ONE VOICE

     * ONE LOVE + ONE LIFE + ONE VOICE *        笑っていれば、イイコトあるよ  

曇天に笑う

 Music: それでも私は - 藤田麻衣子

 

アニメと漫画「曇天に笑う」のネタバレを含みます。(ひょっとしたら「外伝を読め」「劇場版を観ろ」で片付く物事を羅列しているだけかも、という気もしている。)

アニメを見るのが下手くそだという自覚がある。どういう作画やヌルヌル感があると凄いことなのかの基準が全くないし、何話のパッケージだったらどの程度のクオリティを求めるのがリーズナブルなのかもよく分かっていない。そしてどういう物語進行や人物描写をするのがアニメらしさなのかも受け取り方にいかんせん悩む。こなした作品の数が圧倒的に少ないのでただの経験値不足だということはわかってる。承知してる。ちゃんと最初から最後までみたのってだって、ハイキューとガルガンティアくらいだし。CLANNADやらワンピやら黒バスやら銀魂やらところどころ見ているけど、しっかり物語を追ったものってホントに数がない。

曇天に笑うは、見終わった後に、結局これって何だったのだろう?という疑問が強く残った。登場人物はみんなそれぞれ魅力的だったし、目的にしていた中村さんの声は素敵だったし、初めてちゃんと聞いた梶君はやっぱりうまいなぁと思ったし、何より全てを超越して心を攫っていったのは、櫻井キサマァアアア!という気持ちだった。つまり場面場面でそれなりにウハウハして十分楽しんだけど、一方で費やした時間に対して進んだ物語があまりなかったというか。いや、進んだんだけどね、大蛇はきちんと退治され平和がやってきたということは理解した。けどこれ、いったい何の話だったんだべ??

謎を抱えた私がしたのは、漫画を買う、ということだった。私のアニメの見方が下手くそだったから拾うべきプロットラインとか、気付くべき隠された感情とか意図とかがあったのかな?と思ったんだよね。話の順番は漫画とアニメで導入部に結構違いがあって、これはこれで興味深く読んだのだけど、やっぱり最初の感覚は消えなかった。これは、誰を主人公だと思って辿ると正解の作品なんだろか。

アニメの最初の数話で、あ、これひょっとしてクレジットは中村さんが1番だけど天火じゃなくて空丸の話か?と思い、基本的にはそういうスタンスで見ていた。漫画もここら辺の視点配置は同じだったように思う。なんだけど、空丸の話として完結するには、空丸はあまりにも何も知らないまま作品が終わってしまったと思ったんだ。 

この物語が描いた空丸の変化や成長は天火との関りが軸にあって、天火に見て欲しい追いつきたいその穴を埋めたい、という大きな流れの中で、彼の原動力になっていたのは「何故兄貴はオレに何も教えてくれないのか」という燻った気持ちだったと思うんだよね。これは最後の最後まで昇華された描写がなく、アニメでも漫画でもびっくりするほど直線距離でぶっちぎり急ぎ足だった最終話後半の、画面外でいつのまにか話がついてしまっている。いや、あの調子だと天火がのらりくらり交わして空丸はいまだに何が起こったのか知らないっていうことだってありうるのかもしれない。ようは、空丸が兄に頼ってもらえるくらいの、兄と肩を並べられるくらいの自分になりたいという気持ちで動いていた話のはずだったのに、最終的にその部分はカタルシスを全くもって迎えないまま話が終わってしまった。え、なんで。最後の「愛してくれて云々」と「愛させてくれて云々」がなんや突発的に感じたのは、多分私が考えていた空丸の物語の流れに沿っているように思えなかったからなんだろう。

漫画を読む際には、キャスト表を素直に受け取って、これは天火の物語だったのだろうか、とも考えようとした。なんだけどやっぱり天火がどういう人間なのかが本当によくわからなかったんだ私には(致命的)。生来ああいう明るくて破天荒な人間なんだ、と鵜呑みにするにはあまりにも兄貴として出来すぎていたし、だからこそそういう人として生きて行くに至るまでの内面の葛藤に絶対に魅力があるはずなのに、そこがとにかく語られない。漫画でもアニメでも(特に前半)、天火は基本的に他人に語られることでのみその造形を成していて、かえって内面がよく分からない人間のまま最終話を迎えてしまっていたと思った。そしてようやく本人の口からこれまでの葛藤が明かされた、と思ったら、作品が終わった。えっ。実験部屋での彼の自分に言い聞かせるような独り言とか、蒼世の隣で倒れてしまった時の一連の会話と彼のしぐさが語っていた辛さなんかを、もう少し早いうちから小出しにしてくれていたら嬉しかったなぁと思う。ああいう人物描写があってからの6話じゃない? 振り返って考えて、器かもしれない弟二人を置いて行くことを知っていた割にはなんと無責任な退場の仕方か。そこには絶対に天火の主観でしか語れなかった大きな苦しみがあったはずなんだ。そこは出し惜しみするところではなかったと思うんだよなぁ。

実際のところ、これは曇三兄弟の関係性を中心に据えた、周りの人との関わりを通じながら成長して強敵を倒すっていう話だったのだろうけど、一体戦ってどうなったんだ。みんなそれぞれ成長したのはわかったがこれは団体戦じゃなかったのか。三兄弟としてはどう変わったんだよ。というところを、私は見たかったのだけど、その部分の描写がなかったのが身勝手な消化不良感の原因なんだと思う。 結局、キャラとしても物語としても一番筋が通っていたのは金城白子で、だからこそ彼が「困るんだよ」と平坦に呟いたあのシーンこそが私にとってはクライマックスだったし、彼が仮面を半分かざして崖から落ちたときに物語が終焉してしまった。もはや主人公あいつだった。金城白子/風魔小太郎の人生を見守る会、みたいな位置付けでこの作品を振り返ると、なるほど面白い、もっかい見たい、櫻井孝宏とはこういうことか、バンザイ。となる。うん。cv:櫻井は疑え、という沼の掟を一つ理解できたのが、この作品の最大の収穫であったように思う。

アニメは、表情の変化や仕草による感情の表現力が当然のことながら実写と比べてしまえば原則的には劣る。だからその分違うやり方でそれを補っているはずだし、その独特性も好きだし、媒体としてアニメが実写に劣っているとは全くもって思わないのだけど、見ている自分がそれを受信したり読解したり補完する力量を今は持っていないので、どうしても洋ドラ脳で話や人物造形を追ってしまって、思った着地にならないなーとなりがち。とは言いつつ、見ていて綺麗なものは綺麗だし、聞いていて良い声はいつまでも聞いていたいので、劇場版をいつか見るのが楽しみです。

 

パチパチ