ONE VOICE

     * ONE LOVE + ONE LIFE + ONE VOICE *        笑っていれば、イイコトあるよ  

so we're not doomed to repeat it.

1995年4月19日に起こったオクラホマのテロについてのドキュメンタリーをやっていたので見ていました。見ているうちにこのテロについてまるで何も記憶がない自分を心から不思議に思いました。サリンの一ヵ月後ということで当時日本はオウム騒ぎの真っ只中、地球の反対側まで気がまわらなかっただけなんでしょうか。事実は小説よりも奇なり、という言葉が具現化されたのは日米どちらも似たような時期だったのではないかと思います。

日中関係も怪しくなってきました。国交がゴタつくたびに思うのですが、3000年近い歴史を6年間で教えようとするんだから、すっぽ抜ける部分があるのは当然じゃないかと思うんですよね。肝心なのは、すっぽ抜けている部分があることを、認識しながら読み進めていくことだと思うんです。田中芳樹銀河英雄伝説は10巻かかって5年くらいの仮想歴史小説を綴っています。もしこれが本当の歴史であったとしたら多分教科書10ページで終わりでしょう。でも小説を読んでそれを体験してる気分になっていたり、のめりこんでいたりしたときに、物事がはしょられるのを見るのは、ものすごく辛いことです。でも結局どんな行動か正しく、また間違いであったか、判断するに置いては、たとえそれが歴史上の事実であったとしても、決められるのは道徳でしかないと思います。そうなってくると銀英伝の言葉にありますが「愚将が味方を100万人殺すとき、名将は敵を100万人殺す。その差があるだけで、殺されても殺さないという絶対的平和主義の見地からすれば、どちらも大量殺人者であることに差はない」わけで、要するに行き着く先は「争いごとはやめなさい」という分かりきった場所だと思うんです。ただ、なんだかんだ言った所で、後世に語り継がれていくべき悪事が語られていないことを、また悪事として祭り上げているわけですから、結局語り継ぐつもりがなくても、語り継がれて言ってしまうんじゃないかと思います。前にMeganと歴史関連の話をしていたときに原爆の話になって「I'm sorry for the bom」と言われましたが、私は「I'm sorry for the pearl harbor」と言い、二人で笑ってそこは終わりでした。被爆された方や、真珠湾の遺族から見たらとんでもない暴挙なのかもしれません。でも歴史は私達の間に流れているわけではなくて、私達を遥か後ろから流してきたのですから、その会話で私は十分だと勝手に思って満足しています。