ONE VOICE

     * ONE LOVE + ONE LIFE + ONE VOICE *        笑っていれば、イイコトあるよ  

共有されるもの・一体感・仲良しであること

Cool&Soulのデモを聞いた。最初から最後までラップは全部翔くんなのに、なんだか他のメンバーの声が聞こえるような気がする。よく分からなかった。なぜ自分が書いたこの曲を、彼は自分だけで歌ってしまおうと思わなかったのか。

奇しくもCool&Soulと銘打たれたツアーのパンフレットで、彼は「言葉遊びが好きだ」と言った。選び抜いて喋った言葉をライターに変えられると「やっぱすごいイヤなの」。この作品の動機については色々逸話があるようだけど、彼の中できっと、言ってやりたい何かが確かなものとしてあって、それを伝えるために選び抜いて生まれた言葉が、この傲慢ともとれる、ふてぶてしい、言ってしまえばキャイキャイ嵐とは程遠いものだったんだろう。そう考えるとますます彼は自分だけで歌いたかったんじゃないだろうか、と思った。思っていた。

けれど暫くこのデモを聞いていて、あることに気付くと、この曲を5人でやることにした彼の気持ちが分かったような気がした。そしてそれは、とても嵐らしい理由だとしみじみ思った。

嵐はおろか、ジャニーズのコンサートというものに参加したことがない私は、チームカラーというか、それぞれのグループがどういった独特なコンサートをしているのかはとんと見当がつかない。今回のCool&Soul制作秘話の一件が気になってブログを回ってみたところだと、「KAT-TUNは引っ張って行かれるコンサートだけど、嵐は一緒に進めていくコンサートだ」と。そしてそれぞれがそれぞれにイイと。考えてみればジャニーズさんも最近は大盛況すぎて、各々が各々に味と色を持っていないと共食いで共倒れという可能性があるわけで、引っ張っていく俺様性バツグンのKAT-TUNもそれはそれでかっこいいに違いない。その一方でC&Rをうまく使って暖かく、そして時にかっこよく、一緒に進めていく相思相愛の一体感を大事にする嵐。何より一回のコンサートでメンバーのホッペに3回くらいキスしちゃったりと、仲が良すぎてたまらないのが、嵐コンの醍醐味であると。いうのがブログ周りを終えた後に私が到達した一般論だった。

デモを聞いたときに、まるで感じなかった違和感の理由は、きっとそこにあるんだと思う。嵐として代弁した、翔くんの主張。デモがCDになる過程で、決して何も損なわれることがなかったのは、彼のデモでの表現を他の4人がこれ以上ないくらい忠実に再現してみせたからに他ならない。「天照の頃から俺らは地上の遙か外側」なんてその最たるものだと思う。嵐の5人の声というものは、似ても似つかないくらいみんな独特で、特にニノのラップをやっている声と、翔くんのラップをやっている声といったら、高さそのものにまさに天と地くらいの差があると思う。それが翔くんだけのデモを何も変えることなく、でも5人の嵐が作った1つの作品として形にできる。これはひょっとしたら、凄いことなんじゃないだろうか。

1つ1つの言葉の裏に、逐一のこだわりがある翔くんだからこそ、その想いをあえて5人で表現したのには、なにか見せ付けたかったものがあるんじゃないかと思う。それは自分が持つ伝えたい何かを、嵐というグループが違うことなく共有し、過不足なく表現できるという優越感にも似た自信に他ならない気がする。そしてその分かりあえる自信こそが嵐らしさであり、その表現を目の当たりにしてトリハダを立てて感動できる嵐ファンは、やっぱり嵐と相思相愛なんじゃないかと、思ったわけだった。

Cool&Soul、ますますいい曲です。