Music: Why Georgia - John Mayer ←
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中国から帰ってきました。
滞在していた12日のあいだには、
忙しかった時期と、暇だった時期と、猛烈に忙しかった時期とがあって、
やっぱり印象に残っている日々というのは、忙しさの順番で並んでいます。
忙しければ忙しいほど、
見るものすべてが記憶に焼きつくものだと思う。
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パソコンから離れて、
自分の足で立って、
歩いて、
駆けて、
今
ここにあるもので、いる人で、
今できることを、今しかできないから、今
今やろう
なんか
とても、血の通ったお仕事をさせてもらったと思った。
ふとしたことで泣きたくなるのは、
その熱さと温かさが、まだ、
残っているから。
この胸の昂ぶりは、
誇りと言うのだと思う。
光栄な12日間でした。
数年後にどこにいるか分からないけれど、
中国を思い出すときには、
晴れなのに霞んで見えない朝の青空と、
忙しさのなかで笑い続けたあの瞬間が確かに充実していたことを、
思い出せる自分でいたいと思います。
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中国の広州というところに行ったのですが、
日本語も英語も伝わらなくて、
結局何も分かり合えないまま、帰ってきてしまった。
お互いにいつも、感じ合った程度で、不安な感じで、
どちらがどれほどどう努力しても歩みよれない絶対的な壁が厚かった。
バベルの塔は、確かに神の逆鱗に触れたんだろうね。
これだけ、分からない、と言うことが具体なことを、いままで感じたことは無かった。
中国語ができたらなあと思った一方で、
自分が英語が喋れるということについて、
改めてその価値と可能性について気付くことがいっぱいありました。
私は、ほんとうは分かり合えない人と、分かり合えるチャンスがとてもたくさんあるんだね。
何の産物であれ、私の得たその能力で、
いつかどこかに橋が渡って、新しい何かが生まれるかも知れない。
それは、とても未来のあることなんだと思った。
英語を初めて、いつか役に立つから、という理由で、勉強しつづけよう、と思う。
今までは、自分の想いが英語で形にできることが大事で、
それだけの力が維持されていればいいかな、とか、
とても自己中心的に思っていただけだったのね。
だから現状維持に酷くこだわっていたのだけど。
でも、もうちょっと世界を広げてもいいんじゃないかなあと思った。
自分の第一言語は、何語でもいいんだ、いまは。
どちらのほうが楽かとか、そういうところは、もうどうでもよくなった。
オプションとして、いつももう片方で、同じ想いを伝えられるだけの、幅と応用力がほしい。
それはつまり、
英語を忘れたくないから、日本語の本を読まないとか、ニュースを英語で読むとか、
そういうことじゃなくて、
気になったことを何語でも取り入れて、
それを別の文化から見て、別の言葉で語るとどうなるのか、ということに、
興味を向けるということなんだと思うんだ。
だから、これからはそれを実践していく予定。
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中国で仕事をしていた時に、
いまのこの仕事を、今後いつまで続けていくのか、というところに答えはでなかったんだけど、
いまのこの職場で、何を学んでいけるのか、ということは、
結構具体的に探し出せた気がするんです。
私の課のCさんという女性がとても素敵な方で、
何が素敵かというと、
どこを諦めて、どこを譲らないで、どこに着地するか、
ということを、何をやるにも常に自分の中に確実に持っているんですね。
私はそれにすごく憧れている。
私は、意見を持つのは不得意じゃないんですが、
その意見を護るのが苦手。
思いもしなかった別の意見が出てくると、
浅はかな自分のミスのような気がして、足元から崩れる。
気がつくと、結論に原形がない。
押し通そうとするのではなく、
護り切る、という彼女のスタイルに、少しでも近づきたいと思う。
柔軟だけれども、きちんと芯は通っていたい。
休みだった訳ではないけど、日常の業務から離れたことで、
頭もだいぶスッキリしました。
明日行って、
もう一度きちんと確かめてこようと思う。
まだ色んな自分になれる。
どこにだって、
まだいける。
おかえり!いってこい!ぱちぱち。