気の利かない東京。
印象的にはそんな感じ。
とてもアグレッシブで、誰も彼もが無我夢中。
利己的だけれど、自分だけの夢を純粋に追い求めていて、
その実現のためにみんな一途で一生懸命。
周りを振り向きもしないし、気を使ったりもしない。
そんな暇があったら、自分のために時間を使いたい人が集まった街。
赤信号で止まらない町の流れに、
一人だけ時の流れの遅い時計をつけているような気がしたのは
きっと気のせいじゃなかったと思う。
会社の方には、とても良くして頂きました。
お忙しい時間を割いて、会社の詳しい説明をしていただいて、私の日常業務だけじゃなく、それを何のためにやるのか、何の目的でやるのか、そしてそれはどんな風に会社という大きな組織の一部になっていくのか、曖昧でぼんやりしていたことも、とてもクリアで明瞭になりました。
お金のことも保険から住居から丁寧に説明いただいて、ありがたいお話だと思いました。何より、ライブイベントに関りたいと思っていた私ですけれど、正直英語を使い続けられるフィールドだとは思っていなかったので、毎日のお仕事で英語を必要としていただけるのは予想外にとても嬉しいことでした。お仕事の内容それ自体も、結構壮大で面白そうだと思う。単純に「楽しそうだ」とワクワクできるお話でした。
少しお仕事のほうも見させていただいて、夕飯をご馳走になり「宜しくお願いします」とお辞儀して、「がんばりましょうね」と頷いていただいて、面談はお仕舞いになりました。
日本で普通に就職活動をやったら、こんな感じなんでしょうか。
私は違うと思う。
欲張りなんでしょうか。
贅沢なことを言っているのかも知れないけど。
でもね。
私は「ご挨拶に伺う」という建前でNYに行ったけれど、正直「面接を受けに行く」のだと思っていたし、それ相応の覚悟と誇りを持って大陸を横断した訳です。それが私の思っている就職活動だったし。どうしてこの仕事がしたいのか。自分はどういう人間で、どういう風に会社の役に立てるのか。どうして他の誰でもないこの私が採用されるべきなのか。それを突き詰めて考えて、結果商品として見繕った自分を、いかに自分らしく高く売り飛ばすことができるか、というのが就職活動なんだと、私は勝手に信じていたんです。
去年就職する気もないのにボストンのキャリアフォーラムにのこのこ出かけて行ったのは、その戦場の壮絶さを見ておくべきだと思ったからだし、予想を遥かに超えた実情のシビアさに完膚なきまでに叩きのめされてからは、一日一日自分のすること、やることを長い目で見て、自分は今何を経験しているのか、それは将来どんな風に役に立つのかを意識してきたつもりです。自分は何が得意で、何が嫌いなのか。何にテンションが上がって、何にテンションが下がるのか。誰にも負けない売りはあるのか。ないなら私の自分らしさとは詰る所どこらへんなのか。
OG訪問もOB訪問もできません。知り合いの先輩に就活の相談をするとしても先輩は日本にいて面と向かってお話しするなんてコトはできません。留学生みんなが経験することですから、だからどうということを言うつもりもないけれど、でもそれにめげずに出来る限り日本で生活してきた大学生の方と、精神的には相違ない覚悟と準備で以って、会社の方にお会いしに行きたいと思って、色々考えて思って荷物を詰めて、はせ参じた訳です。
私はそんなに簡単に自分を売るつもりはなかった。
個性ってなんだろう。自分らしさってなんだろう。
世界中の誰だってこの世に一人しかいないという絶望的な現実の前に、
どうやって自分だけの個性を証明したら良いのか。
思春期に誰もが悩むその疑問を、真剣に死んでしまおうかと思うくらいに考え込んで、でもその疑問を解くために死なないでおこうと決めて、息をして、心臓を動かして、生きてきた私にとって、「あなたはどんな方ですか?」というただひとつの質問も投げかけてもらえなかったということは、屈辱です。とても悔しい。
私はなんだか会社説明会に来た人がたった一人しかいなかったから、面接も試験もすっとばして採用してしまえ!みたいなお手軽感に傷ついているんだと思うんです。自分が誰でもそんなことは関係なくて、そこにいたから仕事を貰った、みたいな短絡的過ぎる顛末に釈然としないものを覚えている。
それは詰まり、仕事さえこなしてくれるのならば、それが誰であってもかまわないということで、そんな仕事に自分は果たして本当に就きたいのか、と思う。
そんなんはイヤだ。と思う。
それは確かだと思う。
でもそれと同じくらいの強さで、
ここで引き下がってたまるか、とも思う自分がいる。
やってみなきゃ分からないだろ、とも思う。
見せ付けてやればいいだろ、とか思う。
自分を雇ってよかったなと、イヤでも思わせてやるような仕事をするのも悪くないなとか。
そしてそれと同じくらいの強さで、奢るなよこの若造、とも思う。
いつからそんなにFull of yourselfになったのか。
自分らしさがどうとか、個性がどうとか吠える前に、実際に自分の言ってる自分らしさがどれくらい素晴らしいものかまず見せてみろよとか。
何をそんなに強がってるのかしらないけど、まずはやれるトコ見せてから小言を垂れたらどうなんだよとか。
何を譲らないとか
何のために戦うとか
何に対して強くあるとか
そういうことを本当の個性とするなら
自分らしさとは、私の個性とは、と頭の中で語り続ける自分はまるで下らない。
体現できない個性なんてカス。
やってみてなんぼ。
やり遂げてなんぼ。
誰もが自分の夢を追いかけて必死で。
自分だけの何かを作り上げるのに夢中で。
個性を持っていることなど何の自慢にもならない街。
自分らしさなんて語ってないでさ。
もういっそのこと自分らしく生き抜いて行こうと。
Come on New York
Bring it on.
パチパチする
とてもアグレッシブで、誰も彼もが無我夢中。
利己的だけれど、自分だけの夢を純粋に追い求めていて、
その実現のためにみんな一途で一生懸命。
周りを振り向きもしないし、気を使ったりもしない。
そんな暇があったら、自分のために時間を使いたい人が集まった街。
赤信号で止まらない町の流れに、
一人だけ時の流れの遅い時計をつけているような気がしたのは
きっと気のせいじゃなかったと思う。
会社の方には、とても良くして頂きました。
お忙しい時間を割いて、会社の詳しい説明をしていただいて、私の日常業務だけじゃなく、それを何のためにやるのか、何の目的でやるのか、そしてそれはどんな風に会社という大きな組織の一部になっていくのか、曖昧でぼんやりしていたことも、とてもクリアで明瞭になりました。
お金のことも保険から住居から丁寧に説明いただいて、ありがたいお話だと思いました。何より、ライブイベントに関りたいと思っていた私ですけれど、正直英語を使い続けられるフィールドだとは思っていなかったので、毎日のお仕事で英語を必要としていただけるのは予想外にとても嬉しいことでした。お仕事の内容それ自体も、結構壮大で面白そうだと思う。単純に「楽しそうだ」とワクワクできるお話でした。
少しお仕事のほうも見させていただいて、夕飯をご馳走になり「宜しくお願いします」とお辞儀して、「がんばりましょうね」と頷いていただいて、面談はお仕舞いになりました。
日本で普通に就職活動をやったら、こんな感じなんでしょうか。
私は違うと思う。
欲張りなんでしょうか。
贅沢なことを言っているのかも知れないけど。
でもね。
私は「ご挨拶に伺う」という建前でNYに行ったけれど、正直「面接を受けに行く」のだと思っていたし、それ相応の覚悟と誇りを持って大陸を横断した訳です。それが私の思っている就職活動だったし。どうしてこの仕事がしたいのか。自分はどういう人間で、どういう風に会社の役に立てるのか。どうして他の誰でもないこの私が採用されるべきなのか。それを突き詰めて考えて、結果商品として見繕った自分を、いかに自分らしく高く売り飛ばすことができるか、というのが就職活動なんだと、私は勝手に信じていたんです。
去年就職する気もないのにボストンのキャリアフォーラムにのこのこ出かけて行ったのは、その戦場の壮絶さを見ておくべきだと思ったからだし、予想を遥かに超えた実情のシビアさに完膚なきまでに叩きのめされてからは、一日一日自分のすること、やることを長い目で見て、自分は今何を経験しているのか、それは将来どんな風に役に立つのかを意識してきたつもりです。自分は何が得意で、何が嫌いなのか。何にテンションが上がって、何にテンションが下がるのか。誰にも負けない売りはあるのか。ないなら私の自分らしさとは詰る所どこらへんなのか。
OG訪問もOB訪問もできません。知り合いの先輩に就活の相談をするとしても先輩は日本にいて面と向かってお話しするなんてコトはできません。留学生みんなが経験することですから、だからどうということを言うつもりもないけれど、でもそれにめげずに出来る限り日本で生活してきた大学生の方と、精神的には相違ない覚悟と準備で以って、会社の方にお会いしに行きたいと思って、色々考えて思って荷物を詰めて、はせ参じた訳です。
私はそんなに簡単に自分を売るつもりはなかった。
個性ってなんだろう。自分らしさってなんだろう。
世界中の誰だってこの世に一人しかいないという絶望的な現実の前に、
どうやって自分だけの個性を証明したら良いのか。
思春期に誰もが悩むその疑問を、真剣に死んでしまおうかと思うくらいに考え込んで、でもその疑問を解くために死なないでおこうと決めて、息をして、心臓を動かして、生きてきた私にとって、「あなたはどんな方ですか?」というただひとつの質問も投げかけてもらえなかったということは、屈辱です。とても悔しい。
私はなんだか会社説明会に来た人がたった一人しかいなかったから、面接も試験もすっとばして採用してしまえ!みたいなお手軽感に傷ついているんだと思うんです。自分が誰でもそんなことは関係なくて、そこにいたから仕事を貰った、みたいな短絡的過ぎる顛末に釈然としないものを覚えている。
それは詰まり、仕事さえこなしてくれるのならば、それが誰であってもかまわないということで、そんな仕事に自分は果たして本当に就きたいのか、と思う。
そんなんはイヤだ。と思う。
それは確かだと思う。
でもそれと同じくらいの強さで、
ここで引き下がってたまるか、とも思う自分がいる。
やってみなきゃ分からないだろ、とも思う。
見せ付けてやればいいだろ、とか思う。
自分を雇ってよかったなと、イヤでも思わせてやるような仕事をするのも悪くないなとか。
そしてそれと同じくらいの強さで、奢るなよこの若造、とも思う。
いつからそんなにFull of yourselfになったのか。
自分らしさがどうとか、個性がどうとか吠える前に、実際に自分の言ってる自分らしさがどれくらい素晴らしいものかまず見せてみろよとか。
何をそんなに強がってるのかしらないけど、まずはやれるトコ見せてから小言を垂れたらどうなんだよとか。
何を譲らないとか
何のために戦うとか
何に対して強くあるとか
そういうことを本当の個性とするなら
自分らしさとは、私の個性とは、と頭の中で語り続ける自分はまるで下らない。
体現できない個性なんてカス。
やってみてなんぼ。
やり遂げてなんぼ。
誰もが自分の夢を追いかけて必死で。
自分だけの何かを作り上げるのに夢中で。
個性を持っていることなど何の自慢にもならない街。
自分らしさなんて語ってないでさ。
もういっそのこと自分らしく生き抜いて行こうと。
Come on New York
Bring it on.
パチパチする