ONE VOICE

     * ONE LOVE + ONE LIFE + ONE VOICE *        笑っていれば、イイコトあるよ  

As this sky turns into something more

Music: Let's Go to Tokyo - 林ゆうき


金曜日に最後の出勤を終えました。
日程を決めた時は、今にして思うと結構追い詰められていたのかなと思う。
同僚や先輩や上司の誰とも連絡を取らずに、
ひとりで勝手にオフィスの鍵を閉めて手放せばよい動線を作っていた。
お疲れさま、って見送られるのも
疲れましたよ、って去るのも
どっちも嫌で
ただただ早く解放されたかった。
だから淋しい淋しいと思いながら、
静寂の方がマシだという判断をしたんだと思う。

結果的に、
木曜日にサプライズでカードが届いて、動画が届いて、
ああ淋しいという気持ちは募るばかりで。
なのだけど、そうして初めて、
ああ私この仕事楽しかったんだ、
と気づいた。

ひとりぼっちでかなしくさみしくなることと
さよならといわれてさみしくさみしくなることは
ずいぶん違う。

素直な気持ちで、
お世話になりましたという言葉を文字にすることができたし、
ありがとうありがとうという気持ちでさよならまたねを送信できた。

ひとりだったけどぼっちじゃない、よい最終日だった。

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やることのとっ散らかった毎日を送っています。
次は決まりかけなんだけど決まったのかどうかよく分からないとても中途半端な状態で、
早く決定的になって欲しいなと思っている。

このブログの更新がいつも滞るのは、
こういう宙ぶらりんのときの自分をうまく言葉にできないからだなーと今朝思った。
どこかしらに向かって力が働いていて壁にぶつかった時なんかは
その状況に対する感情とか感想とかが少なくともあるんだけど、
宙づりになっているときはただ何かのきっかけで動き出すのを待っているときで
私はそこに期待とか予想とか準備とかをしない。

きっと、だからこそ前後を考えずにただ吊られることができる、っていうところもあるんだろう。
むしろ、吊られてるのか分からないけどとりあえず飛んでいるという感じかもしれない。
落ちているのか昇っているのか浮いているのか分からない。ただじっとしている。
そして何かのきっかけでがくんって引き寄せられるように繋がって、
ああこれが今回の命綱か、
ってなる。
それでその綱を手繰り寄せながら、どこかにたどり着く。
そういう上下左右のないスカイダイビングは
想定とか予測とか想像力とかがあったら危ないという判断しかできないから
そういう能力のすべてをOFFにして、無感動に行わないといけないのかなと思う。

そういう時に言葉はあんまりうまく出てこない。
なのでツイッタも低空。

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よって今は無感動に自動操縦中です。
とりあえず引っ越しの準備を進めている。
いつどこに行くか分からないんだけど!

(でもたぶん東京)


決まったらおしえて! ぱちぱち