ONE VOICE

     * ONE LOVE + ONE LIFE + ONE VOICE *        笑っていれば、イイコトあるよ  

Chèvre Note ~シェーヴルノート~

ジャンヌダルクをライブビューイングで見て参りました。

場面てこんなに無装置で転換できるのか!とか
時間軸ってこんな簡潔にセリフだけで行ったりできたりできちゃうのか!とか
プロの技巧というものはこんなことまで可能にするのかと、
ただただ圧倒的に説得された感じ。

台本にどのようなことが書かれていたのかを想像してみる。
情景や場面の設定はこうだが、観客に想像してもらうしかない、という要素の数が多すぎる。
よくこれを、声と立ち位置と光だけで出来る、と信じたな、と
素人の私はあんぐり口が開く。

これは、上手い下手のレベル変動を許容する類の作品ではないと思った。
出来るか、出来ないか。その二択しかない。
観客に、場所と次元を一体となって移動してもらわなければ、
このストーリーは成立すらしないのだ。

その切り替えが、あんなにも素早くできるんだ、ということに感嘆。
凄いものを見た。

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凄いなと思うことしかなかったので、
もう少しこうだったらもっと私が萌えられたのに!を2つ。

始まった時から、「あー」と思っていたけど、
シャルルの人物設定が、ただひたすらにもったいないと思った。最後まで「あー」だった。
あそこだけひどくテンプレ的というか。なんだろ。変にアニメっぽかったのかな。
全編通して驚きが全くなかった。
他の人の皮がどんどん向かれていく後半に、
こいつこそが深くレイヤーのある人物だったら、それこそもっと面白かったと思うんだよなぁ。

あと、シャルルにまつわって、地獄のコンセプトがいまいちピンとこなかったのも、
悔しい感じがした。
本人が何を見たのか、概念的にはラボレスが説明してくれたけど
映像としては全くどうにも想像が出来なかった。
観客としてのこちらの力量の問題もあるだろうけど、
それまでは物語のすべてがきちんと「見えて」いて、だからこそ、この舞台すげぇ、となってたから
終盤のあのタイミングでの綻びは痛いなと思った。

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しかしとにかく現場で見たかった舞台だった。
やっぱり画面越しだと、いかにライブだとしてもデカい上映会でしかないんだなぁ、と。
あの方たちが声を出すその空気の振動を感じてみたい。
あのドラムの疾走感だって直に感じて盛り上がりたかったよ!
その体感があったうえでの、じっくりゆっくりな円盤鑑賞なんだろうなぁ。

この沼の素人はこうやって悔しい思いをしながら、正しい満喫の仕方を学んでいくのかー。
骨まできれいにしゃぶりつくせるようになるには、まだまだ時間がかかりそうです。

これが消費者側の我儘であることは重々理解しているけど、
嵐の松本さんの「直接会える回数を増やす方向に向かって最大限努力」がここでも作用したらいいなぁ。。

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叢雲を見てから、ぜひ文翁さんの作品をもっと見たい、と思って
今回、やっぱりああ、素敵な作品を作られる方だなぁと思う。

立ち位置の関係なのかなぁ、叢雲の時は、
全員が肩を並べて、視線の先に同じ叢雲の広がる戦場を見ている、という気がしたんだけど、
今回は、視線の先に、語り掛ける相手がいる、と思うことが多かった。
訴えるお芝居が多かったからだろうか。

ジル・ド・レとアランソンの戦いのシーンは、技量が凄すぎてもう笑ってしまった。
さあ来い諏訪部!と思ったタイミングがマジでドンピシャで内心大層盛り上がった。
梅原さんのお芝居をちゃんと拝見(拝聴?)するのは初めてだったのだけど
人ってそういう泣き方も出来るのか、と思う声だった。何か作品を見てみたい。
凄いキャストだなと思って見に行ったのですが、
凄いキャストでした。

私の人生豊かになった。ありがたい。

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第一幕の、中村さんの「ふざけるなァ!」が耳と心に残っている。
きっと忘れない。