夢に僕らで帆を張って
最近嵐さんによく
「ついて来て」と言われる。
不思議な違和感があった。
休止にまつわる何かとは違う淋しさを覚えて
初めて立ち止まったと思う。
私はどっちかっていうと、
一緒に進んできたと思っていたんだ。
そして今年も一緒に、不透明な来年をめがけて一緒に、同じように淋しい思いをしながら
肩を組んで走り抜けるんだと思ったんだよ。
そうか嵐さん、きみたちはひょっとして
異世界SFみたいな2020年12月31日を想像しているのかなぁ。
繋いだ手の先だけ向こう側の世界に入り込んでしまって見えない、みたいな。
休止という領域には嵐さんだけが入り込んで消えてしまって、
でもその境界線のぎりぎりこちら側で私たちが立ち止まってお別れするような、
そんな最後の日。
でもなぁ、
きっと私もいっしょに休止に突入しちゃうんだよなぁ。
5人だけが、どこかへ行こうとしているのではなく
みんなで未知の場所へ向かい未開拓の時間を過ごそうとしている。
そっちの世界に私も行くんだよ。
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行こう
もう少しで運命の向こう
もう少しで
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年末に行った、前々職の忘年会で
いつかはまた会えるのだろうと思っていた先輩が
亡くなっていたことを知った。
何も
何も決まっていなくても
予定が未定でも
いつか
があり
そんな日を夢見たりできる
それは明るく
歓びのあることなのだと思い
思い知って
泣きながら帰った。
またね
が紡いでいた夢。
どんなに未定でも
どれほど漠然としていても
それは他のどんな夢とも同じように未来で
まだ来ていなくて
きっと来るのかもしれなかった。
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潤くん、
貴方の手は、
嵐を殺しているのではない。
5人それぞれどのような想いだったとしても
譲歩し合った先にたどり着いた場所が休止だったということが、
何よりの証明なんじゃないだろうか。
確かに
どれだけ夢見ても、
期待した日は来ないのかもしれない。
ただいま、も
おかえり、も
ないのかもしれない。
それでもいいよ。
再始動がなくたっていい。
振り返って考えて、ああ、結局は解散だったんだと、
涙するようなことになったっていい。
貴方たちは、
いつかという可能性をくれた。
まだ来ていないその時間は
脈があって
息をしていて
この限りない未来の
どこかにはいる。
ずっといる。
だからね、
貴方たちと私たちが本当に愛している、これ、は、
死んでいくわけではない。
これからも生きていくところなんだよ。
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夢に僕らで帆を張って 来るべき日のために夜を超え
いざ期待だけ満タンで あとはどうにかなるさと 肩を組んだ
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嵐というものが生業である彼らとは
確かにその感覚は一線を画すに違いないけれど
嵐という世界は
きっと私を含めた多くの人の2021年1月1日にも1月2日にも
その先の未来にもずっとずっと存在し続けて
そして休息している。
休止という選択肢は
いなくならないということで
なくならないということで
あるけど
動いてはいない。
なので待機。
そういうことなのだと思っている。
将来どうなってしまうのだろうという気持ちは
今年のうちに転職をしなくてはならないという私の実世界の切迫感と共鳴していて
焦燥感が凄い。
その焦りと不明瞭さに、去年はずっと同じ場所で足踏みをしてはどんよりしていた。
何を足掻いても、今はまだ自分の力ではどうにもできない。
でも未来は気が付けば現在になっていって
恐れていた時間がどんどん近づいてくる。
だけれど、
予想もしなかったような未来も
それに出会う時の喜びも驚きも
同じように近づいてきているんだ。
不確かな未来がすげぇ怖い。
何にも見えないし何も思いつけない。
そういう時に、あー生きてる。と無理やりに前を見て思う。
その他の選択肢が死ぬということしかないいのちの中で
生きている。
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怖くないわけない でも止まんない
ピンチの先回りしたって 僕らじゃしょうがない
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命があるということを、
その当たり前だけど当たり前じゃないことの確認を、
未来と現在を突き合わせては繰り返す。
いい大人になってそろそろ疲れてきたけど、
それだって楽しめる心持ちでいたい。
例え先回りしてしょうがなくたって大丈夫だと信じる。
嵐さんが教えてくれたことのひとつは
泣きながら生まれてきた私たちは
ピンチに強いということだ。
この一年を、丁寧に
でも
残すことなく行きたい。
もう戻っては来ないから。
迷わないで。
思い切って。
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僕らの恋が言う 声が言う
「行け」と言う