ONE VOICE

     * ONE LOVE + ONE LIFE + ONE VOICE *        笑っていれば、イイコトあるよ  

Because this will not be the last thing you do

Music: Ballroom Shakou Dance - 林ゆうき

* 久しぶりにパチコメをいただきました! お返事一番下にあります。嬉しいー!ありがとうございました*

気付けば帰国して一か月なんて軽々と超えていて、
仕事を始めて1か月経っていた。
間にGWがあったから実質的には3週間なんだけど。

あっという間すぎる。そしてあまりにもフツーに生活している。
順応性というやつが高いのか
こだわりとか神経というものが皆無なのか、
ちょっと引く。
なんでこんなに普通なの。

----

怖れをなくして率直に言えば
仕事は、今のところ簡単だと思う。

だけどこれを言ってしまうことは恐い。その言葉をこんな風に使うことが怖い。
だって絶対これから簡単じゃなくなっていくし。そんなことわかっているし。
ただ、こういうポジションに就いて、こんな風な立ち回りをしたことがあるから、
「知ってる」という感覚があるし、さらに言ってしまえば「見切っている」感もある。
こういうところで辛くなったり難しくなったりするだろうな、ということを想像できる。
そして私にとって、予想が出来る、ということは、
「簡単」という言葉で表現される感覚と似ている気がするんだ。
挑戦がないとか、学びがないとか、楽しくないつまらないということとは違うんだけど。
だって当然のことながら全てを知っているわけでもなく、
尋ねたり相談したり教えてもらったりして頑張っているところだし。
そう、頑張っている。
努力が要らないわけじゃないし、努力をしていないわけではないんだ。
でも簡単なんだよ。どこを頑張ればいいのか分かってる気がするから。
このニュアンスを上手く伝える話し方がまだよく分からない。
だから、
今までの経験を生かせるし、
勉強することもあって、面白いです。
とかいうような日本語を機械のように繰り返しているんだけど、
いつも歯の裏がかゆくなる。
なんかそうじゃない感が強い。

もう少し粘れば、上手い表現が見つかるのかもしれないので、ここは精進する。
試行錯誤。

----

日本に帰ってきてどう? ともよく聞かれる。
これはやっぱり、アメリカから以前に一度日本に戻ってくるということをしたことがあるし、
イギリスにいた時も日系の団体に勤めて日本とのやり取りばかりしていたからなのか、
質問してくださる側が想定しているような異世界に帰ってきたという感じは全くない。
もの凄く普通に引っ越しをしただけのような気がする。

前の数エントリを読み返すと、
引っ越しということと転職という行動自体は結構ストレスだったのかなとも思うけど
実際にそれが行われてしまえば、
知っている日常が少し色と登場人物を変えて続きを書き始めただけのような感じもするんだ。
猫が鯨になったり、犬が鷲になったわけじゃない。

自分の部屋にはまだベッドしかないけど
それでゆっくり寝て起きて、台所でごはんを作っておなかをいっぱいにして生活している。
物干し竿がないから、そろそろそれを買いたい。

----

結局は、人だなぁ、と思う。
国を渡って転職をしたわりにここまでnonchalantとしていられるのは
周りの人がいるからだなぁって。

前に一緒にお仕事していた人とだんだんに会っていて、
おかえりーと言っていただく。
わたしは、未知の場所に来たわけではない。
東京という場所が存在することを私は知っていたし、
ここで暮らすということがどういうことかも知っていた。
帰ってきたんだ。

初めてお仕事する人とだんだんと仲良くなって、
お昼を一緒にしたり映画を見に行ったりしている。
仕事の話をしたり、お互いが経験してきた海外の話をしたりする。
何の共通項もない真っ暗闇の関係性ではない。
うちの職場あるあるとか、海外生活あるあるとか、
これまでもしてきた話題を、新しい人と違う角度でしている。
まだここにいる。

少しずつ新しくて
少しずつ懐かしくて
少しずつ変わらない。

まだぬかるみはあるけど
目の前の道は少し拓けて見える。
この足元を支える礎も構成要素も
前よりは少し分かっている気がする。
あまり、焦りはないかなと思う。
落ち着いているのかもしれない。

こういうのが、ここでの私にとっての日常になっていくんだ。

----

仕事先では、同僚にはあまりこの業界の経験者は実はいなくて、
語学力が皆さん凄い方たちばかりだけど(語学力というか扱える言語の数が凄い)、
業界知識や経験値での慣れの部分でやたらと期待をいただいている。
とっさに一歩下がって恐縮した風なことを言いたくもなるけど、

ありがたいことです。
幸せなことです。

と言ってる。
相葉さんの口癖@マイガール時代。
忙しくなったり、何かが重い、と感じた時はいつもこれを使う。この考え方で進みたいと思う。
もう10年近く前になるんだろうか。相葉さんありがとう。

----

ふと、プレッシャーというのは、これのことなのかな、と考える。
何かを期待されるということについて。
出来ない、とは思ってはいないんだ。特には。
うぉぉやべぇ、とは思っているけど。うぉぉやべぇ頑張らねばって思う。
応える努力をして、応えたい。応えたって思えたい。

かけていただいている期待なんて具体的にはちっとも明確ではないし、
何がどうなったら満足してもらえるのかさっぱり見当もつかないけど
そこには届く自分でいたい。
だけど、イケるっしょ、大丈夫っしょ、とも思ってはしまいたくなくて、
確実に着実に進んでいくために、
走り出しそうな何かに、膨れだしてしまいそうな何かに、圧力をかけている。
ブレーキのようなものの感じがする。
慢心するな、という冷静な自分が、でも出来ることをすべてやるためにはやりすぎるくらいのテンションで行かないと、という煽りたがりの自分に自制を求めている感じ。
このどちらを信じるのが良いのか分からない、という迷いがある。
でもなんで迷ってるのかはもっとよく分からない。

慎重に行こうとしているのだとして、何を注意したらよいのかも分からないんだけど、
盲目に突っ走っていくのも危ないのかなって。
でも、盲目に行っても大丈夫だよっていうサインが、期待ってものじゃないの?

この出口のない悩みを抱えるということが、プレッシャーというやつなのかなって。
出来る気がするけど、確実に出来なくては、というそのためのじりじりとした焦燥と努力。

----

以前、仕事をご一緒した先輩に、「大胆かつ繊細な仕事でした」とコメントをいただいたことがあって
私はこれが涙が出るほどうれしかった。
そうか私はそれを目指していたんだ、って後付けだけど閃光のような輝きで理解をした。

バランスのとり方を、見間違えないようにしたい。
どれだけ経験値があって視界が良好でも、丁寧に見定めないといけない部分だと思う。
そして丁寧というのは大体において時間をかけるしかないことだったりする。

どこまでなら大胆で大丈夫なのかとか
どこを繊細にすると意味があるのかとか
ただただ住んで、暮らして、働いていくことでちょっとずつ試していくしかない。
見誤って凹んで嘆いて悲しんだりしながら、
肝心の「ここ!」という場面で絶妙なバランスを繰り出せるように。

----

あと2年半ほどのプロジェクトです。
これにも終わりがある。
これにも終わりがくる。

きっと意味があるように
ここに価値があるように
祈るけど
願うけど
合わせるのは自分の掌で他の誰のものでもない
そして時々腕を広げて
やじろべいをしながら進んでいく。

そこがきっと前になるように。

進めー。ぱちぱち。

 

■ 4/12 11:37さん
コメントありがとうございますー! 無事公開初日に見に行きました。あまりにもいろいろ吸い取られたのでGW最初に見に行ってよかったと思ったよ。。