういうわけにもいかなくなった。

でもどう頑張っても目が足りないから
いつか実装されている機能をONにして画面を録画し、
自分の知らないどこかでみんなのために戦っていた仲間の動きを
ゆっくり堪能してみたい。

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何らかの名目のもとに人が集まって営みをするとき
たとえその人々がどれだけ平和で安寧な時間のみを求めていて
積極的に負の感情を生み出そうなどという考えのかけらがなかったとしても
負という感情はどこにでも生まれる

一緒に過ごしている誰もわたしではない。
私が良いと思うことも
楽しいと思うことも
逆に良くないと思うことや楽しくないと感じることも
同じではないときはたくさんあって
そういう場面で、私たちは驚くくらいいろんな形で傷つくことができる。

行為や言動自体に傷つくというパターンもあれば
その行動を導いた価値観に傷つくこともある。
言葉の選択のひとつひとつや
何をもって良しとしどこまでを許容するかに現れる、
いわゆる価値観の違いというものを
私は
「自分が大切に思うものを他の人が同じようには大切にしないこと」
だと思っていて、
それは単純に
締め切りを守るかとか
敬語を使うかとか
集団というものに対する思い入れだったり
自らの尊厳やそれの重さに至るまで
自分が大事と思うことを、同じようには大事にしてもらえないとき
いかにその差を処理し昇華するかが、
どのような関係性を個々と築き、集って形を成すかに作用してくると考えている。

あるていど関係の築かれた集団においては
誰かの身に起きたことが、全員の日常を変えることがある。
変化に適応しようとするなかで求める新しい日常の形は
必ずしも本人にだって目指すイメージや方向性があるわけではないまま
だんだんと毎日か積み重なっていつの間にか日常になる。
振り返ってそれの指針となった価値観というものをたどることができることもある。
いっぽうで、こうなればよいという理想がある場合もある。
こういう風に変わろうと声をかけることもある。
その行動や発想だって、誰かが何かを大切にしているという原動力が働いていて
そこにうなずきがあったりなかったりすれば
またいろんな形でどこかで何らかの傷はつく。
どれだけお互いが言葉を尽くし聞く耳をもっていたとしても
ただただ分かり合えないということは存在する。

オンラインゲームという媒体に初めて触れてもうすぐ一年になる。
前知識もなく飛び込んで、極端に客観的な視点で感じることは
コミュニティ形成という社会活動を体験するにおいてなんと面白い畑なのだろうということ。
ゲームを一つしか経験していないし、
さらにその中のチームにしてもひとつしか経験していないから
それは例えば数ある星の中の一つの国に生まれてその国でずっと育っているようなもので
何が全体の常識であり、何が今の環境の特性で、誰のどれが個性なのか
あれこれ推し測りながら
その世界の中での自分というものを考えることは面白い。

どこに行ってだれと会っても
同じものを同じようには大切にしない他人の集まりの中に在る。
出会いの中で
何をどこまでなら自分だけが大事に思っていればよいのかをきっとずっと考える。
そうしてだんだん研ぎ澄まされていく譲れない大切なものどうしが
ふと高らかに共鳴するような瞬間に巡り合うことが、
かけがえのないよろこびであり、幸せだと思う。
それは不思議なことに、ちゃんと起こる。

100人という大きな数字の集団に籍を置いてみて、
人の出入りするさまを見ながらぼんやり思っているのは
所属と結束は違うものなのだということ。
ただそばにいる体温を感じていることと
手を取り合って踊るということは違う。
動くという必要があった時に、
これまで居心地のよかったぬくもりが思いもよらぬ方向に進発してぶつかることもあるのだ。

こういう時は、まずこちらの足を出します。
この音楽が流れたときは、このテンポで動きましょう。

という所作を、全員で確認する機会はあってもいいのかもしれない。
基礎練習あってこそのダンス。


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And now I'm glad I didn't know
The way it all would end, the way it all would go
Our lives are better left to chance
I could have missed the pain
But I'd have had to miss the dance

知らずにいてよかった
終わり方も どうなっていくのかも
運にゆだねて生きるがいい
この痛みを知らずにいることもできた
でもそれではあのダンスも踊ることはなかったんだ

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今日もエオルゼアで手を取り合って踊る。

Zero, plus one plus one

Music: 箱根の山は天下の険/風が強く吹いているOST - 林ゆうき

 

林ゆうきさんのコンサートへ行ってきた。
ハイキューをみて存在を知った方なので
2018年くらいからずっとその音楽を聴いていることになる。
あの頃も、その時の仕事を続けるべきなのか否かを悩んでいた。

当時、結局その仕事は退職し、
色々な繋がりでご縁があって、
この夏まで駆け抜けたプロジェクトに参加することになった。
その仕事も終わってしまって、
いま、
怒涛のように部屋を引き払い
運転合宿に入学し卒業し
見知らぬ土地に移って
新しい仕事を始めた。

1週間くらいは寝倒した時期も確かにあったはずなんだけど
よく考えるとちゃんとはお休みできていなかったのかなと思う。
未だに気力的に疲れている気がする。
惰性というか、慣性の法則というか、そんな感じで
つまり具体の意思をもって今の現実にたどり着くことができなかったのは
途中でハンドルを切ったりブレーキを踏んだりできなかったから。
いまもそういう方向転換のエネルギーを集められずにただ漠然と現実にいて、
だからより一層不満が蓄積していっている状態のように思う。

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林さんのコンサートを聴きながら
色んなことを考えたり、
もしくはむしろ何も考えられずに音楽と情景に身を任せたりしていたけど、
けっこう明確に気付いたことが一つだけあった。

そうか。
前の仕事の経験が特別だったのは確かだし、
全てが終わってしまったのは事実だけど、
そういう機会がもう二度とないと決めつけているのは自分だ。

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偶然が重なり合ったことで叶った、
見ていることにも気づかなかったような夢を、
今度は自分の意志と努力で追いかけるしかないんだ、きっと。
だからつまり問うべきことは、
今この現実に夢を見ることが出来るのか、ということに尽きる。

貪欲に、自分の戦う舞台はもう少し挑戦的なレベルの高いところがいい、と思う自分もいれば、
いや、今いるところの方が難易度は高い、
基盤すら整っていないところから最後までやり遂げてこそ挑戦だ、
と思う自分もいる。

単純に、前者が現実的な選択肢として登場してすらいないのに、
そういう想像をしているだけなのがきっと良くない。
自分がいるべきはここではない、という気持ちが少しでもあるのなら
それがどこなのかを探す努力はきっとするべきだ。
そして行ける場所を見つけて初めて、
動き出すのかとどまるのかを考えればよいのだろう。

そもそも当初はそういう予定だったはずだった。
とりあえず次の仕事があればよいという気持ちで就職活動して
いまのご縁をいただいて
その他の何かを探す余裕が時間的にも気力的にもなかったし
やっぱりきっととにかく疲れていたから
前向きでない要素もふんだんにあったのに今に流れ着いている。

だから確かに面倒だし
気持ちを奮い起こさなくてはだけど
やはり虎視眈々と他の機会には敏感でいよう。
ずっとここにいることになったとしても、
これ以外の可能性に目を向けることで
いま見えていないことの意味や価値にふと気付けることだってあるかもしれない。

動き出すということはいつだってエネルギーを使うし
しんどいことの方が多いけど
ただずぶずぶと現実に埋もれていくよりかは
努力のある自分のほうが許せるし許される気がする。

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2022年は
とにかくバランスを図ろう。
自分が何にうつつを抜かし
何からエネルギーを得て
何に努力を投資したいのかが
かつてないくらいどうしようもなくぼやけている。
それに少しでも輪郭を持たせたい。

特にFF14の扱いがむずかしい。
どうにもゲームの楽しさが現実世界での原動力に還元できていないというか、
ゲームの中だけで楽しくて、
その喜びそのままに仕事も頑張れたらいいんだけど
どうもそこが上手く繋がっていない。
なんでなんだろ。
夢中になって埋没するし時間を忘れて遊ぶけど、その行為が発散なのか充電なのかがいまいちまだよく分からない。
自分の価値観や観点を踏まえた発見や成長があって
そういうものなら現実に持ち帰りやすいのだろうか。
それとも単純に現実が重すぎて
ゲームがどれだけ楽しくてもいかんともなりがたいだけなのか(笑)。

来年初めはやっぱりいろんなことに手を出して
組み合わせや塩梅を試してみるしかないような気がする。
どういう時間配分で毎日を過ごすと気持ちが良いのか。
できるだけ長い息で続けられる生活の仕方を探していこう。
仕事も探しながら行こう。
無理に縛られることはないはずだ。
行ける所へ行こう。

まずは健康。
次に自由。
良い2022年になりますように。

なぁ、走るの好きか

Music: Starry Sky - 林ゆうき

 

ハローふろむTokyo!

今行きなさい、
と誰かが言ってくれたんだろうなぁというタイミングで
林ゆうきさんのライブ ← が今夜ある。
行く。
きっと泣く。
こうやって終わりにする一年なんだなと思う。

終わるのは2021年という年だけど
この数年をかけて辿り着いた区切りでもある。
さようならをしないといけない。

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本当は去年起こるはずだった今年の夏のイベントは
終わった直後も思ったけど本当に夢のようなことだった。

出来たということ自体が凄いけれど
それをあのチームで出来たということが
私には本当につよくつよく印象に残っていて、
それはいまの毎日を正直なところ辛いものにしている。

あの仲間と、もう一回仕事がしたい。

できることもできないことも含めて
私を知ってくれている人たちと
肩を組んで進むということの力強さと自由と勇気を
私は知ってしまったんだな。

新しい場所で、それをまた一から作っていくという作業を
徒労のように思ってしまっている今のうちは、
まだ毎日が以前のように充実したものにはならないだろうなって思う。
自覚はある。
できる努力をしていない。

まずは、諦めなくてはいけないんだ。
私のチームは解散して、
もうどこにだってないし、
新しい居場所を自分は作らなくてはいけなくて
それにはきっと意味がある。

意味があってほしい。

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2021年は、2020年の続きのような年だった。
正確には、2020年が終わらないまま今年に繋がっていたのかもしれない。
でも、終わって欲しくなかったことも含めて、
やりきったんだ、と思う。
終わった。

出来なかったことも至らなかったことも絶対にたくさんあるのに
後悔という感覚は何一つなくて
だからこそ、次につなげて努力しようという思いが生まれないのかも。
全く新しことを始めていると思う自分と
ただ続いているだけと思う自分とが
中途半端に混ざり合っていて、
結局自分が新人なのか玄人なのかよく分からないまま
今の職場をうろうろしている。
だけど
実際に新人でもあり玄人でもある。
悩むのはしょうがないんだろう。
そのバランス感覚を上手く見つけられれば良いのだ。
新しい場所に行って新しい人と距離感を図り
結果的に新しい自分になるのは
何も初めてのことではないはずで
そういうことを楽しいと思っていた時だってたくさんあった。

そういう元気が戻ってくる努力をまずしよう。
最近音楽をあまり聞いていないから音楽を聴いて
ゆっくり空を見たりもしてないから、
ゆっくりして散歩をするのもいいのかもしれない。
いまのこの瞬間の自分に期待するのをやめよう。
たぶんもう少し時間をおかないと、きっと何も出ては来ない。
まだ手探りで良くて、まだ何もできなくてもいいと思う。ことにする。
焦るのをやめて、じっくり。
虎視眈々。
来年はそんな年なのかな。

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風が強く吹いているは、
とにかく豊永さんの演技が凄く好きで
ずっと聞いていたい作品。
ちょっとした時の平たいトーンがハッとさせられる深刻さを持っていたりする。

ハイジさんのような、気の長くなる虎視眈々。
それを目指してみようかな。

まずは音楽をきいてくる!

Well, it must be a sign.

Music: Sign - Mr.Children

久しぶりに泣きながら起きた。
夢に感動してしまった(笑)。

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映画撮影の手伝いをしていたようで、プロダクションアシスタントか何かだったと思われる。何の映画だったのかは思い出せないけど、スポーツだったのかな、勝敗のある話だった。

若いころのKart Russellみたいな人が役者さんにいて、物語のクライマックスで(多分よくある最後の大きな試合の前、か後?)コーチ(かそれに類するポジションの誰か)に感動的なスピーチをされる。Kartさん(仮)の付き人みたいな感じだったのかなぁ、かなり近くで仕事をしていて、悪い関係ではなかったけどかなりピリピリ緊張しながら仕事していた感じだった。この人に認められたい、という気持ちがあったと思う。

撮影が終わってもう解散だねー、となり空港に行ったら、私が現実世界でこの夏お仕事を一緒にしたお客さんが何人か飛行機を待っていた。またねー、またねー、と言いながら挨拶をする。夢の中で仕事上の相方だった男の子が、あ、あの人とまた次一緒に仕事しますよ、どんな人ですか?と、現実世界で私のドイツの窓口だった方を指さしたので、「いい人だよ。優しくはないけど、でもいいひと」と言った。よく考えると失礼な言い方だけど、仲良しこよし人ではないけど、ご一緒していて気持ちのいい方だった、ということが言いたかった。

いよいよお別れということでKart Russell(仮)と会話。今まで完全にお仕事だけだったのに、それを通じていい関係性が築けている典型的なストーリー。最後に、すごいまっすぐに私の目を見て、作品の中で彼がコーチ(らしき人)に言われるスピーチを私に向かって繰り返してくれる。

Look how far we've come. I'm so damn proud of you.

嬉しくて感極まって、ありがとうありがとうと言いながら目が醒めた。

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明日から新しい職場に行く。

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2週間前に引っ越してから、1週間くらいは旅行などしてたし、実質的には1週間しか真の意味ではのんびりしてないはずなのだけど、正直誰とも出会わないし、ここでのリズム感もまだわからないし、何も始まっていない状況に飽きが来ている。一方で、仕事が始まってしまうとこうも自由気ままにはいられないし、それも嫌で、わがままな気持ちを抱えている。

必要に思われるおうちのアイテムが多く、とにかく散財し倒した。仕事が始まる前に何とかすべてをすっきり片づけたくて整頓アイテムの数々。あとは冷蔵庫/冷凍庫をおなか一杯にするために奔走。スーパーを探し出すのに3日くらいかかったぞ(笑)。とは言いつつ仕事が始まってみないと、日常の想像はつかないし計画も立てられないから、まぁそういう場所があるんだな、ということを把握した感じかな。実際に今まで発見した場所が今後も通う場所になるのかがわからない。職場がおうちからかなり近いのだけど、近すぎて間に何もないというありがちな弊害。

時間があるうちに、ゲームで新しいことを始めたりしてみた。新しいマウスを買い、新しいPCを買って、机も椅子も導入したし、いよいよ(ようやく)ちゃんと本腰を入れている感じ。とは言いつつ今後、現実世界でも交流を増やして、新しいこの地で生活をちゃんと根を張ってしていきたいし、結局は自分の日常が見えてこないと、何にどれくらい時間を取られて、ほかの時間をどう使えるのか、何とも言えないなぁと感じる。自分はこれから何をどれだけやりたいのか。どうやって楽しみながら生きていきたいのか。私の場合はそのすべての中心に仕事がある。人生で一番時間をかけるのが仕事だなぁ。学校で過ごした時間も、すでに凌駕しているのかなぁ? その時間を残念に思わないような過ごし方を、新しい職場でもできたい。

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この夏はいろいろ熱すぎて、いまだにあれをどうやって過去の一つの経験として片づけることができるのか、やっぱり見当もつかない。これから先に出会う事象のすべての比較対象にあの経験を引き合いに出してしまうのではないかという気がする。でもそうではなくて、きちんと分解して食べて消化して、自分のものにしてこれから得られる経験値とも混ぜ合わせていけるようにしたくて。

今朝の夢は、何かの思し召しだったのかな、と思う。次に進んでいいんだよっていう。なんの結論が出ていなくても、このまままた走り始めても、自分が頑張ったことも、この夏が素晴らしい経験だったということも、変わることはない。

今すぐにでなくてもいつかそうできる日が来る。そんな日を迎えに行く。そういう前向きな気持ちになれた夢だった。

明日からは引き続き武田先生の言葉を念頭に置いて、できるだけ白に近い気持ちでなんでも素直に受け入れる努力をしたい。

君たちの何もここで終わらない。
これからも何だってできる。

これからも何だってやろう。

素人なりの我がこの飛行方法

Music: Take Off!!!!! - 嵐

 

無事に卒業して名古屋に引っ越してきました。
実家から上京した時もそれなりの移動だったはずだけど、東京がある程度馴染みのある場所であったことを考えると、国内でお引越しは初めて。

いつも思うけど、新しい環境に国境をまたいで出くわすとき、何かと上手く行かなかったり自分の常識が通じないことを想定するので、何が起こっても大抵は「やっぱりな」という感じで心の始末が付けられるし、むしろ上手く行ったり何らかの共通点を見つけるだけで嬉しかったり楽しかったりで比較的前向きな気分で進められる。

日本語で日本の文化の中で、何かが上手く行かない時の心の折り合いは、やっぱり年を重ねるごとに難しくなるなぁと改めて実感する。難しい、とまでもは思っていないかもしれないけど、疲れやすくなった気がする。日本だからこうだろう、と思うことに「どうせ」とや「やっぱり」が付き始めたり、日本なのにそうじゃない、となった時の「なんでや!」に苛立ちが混じったりが増えてきている自覚がある。いつの間にかきっと、同じ雰囲気の、変わらない様式で楽に生活を営むことが、好ましいように思っているのかな。悪いことではないと思うし、それだけの道を歩いてきたということでもあると思うけど、もう少しだけ頭柔らかく生きたい。

とりあえず、生活に足りないものを足すための散財をここ数日続けている。気付いたことがいくつかあるので備忘録。

◆ 移動
自転車を手放そうかと引っ越し前に考えていたけど持ってきてよかった! 自転車in名古屋は非常に快適。いたるところに駐輪場があって凄く助かる。それから信じられないくらい歩道の幅が広い。

地下鉄が難しい。まず名前が覚えられてないという初歩的な部分もあるのだけど、一番困っているのは、地上の出入り口で「地下鉄」というサインがあってもそれが色分けやロゴで分かれていないので何線の地下鉄なのかが分からないこと。あれって何か見分け方があるのだろうか…?

◆ 買い物
土地柄なのだけどスーパーがない。実際に仕事が始まってから色々動線を考えるのだろうけど、仕事帰りにどっかに寄って買い物してから帰ってくる、みたいなのをどうやればいいのかまだ見当がつかない。コンビニは沢山あるんだけどな。

よく見かけるドラッグストアの名前がちょっと違う気がする。これは海外に引っ越した時に痛感したことだけど、お店の名前を見てそれが何のお店なのかが分からないのって結構時間を消費する。モールやデパートに行って店舗案内を見ても、実際に行ってみてみないとどういう傾向のどういう商品を売っているどれくらいの価格帯のお店なのかは把握できないんだよねぇ。とりあえず今自宅に一番近いと思われる聞いたことのないドラッグストアに来ているんだけど、ドラッグストアなのにカフェエリアがあり、さらにその向こうに八百屋さんエリアもあるし、総菜も置いてあって、いったい何のお店なのかとても混乱している(笑)。多分名古屋といえどもこれは普通ではない(はず)。

◆ 生活
「ないと困る」は大体揃ったので、あとは「あったらいいな」をいつどう揃えていくかなのだけど、大きな違いがゴミまわりで、これは今ちょっと困っている。以前住んでいた場所は、理由は良く知らないけれどペットボトル以外のプラスチックは可燃でまとめることになっていたし、ゴミ袋もコンビニの袋でもよかった。ひとり暮らしだと、このコンビニの袋(というかそのサイズの袋)でごみを出せるのって結構重要で、場所も取らないし、短いスパンで回収してもらえることに助かっていた。資源ごみを分けるの自体は手間とは思わないんだけど、それらを指定の大きめの袋に入れて出すというのが、結構やり方的に知恵を絞らなくてはと思わされるところで、どの大きさのゴミ箱を何個どこに置こうかでここ数日悩んでいる。指定の大きなゴミ袋が必要になるほどゴミは出ないと思うんだよな…。もっと小さいサイズのが実はどこかにあるのかなぁ?

急に寒くなって来たけど、名古屋って雪とか降るのかしら。確かに同じ国の中だけど、新しい土地であることには変わりないし、前向きな好奇心で開拓できたらよいな。一度日常ができると閉じこもってしまいがちだから、できるだけ意識と努力が今後伴いますように!(願

もういちど起きたら

Music: 新世界 - BUMP OF CHICKEN

日常というものを経験しなくなってしばらく経つなと思った。

免許合宿に来ていて、朝と夜はお世話になっているペンションで出していただく。
お昼は学校でお弁当が出る。
いずれもおいしいのだけど結構重い(笑)。

これまで自分は何を食べていただろうか? と考えて、
かなり長い間自分で作ったご飯を食べてないことに気づき、
その延長でしばらくの間、繰り返されるような毎日を送っていないことに気付いた。

コロナになる前は、私はお弁当族で、
週末にまとめて作り置きしてそれを持って行っていた。
今年、出勤となった時には料理よりも横になる方を選んだので、
けっこうしばらくお弁当はやっていない気がする。
大会が始まってからは『生活』というものをしなかったし、
ただ暮らすという日々の過ごし方を忘れた。

来月から新しい職場に行くのだけど、
どんな毎日になるだろう。

順調にいけば明日あたらしいお家に行く。
毎度の儀式のように、また初日は家具がないので床にヨガマットで宿泊となる予定。

非日常の楽しさもあって、それはそれで好きだけど
これだけ長く続くとちょっと疲れるな(笑)
そろそろお家に帰ってゆっくりしたいなーと思うタイミングで、
そうだった今は家がなくて、明日からそれを作らないといけないのだったと気付くと
ちょっと遠い目になる。
もう少しゆっくりやってもよかったな(今更)。

とりあえず明日ちゃんと卒業できますよーに!

With every broken bone

Music: I lived - OneRepublic

 

エントリを書こう、書きたい
と思ったまま毎日が連続していて過ぎていって
ちょっと焦る。

あまりに色んなことがありすぎて
脳みそが記憶するという機能を放棄しているのに
覚えておきたいことだという認識だけはできていて
だけどそれを何とか書き残すという力が出てこない。
そうしてるうちに気付けばゴールテープを切り
新しい一歩を歩き始めようとしている。

引っ越すことになった。
明朝、南のほうにいなくてはならないのに
台風が迫っているのに
でも東京を発つのは今夜ではなく明日の朝にしようと思ったのは
せめて何とかまた動き始める前に、
ここを完結させるという儀式をしたかったからに他ならない。
東京編が終わったことを書き残しておきたい。

とりあえず家は今日引き払ってしまったので
ホテルに移動し
もう眠くてしょうがないけどご飯を食べるために出てきた。
食べ終わったらもっと絶対に眠くなるから、お料理が出てくるまでに出来るだけ書く。
書くのだ私。

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大会期間中に毎日ツイッタを更新しようと思ったのは結構前のことで、
そもそもは起きた時間と眠る時間をざっくり記録しておけば
頑張ったことを後で振り返れるかなと思ったからだった。
何か中身のあることを書き記す余裕があるかどうかも分からなかったから
「おはよ」「おやすみ」でいいと思っていた。

今振り返って、全部は読んでいないけど、
言葉が残せて良かったと思う。
物凄い勢いで過ぎ去っていく今の連続が、
なんとなく積みあがって意味をなす時の気持ちとか
目に見ることはできないけど、でも頑張っていることを確認したいときとか
とにかく、時と共に失われない形で、
あのときの自分が残っていくことを確かめられたのは
大切なことだったように思う。

実際に誰が見ていたのかは分からないし、
誰も見ていなかったつぶやきもあったと思うけれど、
誰かの目を意識しながら、
今のこの状況は何だ、今のこのわたしは何だ、と問いかけられたのは
毎日のスピードに埋もれてしまいそうになったときにとても救いだった。

ふぉろわのみなさん
TLにいてくれてありがとう。

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ツイッタに残した瞬間の中に、幾つか鮮明に覚えているものがあって、
そのうちのひとつは、この夏がまるで人生のようだった思った時のこと。

最初のきっかけは、最初の式典の日の朝だった。
前夜に、主担当だったチームメイトが、あまりのプレッシャーから泣き出してしばらく泣き止めなかった。
人の準備も、モノの準備も、ことごとく天を仰ぐしかない状態で
もういよいよやばいという感じだった。

式典当日、朝起きて、晴れていたと思う。
職場に向かって潮風に吹かれて歩きながら、もう二度と今日は来ないんだなぁと、ふと思った。
これでおしまいかぁ。
やって来たことのすべてが、ただいっとき形になり、通り過ぎていく。

今年の夏の前半は、出来る限り毎朝、チームでミーティングをやっていた。
Whatever happens today, that's never gonna happen again.
と言った。
思い出になる一日にしよう。と。

あの日から、毎日ものすごく、
これでもうおわりなのだということに意識がいった。
もうこの夏は来ないんだって。
大事にしなくてはならない。

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最初に自分のお客様が帰っていく日、
実際にお終いが見えてきたとき、
ふと、人生のような夏だったと思った。
一度きりしかないと分かっていても、
結局息が続かず
疲れたり手を抜いたり頑張れたり頑張れなかったりした。
どれだけ心の底から、後悔なく全力でやりきりたい、と願っても、そうはならない。
でもそれを認めた時の自分の気持ちは、後悔ではなかった。
なるほど、そうやって人生を生きていくんだなぁって。
たった3ヶ月、もう二度とない、もう二度とない、とまじないのように唱えても
どこかでは疲れてどこかでは眠り、どこかでさぼって、どこかでがんばる。
その塩梅に、それぞれの気まぐれな自分らしさがあって、
少しずつ似たり、似なかったりしながら、
たった一度しかないこの命を使い果たしていくんだろう。

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もうひとつ、覚えてること。
とにかく気疲れしていたのは覚えている。
今やってることには意味があるということを思い出したくて
嵐のカイトを聞いた。
風の物凄い強い日だった。

とあるお住まいの隣を通った時に、
みんなが表に出て、みんなで画面を見て、みんなで応援をしていた。

嵐さんのカイトは
君の夢よ叶えと願う、のところでいつも泣きたくなる。

大きな歓声が上がったのを向かい風に負けじと進む背中で聞きながら、
あぁ、良かった、叶ったんだ、と思った。

あのとき、明確に
わたしはこの瞬間を忘れないんだろう、という
予言めいた気持ちを持った。

居住棟の間を吹き抜ける風の音まで覚えている。

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全てがおわって今、
自分にとってのこの夏を振り返り
それが何だったのかを考えるとき、
あれは
わたしの夢でもあったといまさらに気付いて、
たまらないきもちになる。

あんな風な仲間と出会い、
あんな様な舞台で、
あんなに夢中になって働くことは、
とても幼いころの自分の、眠りながら見るような類の、でも確かに夢で、
そんなことがあったらどんなに楽しいだろう、という純粋な気持ちで夢想した
そのすべてだった。

なんて幸せなことだっただろう。

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今日は、朝にお家を仕舞い、
午後はオフィスに行って解散をしてきた。

いつものように「お疲れ様でした!」と言っているときは何でもないと思うのだけど
おせわになりました、といって頭を下げるとその度にとてつもなく悲しくなった。
もっと一緒にやりたかった
もういちどやったらもっとじょうずにできるよ
またおなじチームでお仕事がしたいなぁ!
そういう、言っても何の意味もないことを、何度だって繰り返して思う。

もう、あの夏は来ないし
それはずっと前から分かっていたし
それがたった一度だけ生きるということで
だけど本当に楽しかった

楽しめたんだ、と思うと、それこそが一番の成果だと思う。
頑張ったんだなぁ。

やるべきか
居残るべきか
離れるべきか
そのすべての悩ましさも
答えが出なかったことも
未だに正解が分からないということも、それをこれからも悩むということも
全てを含めて
I lived.

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終わってしまったのが信じられないし
これまでの同僚が今日でいっせいに同僚でなくなったのが寂しいし
もう帰るところもなくなったのだと思うと、
まったく新しい転職の仕方でその消化の仕方にとてもまだまごついている

こういう新しい形の終わりを、私は初めて知る
そうして整理のできないまま走り出す
その前に少しだけまだ時間があるから
そこでまた思い出したり考え直したりしながら
この長かった旅を、きちんと覚えて置けるように整頓できたらいいな

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お料理は無事に出てきて食べ終わりました。笑
明日は早く起きて移動!
それから2週間くらい、いまさらですが運転免許の合宿する(笑)。
アメリカで取って失効してしまい、イギリスでも取ろうとしたけどマニュアルで頓挫したのを、
ここにきて気分転換もかねてやり直す。

お仕事が今月中旬に終わってから、
この2週間くらいただただ慣性の法則で何とか前に這い蹲って進んでここまで来た感じがする。
そろそろちゃんと体休めて、健康的な生活を取り戻したいと思います。
ストレッチ全然できてなかったからあっという間に体が硬くなってしまった…涙
まずはそういう基本的なところから。

また新しい場所へ行きますー
きっとこれからも楽しめるように。