手元や身の回りから失われたものがなくても、
11日午前までの日常はやっぱり忽然と消えてしまったわけで、
それは悲嘆してよいはずです。
今までの私たちの一部ですもの。
寂しくて当然。
悲しくて当たり前。
いつもと同じような毎日が送れないというのは、
がんばっていないということとは違うと思います。
自分の立っている地面が揺れて、
海じゃないところが海になって、
いま吸っている空気が何だか分からなくて、
それでも朝起きてお布団から出たり、
いつもと違う道を通ってまでお仕事しようと思ったり、
すごく些細なことでもきちんと可笑しいと思えて、
目を合わせて笑うことができるって、
ほんとうはすごくがんばっているということなんじゃないのかなぁ。
目の前の一歩を、たしかに踏みしめている今日、
私たちは、
誰に言っても恥ずかしくないくらい、
生きているということをがんばっている。
あしたも。ぱちぱち。