ONE VOICE

     * ONE LOVE + ONE LIFE + ONE VOICE *        笑っていれば、イイコトあるよ  

夏休みも始まり

アメリカにはInternshipという授業としての職場体験みたいな制度があるんですが、その行き先を探しています。理想としてはこの夏にやるべきだったのですが、計画的に行き先を探していなかったので、結局先送りになってしまいました。できればテニス関係が良いんですが、どこまで非常識にやりたいことだけを追求したらよいものか、その判断がなかなかつきません。ATPやITFでInternshipがあればそれが何よりなんですけれど、それがなかったときじゃあ自分は何がやりたいのかということになると、Plan Bがどこにも見つからなかったりして、ほんじゃどうしよう、みたいな。現在インターネットで調べていますが、自分がやれそうなことと、やりたいことの差が大きく、どちらをどの程度の割合で追求するべきかの手加減が難しいです。

Japanese Gardenの仕事をやめようかと思っています。これは暫くずっと考えていたんですけど、どうも仕事がつまらない。だってGardenを見ているだけなんて私じゃなくたって誰でもできるし、8$貰ったってそれがつまらないのではハッキリ言って時間の無駄。人生の無駄。自分がGood atな仕事で自分を精一杯生かすというのが、私の理想的な仕事なんです。お金は確かに多くもらえたほうが良いに違いないけど、やりたくないことをやっていても、学ぶことなんて何もないし、将来的にも繋がっていく先がまるで見えないし、とにかくPositiveなことがまるで考えられません。うちの学校の体育館でCollege BasketballとかVolleyballとかの試合をやる時の会場設営班でどうやら人手を募集していると新しいSuitemateから聞きました。確かにそれは私が一番得意で一番やりたいこととは少し違うけれど、でも少なくともそういったものに繋がっていくであろう関りみたいなものを見出すことができる。お金もWageでそんなによくないけれど、一応Applyするだけしてみようかなと思っています。

アメリカに来て初めてRoommateが日本人になりました。2つ年下の子でいい子ですが日本人であるという理不尽な理由で私のなかになにか引っ掛かりがあります。とりあえず夏の学校には日本人が非常に多いです。特に寮のほぼ無いに等しい人口を考えると日本人はほぼ半分に近いかもしれません。今まで無難に日本人団体を避けてきた私としては、もちろん人間としてRoommateもそのお友達も大変好ましく思っているのですが、常に聞いているのが日本語であったり、自分の喋っているのが日本語であることに疑問というかUncomfortablenessを感じてしまうのが正直なところです。何か自分がすべきことを最大限にまでしていないという罪悪感のようなものがあり、それとなくストレスが溜まります。しかし困ったことにうちのSuiteにアメリカ人がいません。しかも皆さんこのくそ暑いのにドアを締め切ってばかりいるのでお近づきになろうにもどうしようも無い状態です。今までアメリカにいるからといって英語ができるようなるとは限らないという話を、自分とは正直なところ無縁に思っていましたが、こんな形で実体験する羽目になるとは思いませんでした。

忙しくないように思っていた夏も、実際クラスが始まってみると忙しく思えてくるから不思議です。実質的には時間もあるし、遊ぼうと思えば遊べるに違いないし、どこかに旅行に行こうと思えばもちろんいけないこともないと思います。ただ、そうしてしまうと、自分が今すべきこと、今年立てた自分に対する目標、やりたいと言った事に対して責任を持って全力投球すること、に対して不誠実になるような気がして、どうも気分が乗りません。もちろんどこかに旅行に行くことは経験にもなるし、そこから学ぶこともあるのだと思うのですが、頭の固い私は、やるべきこともやれてないのに、他のことに手を出しても中途半端に終わるだけという気がして、どうも乗り気になれません。これは何か? 人生を楽しんでいないということになるんでしょうか? 真面目すぎるんでしょうか? しかもこんなことを言いつつ、友達と夕飯を食べに行ってみたり、今みたいに経営学の本を読まずに現実逃避している私は、単に矛盾しているだけなんでしょうか? しかしなんだかんだ言って、つまるところ、私には私が正しいと思うことしか信じるものがないし、頼るものがないし、そして自分が感じている罪悪感がどんなに非論理的であれ否定できないものであり、自分に嘘がつけないのも真実なわけです。実際、本当に奥まで突き詰めた時、きっとそこにあるのは、忙しいとかではなくて、むしろめんどくさい、というのが自分に正直な理由なんだと思うんですが、それではいい人間として見なされないのが人間社会のまさに面倒なところだと、最近思います。