ONE VOICE

     * ONE LOVE + ONE LIFE + ONE VOICE *        笑っていれば、イイコトあるよ  

自文

文章がうまくなりたいのなら
何があっても書くことをやめず
毎日書くことです。
どれだけの駄文でも
書き続けるしかないんです。

と、私の好きな小説ブログさんが書いてました。
なので書きます。

先週から例の件をきっかけにメールを頂いたりして、
それで、
あなたの書く文章が好きです。
と正面切って言われると
嬉しい。

それは例えば会社で自分の仕事を誉められるとか、
学校でテストの点を誉められるとか、
家で掃除を手伝って誉められるとか、
そういうこととは全く別物で
まったく丸腰の自分自身そのものを肯定されていることに、
一番近いからだと思うんですね。

ここに書いている文字が私です。
はじめまして、こんにちは。
と言って違和感がないだけの、
間違いようのない自分がここにはある気がする。
自由なんだと思う。
やりたいようにやれる。
いたいようにいられる。
それを「好きです」と言っていただけるのは
穴掘って隠れてもう一生出て来れなくていいくらい嬉しい。

ある方に「あなたの文章を読んで受ける感覚は川内倫子さんの写真に似ています」とメールを頂き、
そんな具体的に表現してくださったのがうれしくて
川内倫子さんの写真集を探しに行きました。

フライパンの上の目玉焼きと
死んだススメバチ
みずしぶきと


彼女の写真は
私にとっては痛いくらいに鮮やかで
鮮やか過ぎて
どこにでもある景観なのに
それはもう振りかざした一刀でばっさり一思いに斬り抜いたような鮮やかさで
彼女の写真に納まっていました。

とんでもなく恐れ多い話で、
これのどこが私の文章に似ているのかはちっともさっぱり分からないまま逃げて帰ってきてしまいました。
彼女の写真は、
痛かった。
ぎりぎりのような感じがした。

自分の文章というものを客観的に見るのは私にとっては非常に難しいことで
それはなぜなら私の文章が私のことを一番良く知っているように
私も私の文章のことをとてもよく知っているからで、
「という」を使うのが好きだとか
やたらと誇張したがるとか
「そして」の使い方が時々おかしいとか
たまにしつこいとかで
読み返すとげんなりしたりしなくてはいけなかったりするわけです。
けれど
「どれだけの駄文でも
書き続けるしかないんです。」

このブログを書くときは
上手く伝えよう、とは思うけれど
上手く書こう、と思うことはまずありません。
上手く書こう、上手く書かなくては!と思ったのは相葉さんの誕生日エントリくらいで
それはものの見事に失敗しました。
相葉さんを上手く書くのは無理だというのは今なら分かる(笑)。

エントリをこのブログであげるとき、
そこにはすでに書きたいテーマがあって、
そのテーマに対して自分の意見がなんなのかというのは前提としてあるわけです。
意見があるから書くわけで。

何があっても書くことをやめず
毎日書け。
と言われると、それは意外と難しい。
書くことがないと書けないよ! といいたくなる。

でも上手くなりたいと、最近思うんですよ。
これは何でなんだろう。
今までは別にどうでも良かったんですけどね。
きっと褒められて調子に乗ってるんだな(笑)。

川内倫子さんが、365日の写真日記を出してらしたので
私もやってみようとか思ったりした。
毎日何かをやる。
トイレとご飯くらいしか今までやったことないぞ。

こんなへんてこな始まりですが、
ここにあげられないかもしれませんが、
ちょっと毎日書いてみる。

言ってしまえばやるはずだ自分(笑)。


パチパチする


honokaさん> うぉーそうだ、SupernaturalってAUSでもやってるんだった! すっかり誰も知らないだろうと思って気楽に名前を出したはずが(笑)。honokaさんも見てるんですか? 私最近すっかりはまっておりまして。えぇ、それはもうホントに。どっぷりと。嵐さんと同じくらい。Jensenは書こうと思ったはいいものの、どう書いたらいいのか分からなくて今途方にくれているところです。Deanを語らずにJensenを語るって言うのはかなり難しいことに今更気づいたり。