例えばきっと
暗い会場にアイドルが灯れば
うだっていた熱気も舞い上がって駆け昇る
そんな妄想をしてみる
けれどきっと
暗い会場にただ一筋の声が透き通ったら。
もう何も動かない。
ゆらゆらと立ち上る白煙に影が浮かんだら。
もう誰も喋らない。
彼がその脚を地に降ろせば
前へ踏み出したら
軽く鳴らしたのなら
そんな想像をしてみる
それだけで、もう死んでもいい。
格好というものはつけるものではなく
良いか
悪いか
そのどちらかなのだと彼を見ていて良く思う。
格好がいいんだ。どこまでも。
私の思う大野智という人間を嵐という枠を外して悪く語ってみる。
ジコチューな人だ。
自己に忠実な男だ。
自分にだけ忠実であればいいと思っていて、そして自分にだけはいつだって誠実である。
決めたらテコでも動かない。嘘は吐く意味がない。言い訳はしない。
彼を負けず嫌いだと書いているインタビューをいくつか見かけたけれど、個人的には「負けず嫌い」という言葉が異質に思えて仕方がなかった。決め付けたような考えを言えば、「大野智」と「負け」と「嫌い」は同列じゃない。彼はそもそも負けたり嫌ったりしない。彼が気にしているのは勝敗や好みより、納得の問題だという気がする。
突き詰めて追い込んで最後まで高められた神の下す崇高な納得。
腑に落ちたその納得に誘われて出てくる感嘆の溜息。
それが大野智の本気。
泣いている大野智は素敵だ。
歌っている大野智は魅力的だ。
踊っている大野智は人類の神秘だ。
笑っている大野智は愛だ。
けれど黙ってそこにいる嵐の大野智は、ただそれだけで素晴らしい。
その存在と人柄に。
嵐ファンだけが触れられるそれが、プレミア的で、嵐らしい。
決められたリーダーよりも、あだ名で呼ばれるリーダーのほうが、真実に近い。
リーダーと呼びたくなる人。
だからこそ、じゃんけんで勝たなくてはいけなかったんです、あなたは。
お誕生日おめでとう。頼りにしてるよリーダー。
リーダーはどのグループにもいるが、キャプテンは嵐にしかいない。