ONE VOICE

     * ONE LOVE + ONE LIFE + ONE VOICE *        笑っていれば、イイコトあるよ  

But it's your power, isn't it?

Music: You Say Run - 林ゆうき

 

カナダの出張から帰ってきたら、
今まで寒かったはずの空気がぬるいように感じた。
実際に30度くらい気温差があるから、そう思って当然なのだけど。

今日は気分を変えてジャケットを着ようと思って
いつものコートとは違う服に手を伸ばす。
そういえばこれはニューヨークでMimiちゃんと一緒に買ったなぁと思う。
ニューヨークのことって、こういうことがあったというイベントというよりも
ひとつの季節のように期間としてざっくり覚えていて
Step and Goを聞きながら通勤経路で通っていた車の修理工場の灰色のフェンスの冷たさとか
細かい住所までは思い出せないけどNewton streetというところに住んでいたその玄関口の扉の木の香りとか
通っては心砕けていたオフィスのひんやりとした空気を防御するように着ていたジャケットの重さとかを
何となく思い出にしている。

ジャケットに袖を通してふと、あれはもう10年も前になるんだ、と思って愕然とした。
10年て。

遠いとこまで来たもんだ。
よく生きてる。

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東京からこっちに年始に帰ってくる時、
泊まっていたホテルに浴槽がついていたのでお湯を張ってお風呂に使った。
良い感じに酔ってぼうっと天井を見上げて、
身一つでいることはこんなに簡単だなあと思う。
立場もコネも金もなしに、
自分一人の命と体でいることはこんなに簡単に達成できる。
でもこのままじゃふやけてしまうから、
私たちは服を着て髪の毛を整えてお化粧なんかを乗せた顔で人と一緒に生きていく。

頑張ろう、というか頑張りたい、
ゴールは見えてる、3月までだ、と思って帰ってきたものの
ここで自分に何が出来たのか分からないけどきっといつか意味を持つだろうと思って離れようとしたオフィスを
今ここでただひとり畳んでいくという今の状況は筆舌に尽くしがたい。

少し前のエントリで書いた、杉田さんの(正確にはチェインバーの)
その生命に
という言葉を忘れないようにしよう、と思ってはいる。
ここで何かが達成されていたかどうかはきっと重要じゃない。
最終的にこの生命に成果があればよいのであって、今ここではびっくりするくらい何もなくて良い。
良いんだけど。
だけど難しいんだなぁ。
それを信じることが、どうしてなのだろうと首をかしげたくなるほど簡単じゃない。

ぽっかりとしていてかなしくて
きっと自分しか参加していないかくれんぼをしているような気持ちで人と話さずに
一日が終わることを待って待ち倒して眠る日だってある。

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お世話になっていた先輩がいた。
なっていた、というほど継続的なものではなかったけれど
以前にご一緒したプロジェクトで仲良くなったと私は思っていて
連絡を取り合っているわけではなかったけれど好きな先輩だった。

たまに日本に帰った時に会うと、笑って、
帰ってきてたんだね、おかえり!
といってくれた。
おかえり、という言葉の威力はすごい。

昨年、
その先輩は、死んでしまった。
詳しいことを誰も教えてはくれないのだけど
自殺なのだと思う。

彼が亡くなってしまった時の私は
私なりに病んでいて
辛いなと思っていて、
彼が死んでしまったという話を最初に教えてくれたMさんのラインを見て
ひとしきりびっくりしたあとに、
先を越された
と思った。

思ったんだ。
あれは正しい感情ではない。
だけどここにあるのはそういう感情の温床になっても通い続けてきたオフィスで
私はそれを何一つ昇華できないままこの手でその存在を終わらせる。
何か新しいものを見たり聞いたり食べたりすることで
私が変わって、私が大きくなって、
そうして何かが違う自分が思い出せば意味の分かる時間が詰まっている場所になるはずだったのに
この場所はもうなくなってしまう。

待って。ちょっと待って。

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カナダはバンフという町でのお仕事だったのだけれど、
街中のホテルから作業場所までが徒歩で30分くらいで
吸い込むたびに生きて、起きていることが確認できるような張り詰めた空気が気持ちよくて
毎日、雪の積もった山道をのしのし歩いて通った。

フォックス通りを左に入って、鹿アベニューを突きあたり、
グリズリーさんの道を右に曲がって、
ウルフを越え、
ウルヴァリンを通り過ぎる。
身体はだんだん温まっていくけど、
手袋がどうしても嫌いだから素手のままの指先が凍るころに会場に着く。

蒼い青い空の下、真っ白の息を吐きながら真っ白の頭で思う。
決別というのは瞬間ではなく、長い息で続いていくもので、
一思いにはならない。
簡単じゃない。
ニューヨークから帰ってくることは
自分の選択ではなかったけれど、今になって思い返してみると却ってそれでよかったのかも。
進んでいるのかどうか分からないまま毎日にしがみ付いていたニューヨークという季節も
似たように辛かったし、似たように悩みながら、
いつかこの毎日が価値を持つ日が来るようにって願っていた。
きっとこれには意味があるって、意味があったって、分かる日が来るようにって祈っていた。

晴れてるのに睫毛が凍るほど寒いカナダの空の下でふとそんなことを思い出して、そしてとても笑った。
ああそっか。
その日は来たんだ。

それはいまだ。

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海外で日本の団体で働くことが初めてでなかったというのは
この4年間を振り返って考えるうえでとても重要なことだった。
少ない人数の中で自分の守備範囲を見極めながら立ち回ることが難しいとか、
英語と日本語で板挟みになって働くことを知っていたというのは、
この4年間の出来を考えてみるうえできっととても重要なことだった。

でもきっと真に大事なことは
何はなくとも、
あの季節を生きたことがあるということだ。
不安だとか、悩ましいだとか
ただ分からない、苦しいという気持ちも
いつかこうして知らなかった空の下で昇華される未来もあるということを
だから私は知ったんだ。

これを私は思い出にすることができる。
そういう力を持っている。
生きているから。
生きていくから。
これは思い出になる。

意味はなくたってきっといい。
底なんてなさそうなこの真っ暗な感情にだって、落ちていってもきっといい。
いつかまた知らない空の下で、ふと思い出して笑ったりするのだ。
ああ、その日が来たって、
想ったりするんだろう。

君の力じゃないか。

きっと今
勝つところ。

 

パチパチ。おかえり。