ONE VOICE

     * ONE LOVE + ONE LIFE + ONE VOICE *        笑っていれば、イイコトあるよ  

ベルリンに届けられた手紙

アメリカに住んでいる私はアラシゴトの情報収集において
韓国、台湾、タイ、インドネシアベトナムのアジア各国を中心に
その他ヨーロッパ諸国の皆々様から結成されている
多国籍軍にお世話になっています(笑)。
その中でドイツはベルリンにお住まいの方が
今回のベルリン遠征、細かい挨拶のレポートをしてくださっていましたので適度に訳して載せます。
スケジュールがよく分からないので、前後メチャクチャだとは思いますがお許しあれ。

~上映直前の舞台挨拶にて~
お辞儀の文化のないドイツにて、舞台に登場。
手を振って答えるケン・ワタナベの隣に立ちながらお辞儀で返すニノがかわいかったそうで。
謙さんがドイツ語で挨拶をするも、ちょっと彼女には分からなかったよう。
でもその努力が嬉しかったとのこと。
そしてニノ。
「日本語ですみません。この映画に出られて一番よかったのはここベルリンに来られたことです! ありがとうございます」
ちゃんとドイツ語に訳してもらって笑いもとっていたとのコト。やったぜニノ!(笑)
次が伊原さんだったのですが、英語で
I'm Tsuyoshi Ihara. Please remember me. I'm Japanese actor.
ワタシハ ツヨシ イハラ デス。オボエテクダサイ。ワタシ ニホンノ アクターデス。
と言って会場を笑わせたあとに、英語でなんとか映画の説明をしようとしたようですが、途中で分からなくなってしまったのか、
...I'm Tsuyoshi Ihara.
ワタシハ ツヨシ イハラ デス。
で締めてしまって大爆笑だったとのコト。いいね伊原さん[:イケテル:]
そしたらば会場の通訳兼司会進行のおねいさんが、伊原さんのアクセントを真似して
Thank you very much(ドモ アリガト ゴザイ マシタ)といいながらクリントを
Mr. Clint Eastwood(ミスタ クリント イ~ストウド サン)と紹介し
紹介されたクリントはいかにも慣れた感じで
Enjoy the showと一言だけ言って颯爽とはけていったそう。
さすが。かっこいい。

追記
上のリンクを発見しました。こちら。

さて私もニノが記者会見で途中でリーダーとの妄想でもしていたのか(笑)
話を聞いていなかった部分はエンタメか何かで見せていただきましたが
ちょっとクリントのつっこみの訳が違っていて
どういうことかと思っていたんですが、この動画を見てようやく分かりました。

ドイツ語で同時通訳が入っているのでちょっと聞き取りにくいのですが、
大まかな内容は多分こんな感じ。
プレスコンファレンスの一幕~
ニノは紹介された時いすに座りながらちょこっとお辞儀をしたものの、イヤホンをとって立ち上がってピョコピョコとお辞儀をする(かわいい)。
さて、例の放心のくだりは見た方のコメントによるとどうやらもともとは香港の記者の質問で、
「一つ目の質問は監督になのですが、日本人のキャスティングはどうやって行い、なぜニノミヤサンを起用することにしたのですか? 二つ目はニノミヤサンになのですが(こっからはちょっとよく聞き取れないのですが)ハリウッド映画に出たことであなたの世代のスーパースターになったといわれていますが、それはどんな気分ですか?(とか多分こんな感じ)」
というのがあり、クリントが
「日本にキャスティングを担当してくれる方がいて、オーディションもしてくれたんだけど、ニノミヤサンを見たときに『これが僕の探していた西郷だ』とすぐに思ったんだ。疑問なんて微塵もありえなかった(There was no doubt.)。オーディションをしてくれた人はテープを送ってくれたんだけど、それがニノを知った最初だ。他のキャストもそうやって決めたんだ」
と話しているうちに、おそらくニノは自分の質問もクリントが答えてくれたと思ったのかもしれません。せっかくクリントと司会の方が、二番目の質問のために「ニノ、ニノ」とふってくれたのに
「ハイ? あっ、ごめんなさい・・・」という始末(笑)
しかもそこでそのとぼけ具合に
「これがホントのキャスティングの理由だよ。」とクリントにからかわれる(笑)。
(This is why I casted him. He doesn't understand.)
やられてるニノが顔を覆うあたりがかわいすぎてたまらない。
気を取り直して質問に答えたところによれば
「職種は違うんだと思うんですが・・・俳優ではございませんし、
日本では歌って踊っていますし・・・五人で。
グループで活動しています。
自分がもし日本の史実に基づいて、うちの祖父・・・おじいちゃんを尊敬できるような
・・・そのときにはもうおじいちゃんは亡くなって・・・ちょうど亡くなったときだったんですが
何一つ・・・親孝行というか、そういうことが出来なかったので
なにか形に残ったらいいなという、そういう思い出この仕事に臨みました。
参加して、自分が知らない日本がそこにはあったし、
もちろん自分の知っている日本もそこにはあったので
なるべくそれを肥大したり誇張したりして伝えるのではなく
ただ淡々と、伝えられたらなと思って。参加している最中はそう思っていました」

最後の方はちょっとドイツ語がうるさくて分からないので
みなさまそれぞれお聞きになって理解してください。(投槍)

それにしてもみんながニノミヤサン、ニノミヤサンと連呼しているのが面白い(笑)。
そんな感じです。