Music: 歯車/Gears - 林ゆうき ←
2月に入って、
ようやくイギリスで身の周りにいた人に
自分の近況を日本語でも英語でも説明できるようになった。
その能力が宿ることを待っていたわけではないのだけれど
そろそろ言っとかないと自分の行動の説明がつかなくなるという必要に駆られて話すことを始めたら
思っていたよりちゃんと説明が出来た。
そして思っていたより多くの人数が
味方という人物だった。
凄く馬鹿みたいな発言だけど
英国の片田舎のこの街で私は当然ながらあまり大したことのない存在で、
黙っていれば誰にもいなくなったことに気付かれずに数週間はきっと過ごせちゃうんだけど
でも、
ちゃんと友人だった人がそういえばたくさんいた。
なんで気付かなかったのかは分からないけど、
私はここに根を張っていたんだ。
これも、
逃げようとか
この場を離れようとか。
想って、思い詰めて、思い余っていなければ気付かなかったことだ。
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ニューヨークから日本に帰った時はねぇ、と
説明している。
2009年に日本に帰った時はねぇ、
Because I couldn't make it in the States と思ったのよって。
あの時は、
アメリカにいられなかったから日本に帰ったという気持ちしかなかった。
Mimiちゃんから
恋人の遺品のようだとコメントを貰いながら送られてきた箱詰めにされた自分の
3箱の私物を実家の自分の部屋に見て
アメリカですら経験しなかったホームシックという気持ちを
小学校の時に寝ていた日本のベッドの上で唸り声を上げながら噛み締めたりした。
おかあさんがおでこにチュッとしてくれた。
慰めを必要としていた。
私は足りなくて、
勝てなくて、
そうして帰ってきた日本だった。
でもねぇって思う。
でもねぇ今は違うんだよって。
イギリスに残っても
日本に引っ越しても
どっちもいいなって
同じ分量の魅力的な選択肢として考えることができる。
ああ、こういう風に変わるんだなって思う。
何とか日本でやっていこうって
東京のアパートで、
初めて本当に一人暮らしをしながら浴びていたシャワーの途中で
知っていたはずの英単語がふと思い浮かばなくなってパニックになったことを覚えている。
忘れる、忘れる、と思っていたことを
ああ忘れた、と思った。
この忘却を阻止できない、という畏れがが何よりも強かったんだと思う。
英語を強みにしながら日本語で進めていく仕事の中で
私は重宝されたかったし、
そのためには英語よりも日本語を向上させる必要があったんだ。
でも英語も忘れたくなかった。
突撃したアメリカから日本に出戻って、
でももう一度イギリスに飛び出して今
私が言い聞かせてあげられることは、
英語は思い出せる
ということだ。
大丈夫。
どれだけ錆付いても
これは私の中に宿ったもので、
それは呼び覚ますことが出来るものなんだって。
召喚魔法を知っている。
いずれ必要なことや
いつか発揮される能力を
色んな引き出しに閉まって
いつどんな風にお披露目したらいいかなぁって思いながら待つことができる。
そういう箪笥みたいな強さ。
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特にそんなつもりはなかったのだけど
ふと何だかまとまりそうな気がしてPCを立ち上げた。
NYの時も、こうだったなって思いだす。
進んで、成長して
変わったこともあるけど、
立ち返れるものもあるんだ。
真っ暗な部屋の中で
白く光る画面にパチパチする。
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人に会って話せば話すほど
イギリスでの生活、長かったなぁって思う。
思ったよりもいろいろやったなぁって。
けっこう頑張ったのかなって思い始めたりしてる。
せっかく良いことを成し得たのに
なんでこんな成り行きなのだろう、残念!と天も仰ぐ。
だけど
間違えてはいけないのは、
これは後悔ではないということ。
上手くいかなかったことを笑うけれど
失敗であったと嘆くことではない。
こんなことがあってね、
と話のできる
私は
私だけの何かを手に入れたのだ。
こういう終わりの始まりもあるし
始まりの終わりもある。
いつだって道中。
ここからが勝負。
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次をどうしたいのかは正直やっぱりまだ分からないけど、
でも次が有りたい。
この先があって欲しい。
とは明確に思うようになった。
収入がなくなるっていう分かりやすい危機感もあるけど、
からっきしなんの夢も見られなかった数か月前に比べたら
これは、
この祈りのような気持ちだけでも、
凄いことなんじゃないかなって思う。
黙っていても時間は進んで、明日が今日になっていくから
きっともう少し
もうちょっとずつ夢を見て
また
いつかどこかで戦うんだろう
今は
今のうちは
この魔法の箪笥を整理する。