ONE VOICE

     * ONE LOVE + ONE LIFE + ONE VOICE *        笑っていれば、イイコトあるよ  

がんばれ自分

水曜日が終わりました。明日まだもう一クラスありますが、とりあえず今週はひと段落です。先学期は月・火が怒涛でしたが、今学期は月・火・水と怒涛が続きます。今週は特に予想外のアクシデントが多くって、火曜日とかは死ぬかと思いました。

去年の今頃にやっと専攻を決めたので、専攻の科目ばかりで大変なことが多いです。やっていることそれ自体はそんなに難しくなった気はしないんですが、グループでやらなくてはいけないプロジェクトがとても多くて、そのためにみんなでミーティングをしたり、ペーパーの下書きをしたりと、間に合わなかったから後でいいやという自分勝手なペース配分が出来ないのが一番苦しいです。

就職を去年の秋くらいから意識するようになって、なんとなくですが面接でどんなことを聞かれるんだろうとか考えたりし始めました。一社面接も受けてみて、なんとない感触を味わってみたりもして、日々それなりのシュミレーションを出来る限りはしてみるようにしています。一番の問題は、絶対に聞かれるに違いない「アメリカにはどうして来たの?」という素朴な質問で、それの答えが未だに見つかりません。「来たかったからです」というのがウソのない正直な答えなんですが、それじゃぁ話が膨らまないし、正直自分がものすごくつまらない人間に見えそうでイヤです。高校のときの先生にその話をしたら、「そこにアメリカがあったからです」と言えと言われましたが(笑)、それも確かにそうなんだけど、もうちょっとウソのない、それでいて今までのアメリカ生活に意味を持たせられるような理由があればいいんですけどね。・・・そんなん今さら考えるほうがまちがってるんですけども(苦笑)。

アメリカに行きたい→行かなきゃ→行くよ、私は。になったのは高校3年の春先とかだった気がします。行きたいという衝動がまずあって、それを鎮めるためにアメリカに行くことにしたようなものなので、基本はとても楽しみですが、その当時は英語が分からなかったり宿題が終わらなくって泣きながら勉強している自分を想像してもいました。アメリカに来てすぐにはそういう現象は別に起こらなかったんですが、前の学期に物凄く大変なクラスをとって、始めの5回くらいは毎回終わってから大号泣で、果てにはクラスの最中にうるうるしてきてしまったりしたときもあったくらいでした。ビジネスのクラスだったんですが、討論ベースのクラスで教科書も板書もなく、頼りは自分の耳とノートだけ。発言しなければ怒鳴られる、発言しても馬鹿なことを言ったら怒鳴られるという激しいクラスで、でも褒める時も徹底的に誉めたり、ジョークももちろん飛ばすようなとても飴とムチのはっきりした先生でした。他の先生のクラスに変えてやろうかとも思ったのですが、でもここが踏ん張りどころだとなんとなく思い、結局最後までがんばってしまった自分はそれなりに誇りです。

今でも自分という人間は基本は大変なことや辛いことが嫌いです。逃げられる辛さからは出来る限り逃げたいし、特に体力的な辛さには結構弱いので、部活もズルばかりしてきました。残念だとも思うし、そういう自分にがっかりもしますが、それも自分だし、しょうがないやと思ってしまうのでどうしようもありません。ただ、最近思うようになったのは「がんばれ」という言葉はなんてすばらしいんだろう、ということです。日本ではこの言葉はプレッシャーをかけるからあまり使わないほうがいいとか、もうこれ以上がんばれるかバカヤロウ! と言いたくなるから言われたくないとか、いう話があるみたいですが、私はぜひ言ってもらいたいものだと、最近よく思います。

アメリカに来てからの私の口癖は「がんばれ自分」です。アメリカでは「がんばれ」なんて言ってくれる人はいません。基本はみんなほっとき主義です。がんばる奴はがんばる。落ちぶれていく奴は落ちぶれていく。そして別に誰も見向きもしません。発言しなければ名前はおろかクラスでの存在すら知ってもらえないこともあります。私は誉められて伸びるタイプなので、まず存在を知ってもらって、それなりの期待を抱いてもらって、それを突破することで誉められるというのが日本にいた頃の私の成長の仕方でした。それがアメリカに来るとまるで起こりません。テストでいい点を取ろうが先生は気にしないし、クラスの友達だってクラスでしか会わないので、私がどういう人間かを知る機会は余りありません。そうなってくると、誰も私に期待しないし、ましてや「がんばれ」なんていってくれるほど近しくなる人間はいないわけです。

「がんばれ」というのはそもそも日本語特有の単語で、英語で言うとGood Luckが一番近いのかもしれませんが、要するに幸運をということなので、別に自分の努力云々よりも、運は天任せの激励でしかありません。Do your bestとかだと、自分で出来る限りのことをやればいいよということですから、別に他人の期待がどうとかいうことはやっぱりまるで関係がないわけです。しかし期待されないというのは私のような人間にとってはエネルギーの出所がまるでなくなってしまうということなので、なかなか大問題です。がんばる理由がどこにもないし、だったらがんばる必要もないわけです。だから毎日毎日「がんばれ自分」と言って聞かせるしかありません。そうじゃないとコトが始まらないんです。何はなくとも自分のために、という自己中心的な考え方は、なかなか自分を鼓舞し続けるには難しいものがあります。もぉいいや、と思ってしまえばそれまでで、別に誰もがっかりしないし、怒らないし、自分さえそれでいいのだったら辞めてしまえばいいんです。そこがアメリカはとても難しいと思う。

人間逃げちゃいけませんよ。
行動というのは、
人にごまかせても、
自分にはごまかせない。
とった行動をいちばんよく覚えているのは
自分ですよ
-浜口庫之助

これはどっかのウェブさんで見つけた物なんですけど、これはきっと物凄く本当で、だからこそ今自分がどうするのかは悩みぬいてから決めなければいけないんだろうなと思います。自分がやり始めたことでも、やめたくなったらいつだってやめられる。でもそれで困るのは自分以外誰もいない。そこまで自分任せにされてしまうと、かえって辞めるのすら随分と難しく思えてくるから不思議です。

しんどい時に自分で自分にがんばれがんばれと言い聞かせてる姿は、まるで友達がいない子みたいでかなり滑稽です。でもここが踏ん張りどころなんだと思うから、負けないように挫けないように、前へ前へ。来週もがんばります。

支配されるな 間違うな
簡単に乗せられるな
騙されるな
己で
己で
己の足で
己が
己の望むことを
己の望むように
己で考え
己で選び
己で決めろ
己を信じ 己を頼め
己で荷を背負い 己で責めを負い 己で守れ
己の意思で 判断で
誇りを持って
己のために生きよ

<BASARA 田村由美
↑死ぬ前に一度は読まなくてはいけない漫画。生きることと生きていくこと、二つのことについて描かせたら、田村由美を超える人はいないと思います。