ONE VOICE

     * ONE LOVE + ONE LIFE + ONE VOICE *        笑っていれば、イイコトあるよ  

靖国。Hiroshima loves peace!

世の中いろいろだよね。昔寮にいたときも、家庭の有り方っていろいろなんだなぁと思ったし、高校にいた時も人って様々だなぁと思ったけど、アメリカに来てからは、人って色々だなぁと思うよりも、人の感じ方っていろいろだなと思うし、モノの見方って様々だな、と思う。

例えば特に用事もないけど、ただなんとなく行きたくないから、行くのイヤっていうのは、なんか日本だと簡単だった気がする。意味もなくだらだらしてマッタリしたいという感情を共有するのが、日本人同士だと楽だと思う。アメリカ人にはマッタリするっていう概念がそもそもないから、暇さえあると、どっか行こうとか、なんかしようとか、ちょっと落ち着きがないんだよね。そういうのを断る時に、特に「これ」という理由がないと、まるであたしがちっともまったく行きたくないように思われるのが面倒だ。

それから例えば、二次大戦をアメリカを財政難から救った素晴らしいものとして授業で扱うところとかね。モノの見方って様々だなと思ったよ。あの日は物凄くショックを受けたのを覚えてます。戦争ってしてよかったものになるのか!みたいな。でも二次大戦で負ける前まではきっと日本もそう思ってたんだよね。戦争のたびにお金や土地やなんやかんや手に入るわけでさ。だからもちろん戦争で亡くなった方にはご冥福を心からお祈りするし、苦しんだおじいちゃんおばあちゃんには、生き延びてくれてありがとうと言いたいけど、戦争を経験しなかった現代の若者が、言いたいこと言っちゃうと、やっぱり戦争、負けてよかったと思う。だってあたしは戦争のない国に生まれてよかったし、出来ることなら戦争のない時代を生きたいと思うじゃない。

お参り行くのは勝手だよね。行く人が行けばいいと思うし。行かない人は行かなければいいと思うし。でも行く行かないを公約にしちゃって、それを実際行動に移すときに、いやこれは個人で行ってるものだからって言うのは、それってどうなのよ? と思うわけ。韓国や中国が気を悪くするからやめろというつもりも別にないけど、自分の行動が中韓を刺激するべきものでないなら、それを相手に分かってもらわないと、私たちいつまでも進めないんでは? これから先、首相が変わるたび、八月十五日が来るたびに、日中韓靖国神社を真ん中にああだこうだと言い続けるんでしょうか。

昔アメリカ人の友達に
"I'm sorry about Hiroshima"
と言われて
"I'm sorry about Pearl Harbar"
と答えて、二人で笑ったことがあるんだけど、こんなまんまでいつか日中韓もそうなるんだろうかと、ちょっと疑問に思っているわけです。