ONE VOICE

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感情論と理論と未来

Riekoさんのサイトにお邪魔して日記(May3)を読んでいたのですが、こちらに来てからずっと考えているようで自分の中で結論が出ていない問題に気付きました。日記でテーマになっていた結婚後の役割分担もそうなんですが、Gayが結婚し、子供を育てるのはありかどうか、ということです。
私は、Gayについてはカンペキにオープンで、道徳に背いているとか思うことはありません。Long BeachはGay人口が多いのもあって、友人の中にもHomo-phobiaの人はまるでいません。個人的な意見としてはGayが結婚するものありだと思うし、その愛の元で健やかに育っていけるんだったら、子供を持つのもいいと思います。でもこれは私個人の言ってしまえば感情論で、社会にそれがどういう影響を及ぼすか論理的に考えると、それが果たして人類進化の点で良い判断だとはあまり思えません。
私は感情的に離婚に反対だし、論理的にも反対です。それはどうしてかというと、例えば父親だけに育てられた娘さんは、母親が家族という組織の中でどういう働きをするか見たことがありません。母親と父親の関係、子供と母親の関係それと比べた子供と父親の関係。「かくあるべき」家族像がない人はどうやって家族を築いていくのでしょうか。もちろん両親そろっていなくてもそれぞれ幸せだと思うところに向かって、幸せな家庭を作られる方もいるでしょう。でも両親のいる家庭で暮らしたことがない、というだけで生まれる葛藤は間違いなくあると思うのです。
さて、ここでGayの結婚子育て問題を論理的に考えると、これと同じ結論になります。Gayに育てられた子供がHeteroだった場合、彼らは異性の両親の元、家族がどのように機能するかを知りません。さらに父親と母親の区分がない分、親としての確かなRole-Modelがなくなるわけです。こうなってくると、論理的にはGayの子育てには反対せざるを得なくなります。

結婚問題は論理的にも賛成できるでしょうか? 私は常々思っているのですが、Gayという性癖の存在だけでGay人口を増やす可能性はないでしょうか。私は自分のことをBisexualだと思っている部分があるのですが、先天的には確かにHeteroですから、もしこの世にGayが一人もいなかったら、自分が同性を好きになるとはこれっぽっちも考えないでしょう。たとえ考えたとしても、きっと自分が狂ってしまったとか考えて、その関係がうまく行くとは思えません。しかし現実に私は同性愛が存在することを知っていますし、その愛が真実であることも知っています。この事実は私に「同性を好きになっても良い」と示唆してくるわけです。そしてここにめでたく後天的バイが増えます。そして同性では子供を作ることはできません。「いるだけで害」とはどこかのあほが口走った言葉ですが、私も言ってることは程度こそ違え同じです。むかつきます。でもそう思っている自分も本当です。
現在の南CAでは、phobiaは古い考えの頭でっかちだと思われています。信仰心ばかりで思いやりと許容範囲がないと思われています。男女の役割分担に話を戻しますけれど、実は私は男性が社会に出て働き、女性が家庭に入るのが自然だと言う意見に賛成です。何故ならそれは間違いなく自然に興った人間社会での習慣だったからです。他の国のことはよく分かりませんが、少なくとも日本ではそうでした。自分の世代のことだけ考えるのなら、もちろん女性が結婚後も社会に出て働くのも良いでしょう。彼女がそうありたいと望み、旦那さんがそれをサポートするならそれ程素晴らしいことはありません。がんばって働いてください。しかし自分の子孫のそのまた子孫の生きていく人間社会を考えた時、果たして男女の差がなくなった社会はどんなものだろうと不安に駆られるのも本当なのです。私は女性と男性は体の構造だけではなくてそれぞれに違った何かを持って生まれてきたのだと信じている部分があります。女性に多い思考回路や、男性に多い感情の持ち方、よって違う表現の仕方。その差は、父親であるためや、母親であるためにあるのではないかと思うのです。そしてその違いが一番良く発揮される場は、男性にとっては社会であり、女性にとっては家庭であるような気がしています。それを崩して3後訪れる世界に家族というすばらしい営みが存在し得るのか、私は不安に思うのです。