ONE VOICE

     * ONE LOVE + ONE LIFE + ONE VOICE *        笑っていれば、イイコトあるよ  

名前のない前方を見る。

Music: Wake Me Up - Avicii

 

私は、櫻井さんが嵐について
「かわいい」が通用しなくなったときどうするか。
を結構早い段階で考えていたのを憶えている。
具体的にいつ頃かということを遡れないけど
何かの雑誌のインタビューだった。

通用しなくなったとき、というニュアンスではなかったかもしれない。
要は、彼は
自分たちを「かわいい」と言って喜んでもらっていることを知っていて
「かわいい」が有力な武器のひとつであることを理解していて
同時に「かわいい」に賞味期限なり執行猶予があると分析し、
その時効がいずれ訪れることを想定していた。
それを読んだのが、私が手放しで嵐を可愛い可愛いと愛でていた時と同じだったので衝撃だった。
そのことを憶えている。

同じように、相葉さんが「昇りっぱなしじゃないから、人生は。」の発言をしたのも
ええ、このタイミングでその話? という時節だったと記憶している。

嵐さんの、嵐さんに対する愛情をとても愛すけど、
嵐さんの嵐に対する客観性には、
畏敬の念しか抱けない。

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私が嵐さんに心を奪われたのは2007年ごろで
タイミングはおかしいのだけどきっかけは相葉さんの24時間の手紙で、
その時からずっと
あそこで共有された彼らの「トップになろうね」という夢について、
嵐というグループにおいてそれがどういう定義なのかを気にしていた。

それは特に、奇しくもその時私が応援をしていたテニス選手が、
世界一になり、そして世界一ではなくなった時期と重なっていたからかもしれない。

「トップになろうね」と言って、彼らはトップになった。
夢は達成された。
そしてどうするのか。

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TVの露出が増えた。
露出というのか、とにかくTVに出ていることが増えていた。
それは喜ばしいことであったし
そこできっと沼にズボズボした人も当然いるだろうけれども
そこに嵐というグループのメッセージ性を挟む余地はないように見えた。
とにかく顔が売れ、キャラが売れ、身近なものになって、
そしてコンサートで止めを刺す、というのが
嵐だと思った。

5万人が来るイベントで、ピンポイントな止めというのは刺せるのだ
と変に納得する。
7万人を、幸せにすることができる。

嵐のアクセル松本さんが、
コンサートをとにかく嵐の武器にしていたと思った。
嵐の矜持の櫻井さんが
とにかく攻めの姿勢を崩さなかったと思った。

嵐にとってコンサートとは自由で
嵐らしさであり
嵐のホームだったと思う。
新しいことをやって
見たことのないものを見せて
こんなこともできる
あんなところまで行ける。

がむしゃらに攻め散らかす演出を、
大野さんがあたかもそれが何でもないことのように見せるから
相葉さんが一緒に行こうよとホントは頑張りながら笑うから
二宮さんがそしてまるでいつもと何も変わらないから
私たちはそれの総てを、嵐らしいと認識することができたような気がしている。

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このエントリは、
Untitledをなぜか攻める嵐だと決めつけてDVDを見て、
いや違ったそうではなかったごめんね嵐
と言いたい私が
なぜなにがどうしてこれがこんなにいつもと違うコンサートだと思うのか、
を説明しようとして
ちょっと呑みながら書いています。

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先日も書いたけれど
私は今転職をしたばかりで、今の自分がどういう仕事を任せてもらえるかをアピールしたくて
けっこう必死である。
で、
職場の人に、あなたはとても必死である、そんなに必死である必要はない、
といわれてムッとしてたんだけど、
Untitledを見て、
うん、ちくしょう自分はとても必死だ。
と思わざるを得なかった。
そして、そこまで必死を押し付ける必要はないのではないか、
と思うに至った。

私は人生において色々ラッキーだし恵まれているけど
嵐さんの1年下(末ズの)という年齢は本当においしい。
見上げて、追いかけることができる。

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Untitledが不思議なのは、
突風のようなものが何一つないことだと思う。

重量と質量で、
ずしん、
とくる。

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私にも後輩がいる。
今の部署にいる長さは向こうのほうが先輩だけれど
年齢的にも経験値的にも私が上。
嵐さんもいつの間にか、
二宮さんでさえ後輩をごはんに連れて行って金を払ってやる立ち位置になった。

Untitledには、
そういう立場になってしばらく経つ人間が醸し出せる
老練さのようなものがあったと思っている。

特設や特殊効果で何か物凄い見世物があるわけではなかった。
演出は確かに凄かった。
いつものように、心躍る瞬間はあった。
けれどそれは、嵐に対する新しい驚きからではなかったような気がする。
ただ、この大きさで、光をこうして制御出来たら
おぉこんなことも出来てしまうんだわぁ凄い、という
工学や技術に対する驚きであって、
嵐がなにか新しくなったわけではなかった。
嵐はいつもの嵐だった。

肝心なところは、そこだと思う。

5人の身体で出来るすべてのことで
Untitledは成立している。

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嵐が例えば攻めることをやめて、
ただ最大の防御を敷いたらどうなるのか。

例えば、
出来ることを全部やる。
行けるところまで攻める。
を削ぎ落し、
今あるものを、ちゃんとやる。
ここにあるものを護る。
に力が集約された時、
嵐にどれほど光沢な甲冑があるのかを
見せつけたらどうなるのか。

ああ、嵐マジ強ぇ、となったのは
そういうことなのだと思う。
難攻不落すぎる。
勝てる気がしない。

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職場で、そういうふうなのを目指すのがいいのか、と思いながら
繁忙な1週間を過ごしていた。
出しゃばりたいところを、
ここで見守って
落ちてきたボールをスーパーリベロしたら格好良い、
に発想を切り替えてみたりした。

実際にはそう上手くは行かないし、
自分の性格とか言葉選びとか実際の状況とかが、
当然嵐ともコンサートなんてものともかけ離れているけど
確かに考える材料になっている。
転職を繰り返す人生だと、
お前は今こうなっているからこうやってバランスを取れ、とか言ってくれるような常設の先輩もいなくなる。
そういう時に、
歳を数えるということは、こういう風に同じものに対するアプローチを変えていくことなのだ。
と見せてくれる存在があるというのはありがたいことだと思う。
幸せなことです。

嵐さんのファンになって良かったと思うんです、私。 > 櫻井さん

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トップを目指してトップになってしまった人が
その後を考える気持ちを知らない。
そこは私には見られない領域で、想像も及ばない。

けれどそこにあるものが苦悩ではないことを私は祈っていて、
そうして見せられる世界が、
追われる側にはこういう戦い方もあるのだという少し洒落た傲慢な強靭さだと
ああ好きだなぁ、と思う。
やっぱりこれも嵐だよなぁと思う。

むしろこれこそが嵐なのか。

負けない。

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櫻井松本を勝負に出した時、彼らは勝ちに行くと思う。
相葉二宮を勝負に出した時、彼らは最大限の優良であろうとすると思う。
大野を勝負に出した時、彼はその戦の価値を尋ねると思う。

その全てが嵐の進み方であり、
それはいずれにしても強く、そして前なのだと感じる。
進んでも前。
護っても前。
だから大丈夫なんだと。
何を心配しているのだとしても。

だって不安になる要素なんてそこら中にある。
でも嵐さんは大丈夫なんだよ。

どうしたって前に進む。
そういう風に乗っている。
そうして山を越えていく。
私たちを連れて。

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大人になるというのは怖い。
後輩が出来ていくというのは怖いなぁと思う。
びっくりするような発想や才能がそこにはある。
そしてそれは終に途絶えることがない。

だけどそれをこうして迎え撃つのだという胸の奥の深さが
頭の柔らかさが
心の温かさが
私は嵐を好きだなぁと思い続けさせる。
嵐というものは、ただ凄い。

これこそが最大の攻撃。
これこそが最大の防御。

名付けられない最大の嵐。

 

もう一回見ようかな! Untitled. パチパチ。