ONE VOICE

     * ONE LOVE + ONE LIFE + ONE VOICE *        笑っていれば、イイコトあるよ  

6月17日

Music: Everytime We Touch - Cascada

数ヶ月前にニノの誕生日エントリを書き始めたときは、
違う曲を聴いていたのですが、
今日ちょっとした出来事があって、
こっちの曲に変えました。

でもテーマは変えずに行きます。
席替え。

昨年の、
松本さんの誕生日の時に、私の思う嵐の配置図を描いたのですが、
今日は席替えをしようと思います。

身の程も弁えずに、果敢に挑戦します。
挑戦させて。

二宮和也は、本当は不器用である。

----

なんであんたなんだよ。
がんばって生きてきて。
せっかく信用できる大人が見つかったと思ったのにさあ。

流星の絆の最後で、ニノと三浦さんがビルの屋上で退治していたシーンを。

なんであんたなんだよ。

つつーっと落ちて行ったあの涙と、あの深呼吸を。

それを、思い出せば思い出すほど、あの時のニノは、悔しさではちきれていたと思う。
ああいう確固たる、あからさまな感情を持った二宮さんが好きで、
私は彼のお芝居を楽しみにしているのかもしれないという気がします。

二宮和也は、本当は不器用なのではないだろうかという説は、
実は私の中に前からわだかまりのようにあったのです。

それは嵐の皆さんをもってして「ニノは器用!」と断言される彼の性質に
真っ向から勝負を挑んでいるものなのですが、
でもやっぱりどうしても拭い去ることができない。

二宮さんは、外向きのベクトルで、とても器用なのだと思うのです。
それは言い換えれば、どう自分を見せるか、という点で、器用なのだと思う。

だけど、
ニノの内面にあるベクトルは、その天才性ゆえに乱反射の限りを尽くしていて、
二宮和也本人が、
二宮和也らしさを明確に把握する上で、
収集を困難にしているような気がするのです。

そういう意味で、彼はとても不器用なような気がする。

有り余る能力をもてあまして、
かえってどれをとってもほんものじゃない気がしているタイプ。
自分の中に湧き上がる物事の全ての可能性を否定できない人間、というか。

頭の中を支配するたくさんの声を黙らせるために、
あのとき、
彼はみずいろのDSをやっていたのではないかという気がする。

どこで読んだのか忘れましたが、確かニノが言っていた言葉だったと思うのです。
「言葉にしたらその時点でもうウソじゃん」

たとえそこに努力が必要だとしても、
やりさえすればデキる人間である彼は、
自分の中身を無理に言葉で理解するよりも、感じるままの体現のほうを好む。

・・・たぶん。

二宮レベルの複雑な内面となっては、それを上手く伝達する手段がないのだと思う。
だから、彼のインタビューはいつも謎なのです。
よく分かるようで、よく分からない。

それは、
物事をさまざまな角度から見すぎてしまう彼の視点のどこかに、
私たちは共感できるからであり、
その次の瞬間にまた切り替わってしまう彼の視点を見失うからなのではと思う。
この部分は分かるけど、どうしてここからそこに飛んだのか良くわかんない、という感覚。

ちょっと難解な数学の証明に似ています。

この内面のベクトルにおいて、
嵐の不器用大臣、櫻井さんは、非常に器用であると私は思っていて、
だから櫻井さんが進行をすると一般人にも非常についていきやすい流れを生み出せるし、
その清流に思いもかけない角度から突っ込んでくる二宮さんが成立するのです。

どちらが器用だからどうとか、
2人を比べて何がしたいとか言うわけではないのですが、
この器用さと不器用さの黄金比を、私は愛しているのです。

だって、

櫻井さんが身体表現や手先作業において不器用な割合で、
「あの」二宮さんが何かしらに対して不器用だと思ったら、
それがたとえ自分の妄想の丁稚上げだとしても、
それはちょっと愛おしい。

自分で勝手に築き上げた二宮さんの人間くささに、
私は安心感を覚えるのです。

そうしてみれば、
彼が無邪気に笑いながら、
普通の26歳として
誕生日を迎えた様が、
いともたやすく想像できる気がする。

こんななんでもないタイミングで申し訳ないけれど、
いまさらお誕生日おめでとう。

出会えてよかった。

まったくもって遅いけど、お誕生日おめパチする。Roxieさんの暴挙を赦す。