ONE VOICE

     * ONE LOVE + ONE LIFE + ONE VOICE *        笑っていれば、イイコトあるよ  

りりとろきしとわたし

今年の2月に、オンラインゲームを始めた。
FFXIVという。

新しいパッチ(?)のライブイベントをYoutubeでやってたのを何の気なしに拝聴。
中村さんタグを漁っているときに出会った、直樹の部屋というイベント企画での
吉田さんというプロデューサーの、お話や会話の仕方が好きだという意味不明な理由だけだった。

けど、ただでさえ馴染みのないゲームという媒体の、
触ったこともない作品の10年目(?)のアップデートの話を聞いて
楽しい
と思うのは何故なのかを知りたくなり
年季の入ったDynabookにダウンロードしてみたら取り合えず動くので安易に進めてみた。

キャラクターの登録画面に差し掛かり、名前を求められて、不思議な気持ちに陥った。
私はオンラインで楽しく遊ぶものは全部一貫してRoxie-reeなのだけど、
そこにあるのは、全て文字だったんだな。

顔と姿をもつとなると、このキャラクタはろきしさんではないように思えて
さんざん悩み倒した。
結果、Roxie-reeに混ざってる本名の「り」の部分が繋がっていれば心が落ち着く気がして
色んなパターンの「り」を考え、字面でLili Ryとした。
たぶん2時間くらい考えた(笑)。

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ゲーム内で、フリーカンパニーというサークルのような集まりに入れていただいていて、
とてもたのしく遊んでいる。

仕事を初めてこの方、
ずっと仕事が楽しくて、仕事が好きで、いろんなところに行くことが出来た。
それは寂しいことではなかったけれど、
仕事が自分の生活で一番の時、
仕事で受けたストレスは仕事でしか発散できない、という状態は
そのままであったらここ最近の数か月は非常に厳しかったと思うから
FF14に出会えてよかったし、
その世界での遊びのプロみたいな皆さんに出会うことが出来て本当に救われたと思う。

どこにも所属しないでひとりやっても進められるゲームだけど、
手ほどきをしてくださる先達の、おもしろくて暖かい皆さんがいるのは心強いし
遊びが上手な人は、見ているだけで楽しくなる。
仕事やコロナに影響をされない純粋な何かに没頭する時間があることが、
気持ちの切り替えにとても健康的だったなと思う。
ありがたかった。
でかしたぞ自分、よくこのちっさなPCにこんな最先端ゲームをダウンロードした!(笑)

フリーカンパニーのみなさんとチャットでお話ししているとき、
結果的に口調は自分自身のものだし
ゲーム日記を書ける機能があるから文字も書いているんだけど(Lili Ryの日記 ←)
どう試行錯誤しても文体も構成もここのブログと似てしまうのは笑うしかない。

どんな風にキャラクタを作って名前をつけても
やっぱりどうにも変わらない自分というのはあるんだなって話(笑)。

リリというのも私です。

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さて、そんな自分は、来週からオフィスが現場にお引越しになります。
どんなふうになってしまうのかがまったくわからない。

作業することは結構明確だし、今のチームの仲間の頑張っていくのはとても楽しみだ。
毎日事件しかないこの状況にあって、けして怒鳴りあったりせず、なんとかお互いをサポートしながら
毎週金曜日、「今週も生き延びた!」と拍手し合いながら解散する。
恵まれた場所にいる。

全体像からみたら私の守備範囲なんて球場全体の芝生の数本ぽっちくらいでしかないのだが
手の届く範囲を現実的に見ながら、
恥ずかしくない働きをしたいと思う。

とりあえずは最後まで健康でいて、
またゆっくりゲームを進められるように。

 

その度にやまない夢と 空の青さを知っていく

Music: カイト - 嵐  (アラフェス2020 at 国立競技場)

 

どうして今の仕事を始めたのですかって聞かれるたび
よくしてきた例え話がある。

私のいまの職は公的事業という位置づけなのだけど
私は、この仕事が世の中に必要不可欠だとは思っていない
この仕事が生み出された当時、
それよりも前、生み出されようとしていたころ
世の中には津波でお家が流されて帰る場所のない方がまだたくさんたくさんいて
そんな人たちの置き去りにして国は東京の埋め立て地に村を作りおもてなしをしようとしていた。
そんなことにお金を使うのなら、
なくなった家を
生活を
日常を
と思う気持ちがあって、
ずっと応援の気持ちにはなれなかった。

しかし人生とは不思議なものだから
私にその村と地続きになっているお仕事をする機会がやって来た。

きっと
世界線がほんの少し違っていたら、きっと諸手を挙げて飛びついたと思う。
それだけ魅力的な舞台だ。
その作業を構築するあらゆる要素は幼い頃の自分が思い描いた、楽しそう、の全てだった。
でも私はこの機会が存在すること自体に反対をしていた。
どうしたらよいのか。

こういう考え方をすることにした。

私には二人の知人がいた。
この二人が付き合いだした時に、私は反対した。
いまこのタイミングでは、
お互いがお互いにとって良い存在であるとは思わない。

けれどこの二人は私の意見を聞くことはなく結婚をした。
さて彼らは子供を授かった。
二人は、私に手を差し伸べて、一緒にこの子の面倒を見てくれないかという。
この子を育て、羽ばたかせることに力を貸して欲しい。

なるほど子供に罪はない。
生まれてしまった存在は間違いなくそこにあるのだ。
いまさら私がどういったところでそれが取り消しになるわけでもないし
この子がどんなものになるのか、楽しそうではないか。

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あと少しでその子供が一人で歩き出すはずなのだけど
まったくもってどうなっていくのかわからない。

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私はいま
この子供を育てるという覚悟をしたところから
けっこう遠いところにきていて
年齢順に待ち並んでいたはずの列を飛び出し
安心と安全を安易に手に入れようとしている。

立ち戻れば
私は安心と安全を、お家のなくなった人たちに感じて欲しかったのではなかったのか。
あの気持ちは嘘ではないし
まだここにだってあるはずなのに
その気持ちをこそ私は育てることをしなかった。
そういう選択をしたということなんだ。
だからこそ歩いてこれた道でもある。
呆れや苦笑こそあれ後悔はない。
ちょっとばかりの誇りだってある。

この安心と安全ですら、
すでに存在してしまっているもので、
私がそれを受け取らなかったところで、
大した違いを生み出すことはできない。
何も特には変わらないし
自分の思い通りにはならない。

なのでこれはありがたくお受けするべきなのだ。

…お受けするのが良いのだろうか。

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Youtubeが突然、甲子園の好プレー集をお勧めしてきて
よく分からないまま泣いた

この春も夏も経験のできなかった子たちに
競技を続けてもらわなくてはいけない。
スポーツは、続けていけばきっといつか何かしらの感動につながる。
ただ一つのボールが上手く返せたとか
思ったように体が動いたとか
ただ気持ちよかったとか
そういう本当に一瞬の出来事が
きっと去年の夏も
今年の夏も
こえて
どこかで起こる可能性がある

そういう夢を見せなくてはいけない
そういう気持ちになる大会にしないと

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接種を受けるかどうかは個人の判断に委ねますと言われている
受けなくても仕事はできる

受けたほうがいいんだろうか

なんでもっといろんなことが簡単にならないのかなぁ!
びっくりするくらい全てのことが複雑に絡み合っていて
何をどう解いたら
自分は正しかったと思えるのかが全然わからない
何を選んでも私には理由があり
何を選ばなくても私には道理がある

じゃあ何を選べば一番自分は心が許されるのだろう

世界が安心安全になってくれたら
どうしようもなくほっとすると思う
けれどそれは直ちに形になるにはないものねだりで
私の個人の努力ではどうにもならないんだよ

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お仕事をしていて
いろんなところから支えてもらっている
世界の皆さんに思いやってもらって汲んでもらって
むちゃくちゃな計画変更も
信じられない辛抱強さと芯のある柔軟さでのんでもらっている

みんな誰かの夢をかなえたいと思っている
ほんとに、10秒くらい一度だけ走ってお終いの選手だっているのだけど
そんなことほんとにどこでだってできそうなのだけど
だけどそれだって夢だ

私のいまの頭では
何を大切にするのが正しくて
何が何よりも大事でよくて
どの夢がどうして優先されているのか
それを説明することがどうしても叶わない
なにもわからないよ

途中でやめることも勇気なのだろうと思う
声を上げることに意味だってある
反対だと思ったときに
それを主張していたら何かが変わったのかもって思うことだってある

だけど本当に本当のことは
これの最後を見てみたいということなんだ
どういう形であれ終わりのあるこの仕事のおしまいを
私はその一部で歯車で仲間として見ていたい

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怪我も病気もないように
健やかで

それはとても難しく、有難くて贅沢なことだから
それこそを大切にしよう

自分でなんとかできる
このひとつの命のことだけを考えるとき
それはとても明確で間違いのないことのように思える

いまはそれにしか確信が持てないから
それを握りしめる
いい大人になって、ある程度の立場になって
そういう視野の狭さがとてつもなく怖いけれど
集中して頑張れることがそれしかないのも事実だ

その程度の器で、いま、頑張っている
そういう時間なんだ

ふんばれ自分

 

白い手紙

Music: Aurora - BUMP OF CHICKEN

 

就業時間中、いまの仕事はとても面白い。
かつてない状況のさなかにあって、参考になりそうな事例を探すところから始める。
これまでの各人の経験を、いかに掛け合わせれば最大値の集合知を引き出すことが出来るのか。
たくさんの新しい、そしてもう二度と得られない学びの場だ。
何より人に恵まれている。
スクリーン越しでも目くばせをしながら、声を掛け合って、
きっと前だと思われる方向に顔を向けて
出来るだけ笑顔で
いっしょに進んでいく。

仕事が終わって一般市民に戻った時、
突然つらい。
しんどい。
たまらなくきつい。
会社で起こったすべてのことに疑念を持つ。
自分のアイディアも、文字にした意見も、口にした言葉も、耳にした会話も、
それを支えた価値観の何もかもが揺らぐ。
今日下したすべての判断が、社会的には間違いのように思う。
しかし何を正したら許されるのか想像もつかない。
不思議だ。
会社の一員ではあるのに
社会の一員である気が少しもしない。

私の勤める職場は
いかにしてこのプロジェクトを成し遂げるかということを目的にして作られている。
だからこのプロジェクトの価値や意義を
問い直すという機能はもともとないし、そういう場を今から作るという余裕がない。
プロジェクトの規模が大きいから、
完全に自力ですべてを成し遂げるということはもともとできなくて、
だから他の分野や業界に助けを依頼しなくてはならない。
それがなくては出来ないので、
それが出来ないということが、中止への一番明確な道筋のように思う。

仲間たちと捻り出す
前へ続く道の選択肢をひとつずつを
明確に
絶対的に
捥いでもらって、
削いでもらって、
だからね、できないね、と諭してもらうのを待ちながら
また会社に行く。
会社なら一人ではない。

スポーツという行いが、見ている人に勇気や元気を与えるとしたら、
それは自分と同じ重さの命をもった生物がやっているからに他ならない。
等身大でない、自分よりも優先された身体が飛んだり跳ねたりしたところで
それはもはや他人事で別世界の何かで
そこにインスピレーションはない。
競技スポーツが自分事ではなくなった社会に
この大会からレガシーなど生まれるはずない。

体を動かすことの歓びや、
今の自分の最大限を目指す努力の価値が損なわれないためにも、
このイベントは社会から隔絶されてはならないし、
コミュニティの中に受け入れられていなくてはならないと思う。
いま強行することで、アスリートや競技というものの見られ方が変わっていくのなら
それはスポーツという業界にとって致命的なものなのではないだろうか。

まとまらないまま、
このエントリを終わる。
いつかきっとこの日々を振り返って考えて
この話をきちんと着地させることができるように
ちゃんと生きていようと思う。

桜だと思っていたアーモンドの花が散ることについて

Music: History Maker - Dean Fujioka ← 

NetflixでYuri!! on Iceを発見したので7話を久しぶりに見た。
このエピソードは最後に何が起こったのか、未だに定かではないけど、
豊永さんの演技がとにかく好きだ。
初めて見た時も、最後に見た時も、
まだ豊永さんという声優さんを良く知らなかったのに、
あのフリーの演技の全てのセリフを一緒に言えるくらい、
すべてが強く印象に残っている。

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Yuri on Iceというピアノの曲は
私が2018年に転職をするきっかけになった音楽で、
いや、きっかけという言い方は正確ではないんだけど、
聞くと思い出す景色が明確にある。
当時の職場に向かう、幼稚園の前の小さな小道で、
イギリスではよく見かけた、桜だと思っていたアーモンドの花が満開で、爛漫で、
はらはらと花弁が散っていくその中を
もうこれ以上ここにいられない、と思って泣きながら歩いていた。

仕事に行くところだったのか
仕事から帰るところだったのか
今となってはもう思い出せないけど
あの時確かに
その道の行き止まりに全身が触れたと思った。
交わす余地とかはない感じで。行き詰った。
物理的な感覚だった。
もう猶予はないって
思った。知った。

動かなくてはいけないのだと、
気付いてしまう時はいつも泣く。
このままではいられないという焦燥感は
子供の頃に踏んだ地団駄の涙の味がする。
いつも悔しさが大半を占める。
だってきっとここが「そう」なんだと思って頑張っていた。

36歳になった。でも今日も同じような気持ちで泣く。
たぶん大人になってはいない。
本気になって、
ずっと集中を乱されないまま終わるなんてことは
やっぱり夢の果ての絵空事なのかなぁ。

2017年にアニメという沼を開拓して、
特に声優さんという職業に初めて触れた。
これまで、沼にズブズブしていく様子はこのブログに比較的記録していたのだけど
何故かこの経緯が残されていなくて、
だいたい何があってYurii!! on Iceにたどり着いたのかも定かではない。
いつか思い出せるのだろうか。
それとももう二度と戻ってこない何かなのかなぁ。

ヒーローたちへ

Music: Hero - 嵐

無事に2020年の年末まで送り届けてくれてありがとう。
事故や事件に巻き込まれないでいてくれてありがとう。
この渦中にあって、心身共に健康でいてくれてありがとう。
最後まで嵐を大好きな5人でいてくれてありがとう。

責任が取れないと言っていたけど、
良いよ。
何をしても良いよ。
どこにたどり着いても
辿り着かなくても
楽しいことをして、面白そうなことをして、
どうぞ自分のために時間を使い
気の休まることをしてみてください。

10代の少年だったころから、
どれだけ休日をもらっても、きっといつも
「今この時も嵐」だったのではないかと思います。
嵐ではない自分がどんな人間なのか
改めて見つめることはいまさらかも知れないけれど
仕事をしていても
していなくても
きっと新しい発見がたくさんあるのだろうと思います。
その驚きや戸惑いや歓びを
私たちは見れたり見れなかったりするのだろうけど
いつかどこかでまた会える時があったら
お話聞かせてもらえたら嬉しいです。

嵐が休止するという発表があってから
ずっと分かっていて幸せだったのは、
同じ夢を見ることにしてくれたんだということでした。
再開するかは分からない。
でもいつかまたやりたくなるのかもしれないという未来を否定はしない。
嵐さんがいままで見せてくれた世界には
たくさんの夢や可能性があって
叶わなかったものもあれば
現実になったものもあった。
でも夢だけ見たっていいじゃないとあなた達は言うから。

だからこの夢も
同じように生かしておいていいんだと
知っています。

嵐はひとりの人間ではないので
動機も原動力もひとつではなく
大切なことも
幸せの種も
命の使い方もきっと違う。
それでも個々人の未来という
本来誰とも共有できない情景のひとつを
みんなで分かち合って手元に置いておくことにしてくれたんだなと思うと
それだけで満足です。
夢をそういう風に見られることこそが、嵐なんだなと思う。

いつか巡り逢える虹の橋がここにある。

同じ夢を見ようね。

だから休止しても嵐はずっと嵐です。
守り通してくれてありがとう。

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楽しむ努力をすることには意味があると、
教えてくれたのはあなたたちでした。

メンバーの笑顔を見たメンバーが
それだけでとても嬉しそうなのを見て
勇気がどこから湧くものなのかも教えてもらった。

たくさんのものをくれましたね。
形にもならず
数えることも出来ないことばかりだけど
私がここまでの人生を恥ずかしがらずに振り返ることが出来るのは
嵐さんがいたからで
何もわからない2021年も頑張りたいと思えるのも
嵐さんがいたからです。

私のヒーローたち。
感謝の気持ちでいっぱいです。
お疲れ様でした。
お世話になりました。

元気でいてね。
どうもありがとう。

初嵐さんエントリまとめ - I remember when we were young

Music: Heading Home - Alan Walker & Ruben

いよいよあと12時間を切りました。
ありがとうのエントリとか、これからもよろしくのエントリとか、
いろいろ考えたのですが、まったくもって気持ちがまとまらない。

今この瞬間も嵐は稼働していて、
無事に活動休止する、という初めてのプロジェクトに挑もうとしている。
笑顔で終わって欲しい。
出来なかったことのたくさんあるなかで、せめて限られた形の中で気持ちよくゴールさせてあげたい。
とりあえず何事もなく
今日の日も元気に、
本人たちが少しでも成功したと思えるような最後の形を飾れますように。

祈っている。
でも何かあったら怖いので出来るだけ離れてみている。
ドキドキしながらライブを見るよ。

来年客観的になれるようなことがあれば、記事にしたいなと思っています。

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もうずっと一緒にいたように思うし、
これからの自分も嵐のある世界で生きていく気がしてしまうけど
そうではない。
今のことも、来年のことも今は書けないけど、
出会いという確かにあった始まりのことを思い出して見たくて、
初体験をエントリしたときをまとめてみました。

いつかまた同じような新しい気持ちで
新しい形で
新しい嵐さんを見つけて行けたらいいな。

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■ 2006年 大学3年生@カリフォルニア
11月5日
嵐さんの沼に脚を突っ込みました宣言。14年前。あの頃はまだYoutubeで動画がたくさんあった。

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3月14日
初めて嵐ファンさんとネット越しにリアルタイムで会話をした。メッセンジャーっていうところに時代を感じる(笑)。nao☆さん、お元気かなぁ。この年末をどう過ごしていらっしゃいますか?

roxieree.hatenablog.com

■ 2008年 社会人1年生@ニューヨーク
5月6日
満を持して、初めての嵐会。ご自宅にお邪魔して、お泊りまでさせていただいて、ホント楽しかった。Tomoさん、FBの投稿、いまも拝見してますよー。げんきしてるー??

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■ 2009年 社会人2年生@ニューヨーク
2月7日
生櫻井さんin NY。初めて本物の嵐を体感する。今にして思うとこの3か月後にはまさかの帰国だったので、よくこのタイミングで会えたなぁ。このエントリをMimiちゃんと会場の地下の会議エリアみたいなとこで書こうとしたことを覚えている。翌日の拍手コメントがとんでもなく暖かくて感激したことも。あの時いただいた言葉たちは今でも宝物です。ありがとう。

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2月9日~
NYで櫻井さんに会うまでの舞台裏シリーズ。全話のリンクが揃っているのでEp.4を下にリンクします。結局完結しなかったけど、Ep.5で何を書こうとしたのかは思い出せない。上記の櫻井翔エントリと合わせると多分覚えておきたかった情景は全て書き残した気がする。

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■ 2010年 社会人3年目@東京
4月18日
初チケット争奪戦。楽しいエントリではないけれど、実際にそれらしいファン活動をしなかった私の経験した唯一の物理的争奪戦に置ける感想なので取り上げておく。相葉さんの舞台チケットを買うのにRumyさんと夜通し並んだけど、シャッターが上がった早朝のスタートダッシュで迫力負けした話。

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5月20日
初の生相葉さん舞台を観劇した後の感想。上記の紆余曲折がありながら、お譲りのリレーで奇跡的に拝見できることになった。君と見る千の夢。実はこの舞台の内容はあんまり記憶にない。でもこの時の感覚は覚えているし、舞台が終わった後に確か韓国料理屋でしづむちゃんと初めて会った気がする。

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11月20日
初めてのライブへ行く電車内からの投稿。みさっちゃんさんにお声がけいただき、君と僕の見ている風景を見に行く途中。結局は、最初で最後の参戦だった。2012年の嵐フェス、オープニングのアニメーション演出で、ファンのみんなが自宅からワクワク出かけていくくだりがある。私あの始まりを映像で見てすごく泣いたんだけど、あれはこの時の経験をさせてもらったからだと思ってやまない。ああいう風にワクワクして、ドキドキして、楽しくてたまらないという気持ちを教えてもらった。何も怖くなくて、ただ盲目に信頼して期待する。あれは贅沢な幸福だったんだなぁ。

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11月23日
Arashi 10-11 Tour "Scene" ~君と僕の見ている風景~ 11/20 東京公演 の感想。いつかまた、どこかで、君と僕は同じ風景を見たりするかなぁ。夢を抱いてもいいよと、休止を選択した嵐が許してくれたので、ただ漠然と思いを馳せる。またいつか ここで集まって 話すときには自分の風 旅した日々の足跡を。これからもこのブログは続けていきたいなって思う。

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12月24日: 繋がった糸

Music: カイト (cover) - 波羅ノ鬼

思い立つがままに消費していたと思う。
テレビに出たらそれを見て
ライブがあればそれを見て
CMがあればそれを見て
歌う嵐
踊る嵐
笑う嵐

けれど12月もあと1週間。
いまは、とにかく嵐さんの番組を後生大事にため込んでいる。
もったいなくて見られない。

嵐は、減るものになった。

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私が嵐さんに出会ったのは
24時間テレビの相葉さんの手紙だった。

私の嵐は、
ただ、
嵐で良かった、だいすき、だいすき、という気持ちで泣く相葉さんと
その相葉さんをそのままにしないですこし荒っぽいハグで迎えに行った櫻井さんと、
その腕の中で膝から崩れてしがみ付くように抱きしめ返した相葉さんで始まっている。

相葉さんが何かを話すとき
嵐の誰かは耳を傾けているところ
相葉さんが何かを嘆くとき
嵐の誰かがそれを慰めようとするところ
相葉さんが涙をこぼすとき
嵐のみんながそれを守るところ
相葉さんが笑うと
嵐も一緒に嬉しそうになって笑った

大事なひとなんだ。
こういう風に大切にするんだ。

私が好きになった相葉さんを作ったのは嵐さんだけど
その相葉さんが大好きなのが嵐で
そんな嵐のみんなが教えてくれたのは
相葉雅紀という人の尊敬の仕方だった

相葉さんが好きだ。
ずっと好きだ。
これからの相葉さんを応援する私の中に
きっと嵐さんがいるといい。

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お誕生日おめでとうございます。
どうかただただ健康で
心と身体が健やかでいてください。

来年の今頃も
きっとあなたらしく生きるということを成し遂げて
笑顔でいてくださいますように。

変わらないもの 探していた

Music: 変わらないもの - 奥華子


パヴァロッティ 太陽のテノール』を映画館に観に行った。
彼の歌を知っているはずだと確信してはいたものの、
具体的な思い出で明確に覚えだせる存在ではなかった。
でも悪友のKに誘われると、何に対しても私は「行く。」と応える。
そして、見たことのない景色や知らなかった言葉に出会い
少し違う肌の色で家に戻ってくる。

私の旅行写真に出てくる元気な背中は、だいたいが彼女です。

パヴァロッティは、The Three Tenors の Nessun Dorma(誰も寝てはならぬ) で出会っていた。
冒頭の声で分かった。
あの振動を知っている。

歌声を、色鮮やかな言葉で表現してくれているドキュメンタリーだった。
好きな声優さんがたくさんいる私にとって、
その観点からもとても面白い作品だった。
声というのは不思議なものだなぁと思う。
毎日たくさんのたくさんの人の声を聞くけど、
声質とか声音とか、私は普段日常の中で言葉を交わすうえでは意識したりはしない。
自分の声も、生まれ持ったものとして授かって一生付き合っていく。
でも、
作品としての声には
こんな風に敏感で繊細に注意を向けることが出来るんだなぁって思う。
ただ吸った息を、吐きだして、振動が空気を伝わってくるのを
体温や鼓動のように
人一人のいのちとして
感じたりしている。

人が生きているときの時間で
自分ではない誰かが、生きて、心から楽しそうにしている場面を見つめることは
とてつもない幸せを感じさせてくれると思った。

素敵な映画でした。

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さて今日のエントリは、
この映画が始まる前に流れた予告について記す。

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「浅田家!」の予告が流れ、
私はそこでようやくこの作品の全貌を知った。
私が嵐さんを好きなことを知っているKは、ニノが画面に出てきたときに一緒に喜んでくれた。
たぶん映画サイズでの二宮さんを見るのは初めてでちょっとドキドキした。
笑いながら見ていた。
そうしたら、
予告がすこし私が思っていたのとは違う方向に向かった。

Kと顔を見合わせて、この作品を見に来ようね、と目くばせをした。

私たちは、東日本大震災のあと、宮城で写真洗浄のボランティアをしたことがある。

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このブログは、何度かお引越しを繰り返しているけれど、
いろいろと目移りしやすい私が続けている行いの中で
恐らく人生で一番長く続いているものと言っても過言ではない。

一番長く更新の期間が開いたのが2011年だった。
今振り返って、
読み返せる言葉がないのが悔やまれるけれど
何かを言葉にしたり、不特定の誰かを想定して話しかけるような
そういうキャパや理由が、なかったのかもしれない。

あの年、私は、
なんとか年度末を乗り越え、
心の整理も理解も何が出来るというわけでもないまま新年度を迎え
MさんとNさんという最大の味方のいなくなったチームで
出来ることの全てを頑張ったんだろう。
特段思い出す強い感情はない。
ただ
充実した年末を迎えたという総合的な結果を
事実として物凄く良く覚えている。

特筆すべきこととして、
私はこの年の初夏に、人生で初めて骨を折った。
お昼休みに遊びのフットサルをやっていたら、こきっと足首が鳴って
特に痛くなかったんだけど、翌朝前に進めなくなるくらい腫れあがっていて、
軽い気持ちでチャリに乗って病院に行き、
松葉杖を渡されたけど自転車じゃ持ち帰れなくて
先生に天を仰がれた日があった。

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私がまだギプスを履いていたころ、
Kは被災地にボランティアに行っていた。
平日に仕事をしながら、確か金曜の夜か土曜の朝に出発し、
週末活動してまた出勤する、を繰り返していたと思う。
凄い人間と友人になってしまった、と思ったことを明確に覚えている。

そんな彼女が先行して
宮城県の亘理という場所で行われていた
「思い出サルベージ」というプロジェクトに参加をした。

被災写真を救済する ―― 「思い出サルベージ」プロジェクト

私がただの思い出として撮っているケータイ写真を見て、
いいね!すごいね!とおだてて、その気にさせてくれているのは彼女です。
本人はちゃんとしたカメラを持っていて、もっと輪郭のクリアで枠組みのある写真を撮る。
そういうKだから、このプロジェクトに出会った。

作業の内容を教えてもらって、
詳しくは覚えていないのだけど、
写真の素人でもできるのであれば私も行きたい、と思ったのは覚えている。
結果的に、ギプスが取れて最初の週末か何かに
右と左とで形の揃わないふくらはぎのまま宮城に行った。

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浅田家の映画で描かれる写真洗浄が何かは分からない。
ただ、9年前を思い返して私が覚えているのは
泥にまみれたアルバムの入ったカゴがとても重かったということ。

生きていて欲しいという気持ちだけをもって、
そのカゴを持ち運んで
作業をしていた。

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撮影の技術を持った人とペアになって
回収されたアルバムを写真に撮っていく。
表紙を開いて、一ページ目を開き、
カメラマンさんの指示に従ってページを捲る。

この人たちは、
いないかもしれない。
と思いながら見開きで示される瞬間たちを眺め
シャッターの音を聴く。

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家族写真もあったけれど
例えば結婚式のアルバムとか
赤ちゃんの成長記録とか

いるかなぁ
いるよねぇ
どこかにはいてほしいなぁ

漠然とした、客観的な
でも祈りとしか表現のしようのない思いを
抱えていた。

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アルバムから抜け落ちてしまったり
はぐれて見つかったものは
別に洗って番号を付けて干す。
いちまい。
いちまい。

当然なんだけど
自分の手が持っているこの写真に写っている人を
私は知らない。
あったこともない。
きっと出会うこともなかった。

でも出会ったかもしれない。
生きていれば。

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生きていなかったらどうしよう

思った時の不思議な恐怖は
多分これからもずっと私とある。

この写真の人は
死んでしまったのかも知れない
と思いながら
写真の泥を落とす作業は、
自分のいままでの出会いと
これからあるかもしれない
あるかもしれなかった
たくさんの可能性を
一枚の写真の重さで
確かな物理として示して見せた。

笑顔と
思い出と
未来と
確かにひとの生きている瞬間がつまった写真たちには
体重があった。

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3.11のあの日
私は地球が軽くなったと思って泣いた。
その体重は、
こういう顔をしていたのかもしれないと思いながら
初めて出会うたくさんの笑顔を見ていた。

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いろんな君の顔を見たかったんだ

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浅田家が描くものが
どういう物語か分からないのだけど
振り返ってみたらこの経験がブログには記されていなかったので
改めて記録。

ニノを映画館で見るのは
多分硫黄島以来です。

たのしみ。

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they lead you into the green veld where you can run forever

Music: 烏野の守護神 - 林ゆうき/橘麻美

Chadwick Bosemanが亡くなった。

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2020年は、
ある。
と思っていた日常とか、
いる。
と思っていた人とか、
そういうものがなくなる。

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初夏のあたりに、身近な命を二つ見送った。

どちらも、それぞれ
高齢と
脳の病気で、
起き上がることもできず
会話もできない状態が長く続いていた。

戦っていた、という言い方もあるのだろう。
それは真実かも知れない。
お話の出来ない中でも、
彼女たちの精神はひょっとしたら
私が彼女たちを憶えているように強靭で明るく、前向きに
近い未来に尽きることの分かっている命も
できるだけ懸命に長く
全うしようとしていたかもしれない。

けれど
それを確かめる言葉のやり取りはもうできなくて
そんなことは分からなかった。

何が伝わっているのかも聞けないまま
私が楽しくなれる話だけを語り掛けながら、
天井を見上げて瞬きする彼女のまぶたをみて、
いつまでかなぁ

ぼんやり思っていた。

連絡があった時
驚きはなかった。
ずっと肌に近く当てられていたナイフが
ようやくこの身に刻まれたようにも思う。

痛みがくることを知っていたし、
その傷が癒えることも知っている。

人がゆっくりと死ぬような過程のことについて
残酷だと感じる以外の
解釈をまだ知らない。

さびしさを
ずっと前から感じていた気がする。
悲しさも悔しさも
ずっとくすぶったままそこにあった。
その感情たちが消えない。

納得のような何かを抱えながら
何かの役目を果たした身体を見送る。
でも彼女たちとは、
もう長いこと会えていなかったようにも思うんだ。

さよならは
もっと前に言っておけばよかったのかもしれないと思ったし
いまさら言ったところで
どっちにしてももう届かないんだなって
じゃぁ私と彼女たちのお別れはいつだったのだろうと思う。

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樹木希林さんの
人は、「いつかは死ぬ」のではなく「いつでも死ぬ」

よく考える。

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誰の旅路の終着点も必ず死であることを
ずっと分かっているのに
実際に死に始めると、待って、って思う。
実際に死なれると、何で、って思う。

毎回繰り返す。

いま、この時に、
語り掛けると返事をしてくれる命は
いついかなる時も死へ向かっていて
その道すがらにご一緒している
とてもささやかな邂逅にすぎない。
出会いは、本当は、きっといつも寂しい。

思い出せる彼女たちの顔が笑顔であることは
かけがえのないことなのかなって思う。
楽しかった思い出を作れたことは
物凄いことを達成した証なのかもしれない。

生きるという
死ぬこととは違う何かを
成し遂げた。
一緒に。

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ブラックパンサー
好きな映画だったからもう一度みたいと思っているけど
見たら泣いちゃう気がする。

シビルウォー
あのシーンをもう今までのように見られる気がしない。

どれほどの想いで
あの映画たちを撮ってくれたのだろうと思うと
まだ彼が生きている時に一緒に作品を楽しめたことが宝物のように思える。
みんなが喜んでいる姿を彼がきちんと見ていてくれた事実が
今は心を少し落ち着かせてくれます。

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知り合ってもいないのに
なぜこんなに寂しいのか分からない

あなたの時間をくれてありがとう。

May you rest in power.

Happy Now - Pentatonix

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君をなくして、でも前に進んだらダメ?
Is it illegal to move on without you?
君がいないのに、許されるのかな
Am I allowed to when I'm without you?
動きたいように身体を動かしたらいけないかな?
Is it illegal to dance like I'm about to?
君がいないのに、許されるのかな
Am I allowed to when I'm without you?

そろそろ幸せになりたい
I wanna be happy now
I wanna be happy now

胸が痛くなるまで笑っても良い?
Is it okay if I laugh until my chest hurts?
受け入れるということを思い出したい
Want to remember how to surrender
この重さから逃げてもいい?
Is it okay if I drop some of the the pressure?
冒険に出たいよ、動き出させて
Have an adventure, give me the keys

もう幸せな気分になりたいと思うんだ
I think I wanna be happy now
I think I wanna be happy now

君をなくして、でも前に進んだらダメなの?
Is it illegal to move on without you?
君がいないけど、いいよね?
Am I allowed to when I'm without you?
動きたいように身体を動かしたらいけないの?
Is it illegal to dance like I'm about to?
君がいないけど、許されるよね?
Am I allowed to when I'm without you?


いま幸せを感じたい
I wanna be happy now
I wanna be happy now

Hey-oh hey-oh
前に進んだらダメなの?
Is it illegal to move on?
Hey-oh hey-oh
次に進んだらダメなの?
Is it illegal to move on?

幸せじゃない?
Am I happy now?
いま
Right now
君がいてもいなくても
With or without you
この今
Right now
幸せじゃない?
Am I happy now?
僕だけ
Just me
僕は、僕の、僕で、
Me, myself, and I
どうかな、どうかな
Am I, am I

君をなくして、でも前に進んだらダメなの?
Is it illegal to move on without you?
君がいないけど、いいよね?
Am I allowed to when I'm without you?
動きたいように身体を動かしたらいけないの?
Is it illegal to dance like I'm about to?
君がいないけど、許されるよね?
Am I allowed to when I'm without you?

もう幸せを感じたい (幸せになりたいんだよ)
I wanna be happy now (I wanna be happy now)
I wanna be happy now (I wanna be happy now)

Hey-oh hey-oh
前に進んだらダメなの?
Is it illegal to move on?
Hey-oh hey-oh
次に進んだらダメなの?
Is it illegal to move on?

幸せじゃない?
Am I happy now?
いま
Right now
君がいてもいなくても
With or without you
この今
Right now
幸せじゃない?
Am I happy now?
私だけ
Just me
私は、私の、私で、
Me, myself, and I
幸せ? 幸せ?
Am I, am I

もう囚われることなんてない
Now, no more holding back
過去には何もない
Left that in the past
ただ学んだことに感謝するだけ
Grateful for the lessons that I learned
だから今、涙が出るまで笑ったりする
Cuz now, I cry because I'm laughing
疲れ果てるまで好きにだって踊る
Fall from all this dancing
だって今わかる、わかるよ
All because I know, I know

幸せじゃない?
Am I happy now?
いま
Right now
君がいてもいなくても
With or without you
この今
Right now
幸せじゃない?
Am I happy now?
僕だけ
Just me
僕は、僕の、僕で、
Me, myself, and I
幸せ  幸せ
Am I, am I