ONE VOICE

     * ONE LOVE + ONE LIFE + ONE VOICE *        笑っていれば、イイコトあるよ  

転世薫風

*映画じゃないですが、moviesカテゴリ扱いです*
*ですので通常通り、ストーリーの細かいところにも躊躇なく触れます*


そもそも演劇をDVDで鑑賞するということが間違っているので、偉そうにあーだこーだ言うのは正しくないと思うんですが、自分の記録ということで色々書きます。演劇を嗜んだことがないとか、映画といえば洋画ばかり観ているとか、転世薫風を語るにあたってその資格はあまりないことは本人自覚しておりますので、ご容赦ください。

*ケッコウ辛口です。自己判断でお願いします*

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見終わって最初に思ったことは、「ワケ分からず」ということでした。
アリガトというその言葉の重要さがまったく分からず、非常に突発的な発言のようにすら見えてしまったので、正直この話の筋が何だったのかなんてさっぱり分からず、これは一体全体なんだったんだろう?という、謎に包まれた30分を過ごしました。しばらく色々考えてみたのですが、薫の残した「アリガト」という言葉と、その扱われ方の別格具合から逆算するに、この物語は「伝え繋がり広がっていく想いの大切さ」をコアに据えた物語で、そういう視点を定めてイチから見直せば、たぶん全てのつじつまは合うし、それなりに感動も出来るのかな、と思いました。

舞台をその場で見るのと、DVDで見るのとの違いはこういうところで大きく出てしまうんだと思うんですが、私には薫が持つ自己表現にかける夢や情熱といったものが、あんまり重要なものとして伝わってこなかったんですね。これが致命的。恐らくは、大野くんだからこそ委ねられた、才蔵と二人でダンスを踊るシーンは非常に印象に残るべきで、そこでダンスについて熱っぽく語る薫を、私は最後まで忘れてはならなかったんだろうと思うのですが、あまりのメルヘン演出に私はなんだか猛烈に恥ずかしくなってしまい、とてもじゃないけど笑わずに見ていられなかった、というのが最大の敗因です。完全に負けた。言ってみればStar Wars Episode IIで、パドメとアナキンがアハハウフフと意味もなく笑いながらお花畑を転げまわる、という羞恥イチャイチャシーンに非常に良く似ています。それはつまりどういうことかといいますと、薫と才蔵もしくはパドメとアナキンはいい仲になる、あわよくば出来上がる、という観客の正しい先入観を利用して、ストーリー上では全く二人の相性の良さであるとか、惹かれあう想いであるとかが正当に語られていないのに、強引にラブラブシーンに突入して、話を展開して、事無きを得るということです。簡単に言えば手抜きです。

いいんですよ、手抜き。そんなん良く使われる手です。しかし問題は、よりによってそのシーンで伝えたいメッセージを語り始めてしまったことにあると思うんです。「想いが伝わっていくのを見るのが好きだ」という薫の夢が語られるのはこのシーンだけです。そして薫はその夢のために氷室から逃げているはずで、その夢のために再び過去へ戻り、その夢が実現できる世界を作るために仲間を救おうとする。しかしその描写がいちいち弱い。人を死なせたくないという想いの描写のが明らかに勢力が強く、表現の自由を有する世界を求めている薫さんはどこを探しても影が薄い。そこに来て「アリガト」とつぶやかれても、ピントはボケてしまったまま元に戻らないので、なぜ感謝されているのかもよく分からない。

受け取り方としては、「想いを伝える」という夢を紡いでつないで、僕まで届けてくれてアリガト、ということなんですよね? たぶんね? う~ん。雑音が多すぎる。

この舞台のプロットが出来上がる前から、きっと薫の「俺たちの世界に繋がっていくんだ」辺りのせりふは固まっていて、むしろそれを言わせたいがためにあれやこれやと登場人物を組み込んで行ったように見えます。おかげで人物設定があやふやであったり、無理があったりと手抜きが結構見られる。

テロや戦争はびこる2006年に生きる青年として、薫の安直な和に対するアプローチの仕方は、まったく持ってリアリティーにかけます。争いごとの有る無し、という観点から見た2006年は、薫の言う「お百姓と侍が手を取り合って」などという夢物語には程遠い。薫は一体どの世界の2006年を生きているのか? という不思議は最後まで拭いきれませんでした。そんな人間が平和を説いて仇討ちなどやめさせようという流れは詭弁以外の何ものでもありません。世の中そんなに甘くない。人の心はそんな簡単に変わらない。

氷室に至っては申し訳ないですが、未だにこんなベタな設定の悪役を使う人がいることにちょっとビックリ。2006年にこんな単純明快なワルがいるか! せめて、世界中を愛で溢れたよりよい世界にしたいから、キミは犠牲にならねばらなん!的な二律背反くらいは欲しい。オレの夢の実現のためだけに死ね! とか、ビックリするくらいしょぼい。10割の悪ほど、ストーリーを構築する要因として萎えるものはありません。

そもそも現代の設定にしてしまったのはなぜなのだろう? 2006年でなければならない理由など正直なところどこにもないわけです。演出的にもストーリー的にも2006年当時にこの舞台を見ていた人が感情移入できる現代感なんて全くないし、むしろ怪しげなタイムマシンしか2006年の場景として使われないので、この際いっそ、戦争もテロも貧困もない素晴らしい近未来とかから話を始めたほうが良かったのでは、とか思ってしまう。

舞台としてどうこうとかよりも、ひとつの物語として、余分なものが不必要に主張しすぎた感が否めません。話の筋が思い出したようにひょこひょこ出てくるだけだったのがアダとなり、最後の一言で感動となるはずが、困惑しか生まれてこない。役者さんは皆さん素敵だっただけに、残念です。

黄色い涙のレビューを書いたときに、「私が大野さんに求めているのは、極端に言えばディカプリオなんです」と言いましたが、まさにビンゴで、非常に満足させていただきました。予想を遥かに超えて、大野智は素晴らしかった。双子の兄というよりは、非常に遠い親戚なんじゃないかと思います。似ても似つかない。ギャップに驚くかと思ってみていたんですが、もはやギャップというよりは完全な別人としか見えず、特に新たにときめいたり、仰天する機会も逃してしまいました。役者として、とても好きです。このノリだとテレビ画面やスクリーンでは大げさに映りかねない上、本人も好きじゃないらしいからアレですけど、声優とかやってくれたら面白そうだな、とは思います。リーダーをより好きになるというよりかは、好きな俳優さんが新しく一人増えたというレベルの収穫です。とにかく圧巻でした。まだニノのマラソンを見ていないのですが、ぜひリーダーバージョンのマラソンも見てみたい。と強く心に思った次第です。

余談になりますが、ストーリーのモチーフとしてAshton Kutcherのthe Butterfly Effect(邦題バタフライエフェクト)があると思います。こちらはサスペンススリラーですが、よく練られているいい映画です。お時間が有るときにでもどうぞ。


パチパチする


4/9 スピルリコさん>実験SP4は非常に素晴らしかった。もー満足。幸せいっぱい。一般の方にもウケそうな「コメディーの基本」が凝縮されてたと思いましたけど、実際どうだったんだろう? 嵐の皆さんは笑いが媚びてないところが好きです。上品なんだけど、ものすごく身近に面白い。・・・そろそろ実験見届け人は要らないんじゃないかと(こそこそ)