鬼束ちひろ no.2
2006年に書いた、鬼束ちひろの第一弾エントリはこちら。
人は迷子になるということを
抱いて歩いていけるかな
-僕等 バラ色の日々-
鬼束ちひろの歌が探求し続ける居場所は、沈黙である、と思う。
ただ黙って私の主張を聴け、というだけの緊迫感がある。
おそらくそれは、多分彼女がこの現実において本当に切羽詰っているからであって
伝えたい何かよりも、言わなくてはならない本当の何かをちりばめ続けているからだと思う。
魂が宿る唄、というのはきっとある。
だから鬼束ちひろの歌は、優しさであり絶望でもある。
絶望だけを歌っているようでありながら、どこかに労りがある。
それはきっと、その絶望は間違っていないと、やさしく黙って傍にいてくれる暖かい空気のような安らぎがある。
責めることはしない。
肯定もしない。
けれど聞いていてくれるような。
いいんだよ、と。
何が。というわけでもなく、ただ、いいんだよ、と囁いてくれるような。
そんな暖かさ。
それを彼女自身があわせ持っているから、だから彼女の歌は、どうしてもやさしくなってしまう。
だから彼女の魂がどこまで追い詰められても、彼女は崩れ落ちたりできないのだと思う。
だからこそこんなにも胸に迫る絶望があり、暖かなやさしさがゆたう。
Goin'on
Goin'on
-Everyhome-
どんなに遠く逃げていっても、
彼女にはこれしかないはずだ。
そう思わせるだけの切実さの帰還に、
私たちはただ黙って泣けばいい。
僕等 バラ色の日々はいい曲です。がんばれ鬼束。負けるな。
僕等 バラ色の日々はこちら。
人は迷子になるということを
抱いて歩いていけるかな
-僕等 バラ色の日々-
鬼束ちひろの歌が探求し続ける居場所は、沈黙である、と思う。
ただ黙って私の主張を聴け、というだけの緊迫感がある。
おそらくそれは、多分彼女がこの現実において本当に切羽詰っているからであって
伝えたい何かよりも、言わなくてはならない本当の何かをちりばめ続けているからだと思う。
魂が宿る唄、というのはきっとある。
だから鬼束ちひろの歌は、優しさであり絶望でもある。
絶望だけを歌っているようでありながら、どこかに労りがある。
それはきっと、その絶望は間違っていないと、やさしく黙って傍にいてくれる暖かい空気のような安らぎがある。
責めることはしない。
肯定もしない。
けれど聞いていてくれるような。
いいんだよ、と。
何が。というわけでもなく、ただ、いいんだよ、と囁いてくれるような。
そんな暖かさ。
それを彼女自身があわせ持っているから、だから彼女の歌は、どうしてもやさしくなってしまう。
だから彼女の魂がどこまで追い詰められても、彼女は崩れ落ちたりできないのだと思う。
だからこそこんなにも胸に迫る絶望があり、暖かなやさしさがゆたう。
Goin'on
Goin'on
-Everyhome-
どんなに遠く逃げていっても、
彼女にはこれしかないはずだ。
そう思わせるだけの切実さの帰還に、
私たちはただ黙って泣けばいい。
僕等 バラ色の日々はいい曲です。がんばれ鬼束。負けるな。
僕等 バラ色の日々はこちら。