ONE VOICE

     * ONE LOVE + ONE LIFE + ONE VOICE *        笑っていれば、イイコトあるよ  

マイガール: Ep.2

Music: 夜を駆ける - spitz > mimiがあの瞬間すきだった曲。


相葉さんが泣くときは、
やっぱりどうしても相葉さんが泣いているのです。
そういう風に私には見える。

声がひっくり返るくらい泣いたあなたの一生懸命さが、
こうして現実には存在していない人に深みを与えていくさまを見るのは、
ふつうのドラマをただ見ているのとは違う気がしています。

演技をみているのではなく、
演じ手をみている。

ファンクラブに入っていなくても、
私は相葉さんを好きなのです。

そういうわけでどうしても中途半端なReviewです。
まとまりがなくて申し訳ない。
応援くださるみなさん、いつもどうもありがとう。

ネタバレを避けていらっしゃるかたは、ご注意ください。


 

正宗くんの精一杯のお辞儀が、相葉さんのふつう、というところが笑えました。相葉さんのお辞儀を好きな人は結構たくさんいると思う。

あいば、薄着、Vネック、ばんざい!

「お父さんが一緒だから、寂しくないね。」という言葉で始まったこのエピソードは、結局、正宗くんも、コハルちゃんも、「さみしい。」という結論で終わる。人がひとりいなくなる、ということは、とても寂しいことなのです。だけれどそれと同時に、「かざまこはる」という言葉が当てはまって完成するパズルがひとつだけじゃないことに救われるエピソードでもある。このドラマの、ひとつをひとつずつ片付けていく、というスタンスは、踏み出せる一歩を確かめながら歩いていく新しい親子に、とてもあっていると思う。今回はとにかく演出と脚本が素晴らしかった。もちろん相葉さんと萌々果ちゃんは素敵でしたけれど、あくまでもそれをお膳立てした高橋伸之さんと、荒井修子さんに拍手です。素敵にまとまったお話でした。ありがとう。

Title sequence はあんなに幸せでいいのでしょうか? 眩しすぎて目がみえない。みえないよー。

何故シャンプーのシーンを飛ばしたのだ!(憤怒)

「かあさん、ちょっと心配しすぎだよ」の「かあさん」のDeliveryが死ぬほど好きです。いい。あの言い方。

人に言われたことを一生懸命やるだけの正宗くんは、20代で、9ヶ月の準備期間もなくいきなり父親になった人の現実に近いと思う。彼は前には進んでいないけれど、確かにがんばっているのです。だけれどスタートは、誰だってそこからでしょう? 追いつこうとしても追いつけない何かに手を伸ばしながら、まず目の前の小さな石ころに躓かないように前に進んでいくのです。このドラマは、障壁の現れ具合において、とても現実味がある。正宗くんはタイミング的に運に恵まれていないかも知れないけれど、不幸ではない。ああいう一週間くらいは誰にでもあって、そして乗り切ってやってきた日曜日に、少しあたたかい飲み物を飲んで、がんばっている自分を確かめながら、またやってくる月曜日を戦うのです。正宗の生き始めた非日常が、あくまでも私たちに理解の出来る日常を保っているから、私たちは驚きながらもうなずいて、まだ続きを気にすることが出来る。ドラマを作るうえで、非日常と日常のバランス感覚はその作品の基盤を定義する強さがあると思うので、安定発進のマイガールに、私はここから先を期待しています。

私は、コハルちゃんは、いい子でいるのが好きな子なのだと思っています。本当にこういう5歳児がいるかどうかは別にして、彼女の言動が理解できるかというレベルで問えば、彼女はとても分かりやすいキャラクターだと思う。彼女は周りの人間が笑ってくれたら幸せなのです。昨今、「いい子」という言葉が乱用されていて、自慢じゃないですが、私も高校時代、一概にいい子とされることに抵抗を感じていました。だけれど私は声を大にして言いたい。いい子でいることは、ほんとうは楽しいことなのです。自分がいい子でいることに対して返ってくる何かしらが、自分の幸福に結びつくのであれば、それはあくまでも人格的に自分が努めている姿勢が報われていることの証明であって、無理とか偽りとか、そういうネガティブな要素はどこにもないはずなのです。コハルちゃんは、正宗が笑えば嬉しいし、正宗が顔をしかめれば泣きたくなるくらい、純粋に自分の父親を愛している子供なのだと思う。そうして見れば、このエピソードはそんなに辛くないのです。なぜならコハルちゃんは我慢をしているのではなく、がんばっているだけだから。5才だからあんなに健気に見えるだけで、本当は人ががんばるということは、あれくらいの強靭さを伴う作業なのだと私は思います。だからこのエピソードは、親子が、お互いのために、さみしさを打ち消しあおうと、前向きにちょっとだけ間違ってがんばっていたエピソードなのだと思う。

今回の脚本て、まるまる原作をベースにしてるんでしょうか? 上手いなあ! この薄味加減が凄く好きです。必要事項を丁寧に掬い上げて、ふるいにかけた感じの仕上がりで、聞いているのがめんどくさいシーンがまったくといっていいほどなかった。「これからもずっと一緒に生きていくんでしょ!」 そうなのです。見ている私たちは、正宗がやっていることが父親として正しくないことは分かっているのだから、長ったらしい説教なんてなくていいし、背中を押してあげる言葉がひとつあればそれでいい。大家さんがコハルちゃんを発見したあとの、正宗との5コトくらいのやり取りなんかは、完結に愛で固められていて素敵でした。それから、「僕はコハルちゃんの父親としての勤めを果たさなくてはいけないので。」といういかにも義務感で構築されているセリフ。そこに選択肢のない感じ満載の、相葉さんのDeliveryも最高でしたが、あの流れの中であの堅さを見せる言葉遣いは秀逸だと思いました。

このエピソードは印象に残る画が多かったと思う。唯一の凸凹といえば、大家さんが子供の入居を反対しているシーン。あれは結構Out of placeで、不自然だったかもしれない。だけど私の好みの問題からいえば、「まさむねくん、またおしごとにもどるでしょう? こはるはへいきです!」の後の演出なんかは万歳でした。シンプルで効果的なうなだれ具合。無理に寄らないところもすき。それから「コハルちゃん、着替えロッカーにいれようか」と差し出した左腕が、行き場をなくしていつまでも中途半端に差し出されている件。あれはDirectionなのかなあ。正宗くんが硬直したまま動けないでいる描写が今回のエピソードは多くて、走り出してしまった日常にどうしても10秒くらい遅れを取っている彼の戸惑いがよく伝わってきます。

かっ。
かたぐるま・・・。そんなに軽々やられたら私腰が砕けて治りませんがな・・・。
もーお月様じゃなくて天国に手が届きますよ奥さん(号泣)。

肩に抱えた小さくて重い体温を、そっと何度も軽く握ったり、優しく繰り返しさすったりするのも、Directionの結果なんでしょうか? もー、あいばかは何でもかんでも相葉さんが自己発信でやってる演技なんだと思いたくてしょうがありません(苦笑)。だってあのタイミングであの仕草は素晴らしい超だったよ(Am proud!)。もう一個は、「僕は、コハルちゃんのことが好きだよ。ずぅっと一緒にいたいと思ってる。だから、ほんとうのことをゆってもいいんだ。・・・さみしい?」「・・・さびしい。」のシーン。このやりとりを初め、この前後の多くを引きで撮った監督の勇気に私は拍手を送りたい。壮大な比べ方をすれば、スピルバーグプライベートライアンの最後でハンクスを引きで撮り続けた素晴らしさに近いものがあります。だからこそ、その後の「僕も寂しいな」とか、むしろその前の圧巻の正宗の表情とか(あの相葉は心底上手かった)、心情を吐露するところが直球で投げられて、見ている私たちはそれをまともに喰らうのです。ここだけじゃなくて、今回は結構大事なシーンを引きで撮っていることが多かったように思います。私はそれが凄く効果的だと思いました。このドラマが作ろうとしている、静かでささやかな決意と戦いと幸せは、あの距離で見つめてこそ美しく語られると思う。

2人で泣きじゃくるシーンはあまりにも、あんまりにもかわいらしすぎて、私はぐふぐふ笑いながら一緒に泣いてしまいました(敗北)。だってーあの2人がもー、どーにもこーにもあんまりでー(涙)。コハルちゃんを抱き寄せて、もう一度小さな背中に回される大きな右手が、優しさで満ちていてとてもすき。あれは絶対相葉発信です(笑)。これほどまでに、相葉の手を愛したことは私はないよ。桜色のジャンパーを握り締めるあの精一杯さが好きです。

寝起きの図。向かい合わせの二人。やっぱり親子。こういううるさくない演出が全てだと思います、このドラマ。

「僕のむすめです!」で同じ嬉しさの踊る目で、しかも上目遣いで、見つめないでー(脱兎)。

「だっこ。」
もーなんだこのドラマ!(倒)

いまさらですが、相葉さんてえくぼがあるんだよね。
はえくぼに弱いんですよ。
ほんとに。
もう堪忍してください。

素敵。大好き。拍手。皆さんはどうおもった?

PS> 嵐はみなさん、ドラマが始まるとプラズマテレビになるんでしょうか? 相葉さん、いっぱい食べてもっと旧式になって(涙)。