ONE VOICE

     * ONE LOVE + ONE LIFE + ONE VOICE *        笑っていれば、イイコトあるよ  

ふと思うこと

自分のHPを持っている留学生って、真面目に学校に通ってる人が多い、とふと思う。当たり前のことを言ってくれるなと思うかもしれないけど、いろんなサイトめぐりして、日記なんかを読んだとしても「今日はだるかったのでサボりました」などということにはまずならない。よく考えてみればそれは当たり前で、誰がすきを好んでそんな自分を全世界に知らせるだろう。HPを持っている人は、楽しいことだけじゃない留学生活でも、それなりに自分らしく過ごせていて、少なくとも自分と自分の居場所を公表するだけの誇りと愛とがあるはずだ。

だけどインターネット上にある留学生によるこれから留学生になる人のためのサイトが全部そうだとすると、きっと「先生になるほど数学が理解できて好きな人間に、数学がまるで分からなくて世界の果てまで嫌いな生徒の気持ちが分かるわけない」というのと、まるでおんなじなんじゃないだろうか。

どこぞのサイトで、○○には日本人が多くて英語が勉強できないので転校した人がいるって話を聞きました、ホントですか。という書き込みを見た。管理人さんの答えは「日本人が多いといってもアメリカ人のが断然多いに決まってる。そんなのはただの言い訳で自分のやりようで何とでもなる」だった。正論だ。心から同意しよう。でも正論だからといって、できることとできないことがあるし、できる人とできない人とがいるだろう。私の学校にも、日本人は多いと思う。なんでもないような顔をして通り過ぎるけど、一日一度は私には面識のない日本人同士の会話を耳にする。この学校にいる何人かは、日本人と群れてしまう、そんな留学生なんじゃないかと、そのたびに思ったりするわけだ。そしてそのうちのさらに何人かは、きっと嫌気がさして転校したり、帰国したりするのだろう。

こんなことこの場ではっきり言うとあきれられるかもしれないけど、私は「がんばっている留学生」などでは断じてない。がんばりたくないものはがんばらないし、やりたくないものはやらない。それが自分だと思っているし、それの何が悪いと開き直って聞き返してやれる。ずっと昔から、私はずっとこうだった。だからアメリカに来る前から、この留学が自分を変えたりなんかしないことを誰よりもよく分かっていたんだ。これはRoxie-reeの人生の一部になるだけで、人生の土台になんかなりはしないってことが。だってあたしにはもう土台ができてしまっている。それは自分で手を触れて確認できるほど揺るぎのないもので、これから先何があっても、それをあたしは吸収して成長していくだけで、それがあたしを変えることはないような気がする。・・・そういう留学生もいるんだって、ふと思った。私がそうなように、何らかの土台があって、「がんばる留学生」をしない人もいるんだって。がんばらない、がんばれないのは留学したからって変わるものじゃないと思う。どこに住んでどこで勉強したって、辛いのも楽しいのも同じだ。だってそれが生きてるってことだもの。自分を変えるつもりで留学する人もいるのだろうけど、それはきっと結果であって、目的にはならないんじゃないだろうかと、ふと思ったりする。そんなに変えたい自分なら、わざわざ海のこちら側までくる必要なんてないんじゃないかな、とかね。人を変えるのは経験じゃなくて、そこで出会う人なんだと思うんだよね。人探しするのにたまたまアメリカを選んだのなら、それもそれでいいんだろう。そこでであったのがたまたま日本人だったとしても、それは別に悪いことじゃないんじゃないかと思った。

何が言いたかったかっていうと、だれる留学生も、別に珍しくもなんともないんじゃないかなってこと。てかむしろ、実際のところは、だれない留学生が、私の目には、実際のところ不思議な存在に映ったりするんだ。

ということで、いえ、ということですが、今日は朝とてもかったるすぎで泣きたかったけど、ちゃんと学校行きましたよ^^v 要するにこういった時に、留学生なんだから当たり前、という反応をされるのが、私にはうざったいだけなんです。