ONE VOICE

     * ONE LOVE + ONE LIFE + ONE VOICE *        笑っていれば、イイコトあるよ  

硫黄島からの手紙

人間の社会には思想の潮流が2つある。
生命以上の価値が存在する、という説と生命に勝るものはない、という説だ。
人は戦いを始める時は前者を口実にし、戦いをやめる時は後者を理由にする
田中芳樹銀河英雄伝説

良くも悪くも矛盾だらけの映画。
そして戦争って矛盾だらけのものなんだと、改めて実感しました。

家族のためにこそ戦う。
そして家族のためにこそ死にたくない。
戦場に出てなお答えなど出ることの無い矛盾。

そして銃口は向けられ、引き金は引かれる。
彼らは死に、何がどうなるということも無く、日本はただ敗北した。
何も変わらず、何も残らず、まるで意味も意義も無い。全くもって何も無い。
その虚無感をさらに募らせる、届くはずのない手紙。

しかしその手紙が届けられてしまうことによって、
虚無感に意味がもたらされてしまうというのが大いなる矛盾。

私はこの硫黄島の話に、最初と最後なんか無くてよかったんじゃないかと実は思う。
60年の時を超えた手紙など届かなかったほうがよかったと思う。
ニノがいうように、これを見たあとに残るものは、消えない傷と悲しみだけで、あとには何もない。
・・・であるべきだと思うんです。
でもね、だからこそ手紙は届いちゃいけないんだよ。
60年前のパン屋が経験した悲劇は、誰にも伝わらなかった。
彼の書いた手紙は、誰にも届かなかった。
栗林中将の描いたヒヨコは、誰にも見られなかった。
彼らの願いも想いも祈りも、誰にも聞こえなかった。
それでこそ、戦争で死んでしまった彼らの、本当の虚無感と絶望感と孤独感に少しでも近づくんじゃないかって、思うんです。
だから最初と最後はいらなかったと思う。
それでこそ加瀬くんの存在とニノの涙に、意味がもっと出てきたと思うんだけどな。

せっかくの映画という手段を使っているんだから、あんなおセンチな発掘シーンなんて要らないよ。
クリント自分で言ってたじゃんか。
この映画を見てもらい、その存在を知ってもらうことで、彼らの魂は救われるのだと思う、って。
彼らの死に、意味なんか持たせちゃダメなんだ。
あの洞窟の中で過ごしていた彼らの日常に意義なんかあっちゃいけないんだ。
全くもってなにも残らなかったという映画でこそ、彼らの存在が知ってもらえると思うんだけど。

アメリカでは反戦映画だと思われてるみたい。
でも、私はそれは違うと思うんだ。
メッセージなんて何もない映画だよ、これは。
限りなく淋しい映画でいいと思う。
そしてそこから、自分なりの解釈で、戦争はいやだと思えたらきっといいんだ。